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9月29日(木) 旧暦9月4日
名栗の山里に咲いていたイヌサフラン。 ひとところに咲いていたのだが、そこだけ華やか。 昨夜は、目下ふらんす堂ホームページにて「平成の一句」の連載をおねがいしている俳人の田島健一さんが、仙川までいらしてくださった。 「最初は一週間ごとに原稿をまとめていましたが、もう、なんだかそんなわけもいかなくなって…」と田島さん。 ハードなお仕事をしながらやっていただいているのでそれは大変であると思う。 昨夜も会社より帰るまえにレポートを提出するように言われ、「焦りました」と。 一所懸命に取り組んでくださっていることにただ感謝するばかりである。 すこし打ち合わせをして、あとは主に俳句のことに話が終始し、あっという間に夜は更けてしまった。 この「平成の一句」は連載が終わった時点で書籍化をする予定である。 ときに、一句をとりあげられた作者やお弟子さんから俳誌などに転載をさせて欲しい、というお申し出をいただくのであるが、書籍化をする予定なので、それまで待っていただきたいと申し上げ、転載等はお断りをしている。 嬉しい反響ではあるが。。 わたし、今日お昼を一時間間違えてしまった。 さあ、お昼だわと、パンを買いにでかけ、帰ってきたらスタッフたちがみな仕事をしてるのだ。(あれー、おかしいな)って思って時計をみたら、あらいやだ、もうとうに1時半をまわっている。「あらやだ、もうお昼おわってるのね、みんなお昼食べた? わたしちっとも気づかなかった」って聞いたところ、「はい、食べました。yamaokaさん、お昼食べないで仕事しているので、あれーって思ってました」と。で、ひとり遅い昼食をもぐもぐと食べたyamaokaでした。 新刊紹介をしたい。 A5判ハードカバー装 224ページ 二句組 河内文雄(こうち・ふみお)さんの第5句集となる。すでにお気づきの人もおられると思うが、令和2年(2020)に第1句集『美知加計(みちかけ)』を上梓されてより、この3年で本第5句集までかなり迅速に句集刊行をされた河内文雄さんである。俳句によって九死に一生を得た河内さんは、「句作の旅」を開始することを決意する。第1句集を上梓された時からすでに第5句集までのヴィジョンは出来上がっていたのである。第2句集『美知比幾(みちひき)』の「あとがき」にそのことが記されている。ここでもう一度紹介しておきたい。 第一句集は、月ごとに纏めた体裁から、主宰が月の満ち欠けに因み万葉仮名で「美知加計」と名付けてくださいました。 師恩忘るべからず、それ以後の句集は、万葉仮名の伊呂波四十八文字を十二カ月に当て、各月三十句ずつ纏めることにしました。 そして第二句集は、潮の満ち引きから「美知比幾」、第三句集は時の移ろいから「宇津呂比」、第四句集は胸のときめきから「止幾女幾」、第五句集は星の瞬きから「真太太幾」と名付けました。 内容的には自分でも呆れるほど玉石混淆ですが、類書にないその赤裸々ぶりに、一連の句集の存在意義があるものと考えております。 この第5句集『真太太幾』によって、河内文雄さんの「句作の旅」の試みはひとつの過程を終え、さらに新しい局面を展開していくことになる。 河内文雄さんは、昭和24年(1949)岐阜・飛騨高山のお生まれ。現在は千葉市在住。「銀化」(中原道夫主宰)同人。俳人協会会員。 踏み込めば落葉に押し返す力 春浅し川は身丈を伸ばしつつ 点景として春風のなかに佇つ 船ぞこの形に窪むや春のうみ ねむり花むかし鷗は鳥だつた 蠛蠓を少し貰つてくれまいか 此れもまた命の形ひきがへる 遠浅のうみはたひらに天高し 担当の文己さんの好きな句をあげた。 「漢字をひらく独特な文体が、不思議な世界観を奏でているようです…。きっとこれも河内さんの意図するところなのかも、と思います。」とは文己さんのコメントである。 春浅し川は身丈を伸ばしつつ 春のおとずれとともに、凍てから解放された川は水量をましてあたたかな日差しをよろこびつつ流れていく、その様を鳥瞰的にとらえた一句である。「身丈を伸ば」すと擬人化された川の流れの速さやその勢いを「身丈を伸ばす」という視覚に訴えることで読者の目に春の川を現実化しているのだ。巧いなとおもうのは、「春浅し」の季語をすえたこと。春になってまだ冬の寒さを引きずっているような感触、それは皮膚感覚となって人間の身体に訴える。そんな感触をもちながら、目の前に流れていく川を春の訪れを歓迎しつつながめているのだ。上五の季語と中七下五の感覚のすこしのズレが、まさに早春そのものをを言い止めているのだと思った。 その中に汚れをまとふ白鳥も 白鳥の群を目前にしている。白鳥って遠目では美しい鳥であるが、近くで群をみるとなかなか逞しい生命力にあふれた骨太の生き物(?)であると思う。そうは言っても白鳥である。その形態の美しさや白さは文句をいわせないものがある。白鳥でかたりつがれてきた物語を背負っている水鳥でもある。つまり人間に、美しい鳥という幻想を呼び起こす鳥なのだと思う。作者は群の中にひときわ汚れている白鳥をみつけた。しかし、相手は白鳥である。本来は白いはずの白鳥だから「汚れている」とは言いたくない。