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10月19日(水) 旧暦9月24日
朝、仕事場へ出かけるとき、(仙川にオナガカモはもう来ているかもしれない。)と思って、自転車に乗って仙川沿いを行くことにした。 わたしの勘は当たった。 来ていた! 美しいオナガカモのオス。 オス一羽とメス二羽がなかよくいる。 「来たね-。長旅ごくろうさん。」ってわたしは声をかけた。 すると、 こんな風にまるで挨拶をするかのようにいっせいにわたしの方に向かってきたのである。 ああ、気持が通じたって、ちょっとうれしくなった。 (自意識過剰って思ったでしょ。) 鳥たちとはだんだんと心が通じ合ってきているって思ってんのよねー。 おめでたいかしら。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル 118ページ 二句組。 著者の下岡友加(しもおか・ゆか)さんは、1972年のお生まれで、日本近現代文学の研究者である。それに関する著書や共著もたくさんある。2010年末ころから台北俳句協会へ参加をされ、それより俳句をつくりつづけておられる方である。その経緯を「あとがき」に書いておられるので、紹介したい。 二〇一〇年、戦後台湾の日本語作家であり、台北俳句会主宰・第三回正岡子規国際俳句賞受賞者・黄霊芝先生(一九二八︱二〇一六)にインタヴューをお願いしに台北へ参上した。その際、私に黄先生は台北俳句会への投句を条件とされた。先生は「日本人なのだから、俳句をつくるのは簡単でしょう?」と笑いながらおっしゃった。とんでもない話である。先生一流の日本人に対する意趣返しかもしれないとまで考えた。しかし、既に八〇歳を超えられて体調も芳しくない先生の貴重な時間を頂戴するからには、拙い句をつくる恥などたいしたことではない。 ということで、俳句をはじめられた下岡友加さんである。 その黄霊芝先生は、体調が悪化し2016年3月に亡くなられたのである。 黄先生亡き後も、台北俳句会は先生以外の主宰を置くことなく、現在も会員のみで運営され続けている。 と、「あとがき」にある。そしてさらに、 一九七〇年創立の俳句会の主要メンバーは、日本による植民地支配時代に日本語教育を受けた、いわゆる「日本語世代」である。そうであれば、私はかつての植民側の人間であり、台湾の人々の寛大な情によって参加をゆるされた一客分に過ぎない。が、確かに私の俳句はそのなかで育まれた。台湾の人々、風土、文化を通じて俳句の面白さ、奥深さを教えられたのである。よって、本書の季語は黄霊芝『台湾俳句歳時記』(言叢社、二〇〇三)の分類に則っている。黄霊芝先生をはじめとする会の皆様には改めて厚く御礼申し上げたい。 下岡友加さんの「台北俳句会」において俳句をつくることの意義が語られている。 本句集は四季別に編集されているが、四季の項目のほかに「黄霊芝先生に捧ぐ」という項目も立てられている。 本句集の担当は、文己さん。 放天燈(パンテンティン)見る間に満天星となり 卒論を出す子の瞳春立てり 百合匂ふ百年待ちて出合ふひと 炎昼やちぎつて投げた雲一つ サングラス異国情緒のやはらぎて 亀の子の背を撫でる師の背の丸し 「パンテンティン」の句、何度も口ずさみたくなります。 随所に異国の色彩を感じながら楽しく拝読しました。 と文己さん。 百合匂ふ百年待ちて出合ふひと この句は夏目漱石の「夢十夜」が下敷きになっている一句であることがわかる。幻想性のつよい印象的な短編だ。ただ、そのことを知らなくても一句の世界は成立し、百合の香がよびおこす甘美な幻想のむこうに100年さきの人が夢のようにたたずんでいるのがみえてくる。匂う花はは、薔薇でも牡丹でもなく白百合がふさわしい。「百合」という語彙がもつ「百」が、「百年」の「百」と響き合っている。これは漱石の短編ではにわかに気づかないことかもしれない。この一句、日本文学の研究者である下岡さんの漱石への挨拶句でもあるのだともおもった。 春眠のさめて湯飲みの底のぞく 春の句である。わたしの好きな一句。心地よい春の眠りから覚めた。その後どうしたかというと、「湯飲みの底」をのぞいたというのである。なにゆえ湯飲みの底なのか、寝台のかたわらに昨夜より置きっ放しにしてある湯飲みがあって、それを手にしたのだろうか。しかし、作者はその湯飲みの底をのぞいたのだ。その狭い底になにが見えたのだろうか。春眠からめざめた茫洋とした頭で、まずやったことが湯飲みの底をのぞいたことが面白いし、その一種不可解ともみえる行為が、春眠の悪夢(?)のつづきような気もしてきて、湯飲みの底に奈落へと急降下していくような精神の鬱屈を感じてしまうのはわたしだけだろうか。暗さをまとった句であるが、好きな一句である。〈初夢や西郷どんの犬となり〉という一句もあって、おもわず笑ってしまったが、(嫌いな句ではない、好きかも)、この犬は上野にある銅像の西郷隆盛の連れている犬のことだ。つまり西郷どんがかわいがっていた犬である。 金魚みつめ動かずにゐる金魚売り この一句も好きな句である。景がうかんでくる。金魚売りってこういう感じだよなって思わせる一句だ。金魚売りはうごかずにじいっと金魚に見入っているが、見られている金魚はひらひらときっとよく動いているのだろう。その金魚の赤さや動きなどが直接詠まれていなくても見えてくる一句だ。金魚売りが活発な人だったら、金魚の魅力は半減してしまう。そう銅像のように動かずひたすら金魚を見つめていると、人はおのずと売り物の金魚に目がいくのだ。商売の戦略でもあるのかも。。。 