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9月27日(火) 旧暦9月2日
山里の名栗に咲いていた秋桜。 大きな雫がまさに落ちんとしている。 「ふらんす堂通信174号」の編集がはじまった。 今日は、愛さんが校正に来てくれた。 校正をしていた愛さんが、とつぜん、「ひゃあー、若返ったあ」って叫んで、笑っている。 「どうしたの?」って聞くと、 「小野あらたさんの今度のエッセイ、楽しいんですよー」って嬉しそうに言って、すこしその内容を話してくれた。 「あらまあ、そんなことが小野さんの身に……ふふふふ」とわたし。 「ああ、続編がよみたいー」と愛さん。 ここで、そのとびきりの情報はつまびらかにしないが、なかなかの一大事である。 「ふらんす堂通信174号」を楽しみにしていただきたい。 小野あらたさま。 スタッフ一同、 続編を期待しておりまーす。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 210ページ 二句組。 著者の神谷章夫(かみや・あきお)は、昭和27年(1952)東京・三鷹市生まれ、平成9年(1997)「季」に入会、平成12年(2000)「季」第1回木蔭賞受賞。平成30年(2019)藤沢市俳句協会副会長となる。令和4年(2022)「季」主宰となる。俳人協会会員。「江ノ電沿線新聞」「湘南アカデミア」「白南風句会」講師。本句集は、第1句集であり、序文を藤沢紗智子「季」前主宰が寄せている。 序文を抜粋して紹介したい。 神谷さんは、淡々としていながら、作句に費やす時間は相当なものだった。吟行に積極的に参加し、吟行地の立案もしてくれた。吟行地も懐かしい田園風景の中、火の見櫓の立つ村であったり、素朴な村祭りがある山の町であったりで「神奈川県はこんなに広かったの!」と思わせる発見があった。その俳句に対する熱意が実り作句開始四年後の平成十二年には、北澤前主宰の逝去後に新たに設けられた「季」の結社賞である木蔭賞の初回の受賞者になっている。 瑞史忌草笛に耳澄ますごと (平成十五年) 「瑞史忌」は言うまでもなく「季」の詩神、北澤瑞史前主宰である。平成十年六月四日、肺癌により惜しまれながら六十一歳で生涯を閉じられた。作者の入門は八年四月と晩年の僅かな期間であったが、無名の会に参加して親しく学んでいる。吟行の旅先の、作者の少年のような純粋さと直向きな作句姿勢に感心したのは先生ばかりでなく連衆すべてが認めるところである。旅の途中の野にしゃがみこんで、「草笛」を鳴らす先生は、年月を経るに従っていよいよ映像が明らかになる。瑞史忌を修するとは「草笛に耳澄ますごと」と、切に美しい音色を響かせてくれた。 (略) 古稀を迎えてなお失わない純粋な心とゆとりある作句姿勢を心強く思っている。現在、地熱発電の仕事と両立させながら藤沢市俳句協会の副会長職を真摯に務めている神谷さんに北澤瑞史前主宰の志の継承と藤沢市俳句協会の明るい未来も期待したい。 句集名となった「引地川」は、「あとがき」によると、「藤沢市中央部を南北に貫き自宅の近くを流れる。この地に引っ越して三十七年間いまだに川底を見せない町川である。」という神谷章夫さんには親しい川である。俳句仲間やボランティア団体の力を借りて「川ごみ清掃に三年間ほど微力を尽くした。」ともある。「この川の水が澄んで、藤沢市の誇りとなる日を心待ちにしている。」と記している。この川への思いをこめて句集名としたのである。 本句集の担当は文己さん。 子ら泳ぐ声して川の現はるる 牛飼ひの掌のやはらかし仏桑華 海光も塗り込められて島の畦 七夕の余熱の駅を通り過ぐ 瑞史忌草笛に耳澄ますごと 秋祭やうやく抜けて母の墓 渋滞のバスに冬日を愉しめり 文己さんの好きな句を紹介した。 子ら泳ぐ声して川の現はるる 帯にも用いられた一句である。この川は引地川のことかもしれないが、あるいはそうでないかもしれない。真夏に川遊びをする子どもたちを詠んだ一句というよりも、読者には子どもを遊ばせている夏の川の悠然たるさまがみえてくるかもしれない。木々がしげる渓流で遊び泳いでいる子どもたちの声が聞こえてきた。姿はみえないが、溌剌とした声がしている。ああ、川が流れているんだなあと思って声のする方をみているとやがて川が現れたというのである。この句の魅力は、まず耳に子どもたちの高い声をひびかせて、やがて目に川の姿を捉えさせるという、聴覚の緊張から視覚へのゆるやかな広がりへと展開していることだ。