あくまでも「汚れをまとふ」として、それはあたかもヴェールを纏っているかのような措辞として、白鳥という美しいものへのオマージュの心を残したのである。 萍の皺やぴえん超えてぱおん この句にある「ぴえん」「ぱおん」とはいったい何?って思った。外国語? 担当の文己さんはどう理解したのか聞いてみた。すると。なんと「ぴえん超えてぱおん」っていう一つの言葉で、若者用語であるということ。「河内さん、お若いですよね。こういう言葉を知っていてそれを俳句に取り入れてしまうんですから」と文己さん。知ってました?「ぴえん超えてぱおん」って。意味は、「いつもよりも泣きたい気持ちが強いことを表す若者言葉である。 ぴえんこえてぱおんの「ぴえん」は、泣き声の「ピエーン」の略で、泣いている様子を表す擬態語である。 嬉しい時でも悲しい時でも使う言葉である。」とのこと。へえ-、そうなんだ。であるとすると、この句、いったいどう理解したらいいのだろうか。「萍」は夏の季語。萍って田圃などの水面にびっしりと小さな葉がたくさんういている、あれ。あの萍の皺?っていったいどんな、ちょっと想像つかない、そこへ「ぴえん超えてぱおん」とは。まったくヒトをくっている。しかし、面白い一句である。 本句集はこのような句があったり、言葉遊びの句があったりと、多彩である。笑ってしまったのは、〈目には目を歯には入歯を苜蓿〉〈千枚田背ナ伝ふ汗なんまいだ〉などなど。 歩むとは炎昼にへそ運ぶこと これも面白い一句だとおもった。炎天下の真昼を歩いていく。最強の暑さである。その歩みを「へそを運ぶこと」であるととらえたその着想が面白い。身体感覚としておおいにうなずける。そう、暑さでバテそうになりながら歩くときは、こう丹田にぐっと入れて臍のあたりを意識するのである。そうすることによって身体に気合いがはいる。身体は臍を中心としてそこに意識が集中し、一歩あゆむごとにへそはしずかに運ばれていく。そう恭しく力強く運ばれていくのだ。わたしたちは今こそ「へそ」を見直さなくてはいけない。 校正のみおさんは、「〈一丁目から八丁目までおぼろ〉が好きです。銀座かな…などと楽しく想像しま した。」と。 おなじく校正者の幸香さんは、「〈寒気満つ鋏はさみを研ぐ寒気〉に特に惹かれました」と。 ほかに、 秋茄子の濃紺は身に余るいろ 生死など人の世のこと水中花 闇食うて花火の育つ越後かな 恐らく一生つづくであろう句業の中で、この『真太太幾』が、自分にとっての一つの分岐点となることは間違いありません。この第五句集によって、今まで頑なに背負って来た、こだわりやしがらみや狭量な価値観などを、自分でも意外なほどサラリと脱ぎ捨てることが出来ました。これから後は、リハビリノートと俳句手帳のキメラではない、本来の意味の句集を世に問いたいと思います。 「あとがき」より抜粋した。 本句集の装釘は、第3,第4句集に引きつづき、君嶋真理子さん。 こんどは緑色がテーマカラーである。 表紙は、緑の用紙。 扉。 目次。 第1句集の「いろはにほへと」からはじまって、第5句集は、「左幾由女美之恵比毛世寸无」「さきゆめみしえひもせす」となっている。 「无」の字は「む」と読み、意味は「ものごとが存在しない」という意味らしい。 栞紐は、淡いグリーン。 すでに次の句集は準備されているようである。 句集上梓後のお気持ちをうかがった。 右バッターがヒットを打ち、近いからという理由で三塁に走ったとしたら、それはもう野球ではなくなりますね、ルールとはそういうものだと理解していました。ひょんなことで俳句と向き合うことになり、当初戸惑ったのはその部分です。 ・ 以前にも申し上げたように、私は俳句の要諦を「韻・季・切」と理解しておりますので、「無季俳句」とか「自由律俳句」という言葉に違和感を覚えておりました。それは例えば、屋上に「年中無休」と大きな看板を掲げている店の入り口に、「本日定休日」の札が下がっているようなものです。このような自己矛盾を、なぜ先輩諸氏は何事も無いように受け入れているのだろう?とても不思議でした。 ・ われわれ団塊の世代は、ルールから外れた物事に惹かれ易いというアブナイ性向を持つ人間が多く、自分は特にその傾向が強いと自覚していましたので、これは先ず余程しっかりした土台を築かなければ、虻蜂取らずの根無し草になるという危機感を抱きました。負荷を掛けた加圧トレーニングに取り組んだのも、その焦りの表れです。 ・ 自分ひとりだったら今はまだジタバタ迷走していたことでしょう。時には三塁へダッシュしていたかも知れません。しかし私は素晴らしいメンバーに恵まれました。句集を編むという作業は究極のチームプレーです。達成感の共有の前には、物事の向き不向き(無季不無季^^) などは些末事であることに気付かされます。 河内文雄氏。 「『最近は句風も明らかに変わりつつあります』とのこと、もう既にお話を頂いて いる第六句集「安止左幾」が楽しみです。」 と、担当の文己さん。 スタッフの文己さんを信頼していただき、句集作りをまかせてくださっている河内文雄氏である。 引きつづきよろしくおねがい申し上げます。 新しき靴がひと乗せ夏に入る も好きな一句です。
by fragie777
| 2022-09-29 20:06
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