通夜の間に蜜柑むく香の立ちのぼり この一句、死の充満する気配への生きる側からの救済の一句だ。通夜の悲しみにしずむ空気のなかで誰かが蜜柑を剝いたである。そして蜜柑の香りが立ち上った。一瞬重くれた空気が一掃されるように蜜柑の香りで充たされた。蜜柑の爽やかな香りのみだけでなく、蜜柑の色の鮮やかな明るさが、黒の世界に際立つ。この場合、果物は蜜柑でなくてはならず、蜜柑なればこそ、の一句である。 句会にて喧喧諤諤(けんけんがくがく)師はビール 「黄霊芝先生に捧ぐ」の項目の一句。作者が俳句を学んだ霊芝師指導の「台北俳句会」の句会のありようが見えてくる一句である。活発に句会がなされていた状況がよくわかる。「あとがき」によると、「先生は会員の投句に対して懇切丁寧なコメントを付したプリントを配られていた。」とあり、熱心な指導であったこともわかる。会員同士で喧喧諤諤に意見が戦わされ、あるいは霊芝先生はそんな状況をビールを飲みながら好もしく見ていたのかもしれない。 四〇代手前から始めた俳句がわずかに溜まった。他の誰かのためではなく、自分自身の五〇歳の区切りとして、そして、進歩の見られぬ自己というものを客観視するため、句集を出す。 「あとがき」の言葉である。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 キラのはいった用紙が手にとると贅沢である。 扉。 ボクシング映画白熱夫午睡 また、私の身近にいるがゆえに否応なく句の題材となった夫・石川雅意の支援にも感謝する。この世に有限の生を脅かすものは多くある。けれども、夫の気楽な寝顔を見つつ、五・七・五という小さな言葉たちと格闘する時間は、無心に私だけのものであった。ありがとう。多謝(ドーシャ-!) と、「あとがき」に。 夫君への素敵な感謝のことばである。 本句集上梓後の感想を伺った。 拙著『多謝!』が、我が家に届きました。 ありがとうございます。 「あとがき」にも記した通り、私の俳句の師は、台北俳句会主宰・黄霊芝先生(1928-2016)です。 『黄霊芝作品集』に収められた小説や童話、短歌や俳句に魅せられ、インタヴューを申し出た際、代わりに俳句会への参加を促されました。 台北俳句会(1970年創立)の中心メンバーは、日本の植民地支配下に日本語教育を受けた、「日本語世代」の方々です。最低でも年に一度は台湾へ出かけ、会の皆さんとお会いすることを楽しみにしていましたが、目下、コロナ禍でお預けのかたちとなっております。代わりにこの拙句集を送り、亡き黄霊芝先生をはじめとする、会員の皆様への感謝の意をあらわしたいと思います。 届いた句集を改めて読み返してみると、台湾/日本で句を作ったときのことが一つ一つ鮮やかに懐かしく思い起こされます。実際に体験したことのみならず、小説世界を詠んだ句も収めましたが、約10年間の私の生活誌ともなっているわけで、ここに句集をまとめるということの、大きな効用を体感いたしました。「芸術の極致は自楽ではあるまいか」という山頭火の言葉通りかもしれません。 私のような素人の最初の句集作りを手伝って下さり、的確なご助言を賜った、横尾様をはじめとする、ふらんす堂の方々に改めて厚く御礼申し上げます。多謝!
下岡友加さんと黄霊芝氏。 逝去の二ヶ月ほど前、俳句会の他の会員とともに、先生の御宅を訪ねたが、先生はもはやお声を出すことは出来ない状態でいらした。しかし、写真撮影は許して下さり、それは今も大切に私の本棚に飾られている。(「あとがき」) 日本文学の研究者である下岡友加さんが、俳句を「台北俳句会」ではじめられたという経緯をとても興味ふかく思いました。 また、この黄霊芝氏については、俳人の福島せいぎさんが、『現代俳句文庫85 福島せいぎ句集』のなかで「台湾の俳人」のエッセイでふれられ、また、霊芝氏が「解説」の部分で、「福島せいぎ著『台湾優遊』を読む」と題して評論を寄せておられます。 俳句をこよなく愛された方だったのだ。 こちらは、わたしに挨拶(?)をしにきたヒドリガモのメス。 超スピードだった。
by fragie777
| 2022-10-19 19:35
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Comments(2)
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こんにちは。
昨年は、仙川に一日遅れでオナガガモ飛来を確認できましたが、今年は随分と遅れて本日の確認になりました。それも1羽のオスだけ! それでも昨年より10日早い確認です。(川崎市平瀬川 堰下橋と石橋の間) ですから、仙川飛来は随分と早かったんですね。 コガモは仙川より少し遅れで確認しておりました。 それにしても平瀬川は鴨の姿が少なくなってしまいました。昨日は多摩川を走ったのですが、冬鳥をたくさん見ることができました。平瀬川にもお裾分けしてほしいものです。 失礼しました。
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choさま
こんばんは。 コメントをありがとうございます。 オナガかもは仙川でもオスは一羽だけ、メスが二羽いましたので、あるいはもう一羽オスがいるのかもしれません。 だんだんと数を減らしていて寂しいです。 ヒドリガモはたくさん来ていました。 コガモも少ないようです。 オオバンの姿も今年はみえません。 淋しいです。 (yamaoka)
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