子どもの声から川へと展開する時間がなんとなく緩やかな気配があって、子どもを遊ばせている川への親和性のようなものも感じられる一句である。わたしも好きな一句である。引地川を詠んだ句では、「引地川」と前書きのある〈秋出水青大将も流れけり〉という印象的な句も収録されている。 眠る山ときをり竹のつくる音 主季語であれば「山眠る」、「眠る山」は傍題に在る。歳時記などを見ていると「山眠る」とおいた一句の方が圧倒的に多い。この句の場合、どうなんだろうって、この句好きだなって思ったあとに、そう思ったのだった。どっちがいいのかって声に出してみた。「山眠る」でも悪くない。しかし、作者はその極めて微妙なニュアンスにこだわり、あえて「眠る山」としたのだろう。作者の深いはからいをたどれるかどうかはわからないが、ふっとおもったのは、「山眠る」であるとしたら、あまりにもすっと中七下五に至って心地良く鑑賞してしまうかもしれない。「眠る山」としたことによって、山が眠っているんだということをさらに読者に印象づけ、その上での「ときをり竹のつくる音」なのである。「竹のつくる音」という措辞がとても巧いと思う。やはり「山眠る」であったらあまりにも自然に読みが着地してしまうなってふたたび思った。「眠る山」としたことによって山の静謐さと安定感を得、「ときをり竹のつくる音」が際だってくる。靜かな冬の山にときおり立てる竹のざわめき。その様子を、平易なことばをもって、平凡でない一句として印象づけた。神谷さんはひょっとすると「竹」がお好きかもしれない。集中、「竹」を詠んだ良い句があった。〈風みちの竹がさざめく雛の日〉〈竹伐つて伐られぬ竹のさざめきぬ〉〈美しき竹立ててより秋祭〉〈人影も冬日も竹に漉されゐる〉など。 仰向けば咳うつ伏せば母恋し 母恋の句である。「あとがき」によると「母、父を亡くして、かれこれ四十年になる。母の死は急だったため、残された者達にとって、喪失感は大きかった。」とある。風邪を引いて、床についているのだろう。寝ていると咳が出る、あまりにも咳き込むので苦しくなってうつ伏せた。布団の感触がほほに柔らかい。布団のぬくもりもある。そんな温もりに母の温もりを思いだしたのか、あるいは咳のくるしさにうつ伏せとなり、今は亡き母への助けを求めるがごとく母を心で呼んだのか。この句の巧みさは、身体をかえすことによって、フィジカルな状況からメンタルな状況へとその転換を詠みこんだことであると思う。そして、もはや、「咳」の肉体的な苦しさよりも、圧倒的に「母恋し」という心情が作者を支配しているのだ。こういう感情は、わたしはよくわかる。 向かひあふこの世の少女ソーダ水 季語は「ソーダ水」。この句をみて星野立子の〈娘等のうかうか遊びソーダ水〉の句をすぐに思い出した。若い女性とソーダ水という設定は似ている。わたしが感じたのは、星野立子の句の場合は、「娘等」はかつて娘時代をすごした星野立子の経験としても詠まれている、そんなことを感じさせる。(娘時代ってうかうかと遊んじゃうのよね。ソーダ水は美味しかったわ)なんて、美しい緑色の液体と炭酸の泡をなつかしく思い出したりしている。神谷さんの句の場合、「この世の少女」である。あえて「この世」というからには、その心情の裏側には「この世でないもの」の手触りがあるのだ。だから、この句の場合、「この世」が問題だ。作者の目には、ソーダ水を前において向かいあった少女たちがいる。少女たちには無垢の輝きがあり、ソーダ水は緑色のうつくしい光を放っている。まるで、絵画をみるようである。現実(この世)のものとはおもえない光景なのだ。しかし、「この世」の少女たちなのである。そう自身に言い聞かせている。そして、作者は、少女たちの世界からは永久に疎外されているのである。ソーダ水からも。 バブル経済期をバンコクで過ごし、帰国すると、日本の景色が変わり果てていた。帰国後しばらくしてベトナムのハノイに出張した時に、自転車で溢れかえる空港から市街への道の途中から遠望した田畑の景が、バブル経済で失われた日本の郷山の景を彷彿とさせ、懐かしい気持になった。この心持を形に留めようとしばらく絵手紙を学んだ。しかし、絵筆の才能はないことを痛感したため、平成八年四月に藤沢の朝日カルチャーセンターの俳句入門講座の門を叩いた。それが、北澤瑞史先生との出会いである。受講の半年後、「季」の若手の研鑽の場である「無名の会」への招待を受け、本格的に俳句を学び始めた。しかし、直後に、北澤先生は、当時では不治の病を患い、闘病一年余りで、帰らぬ人となった。父を二度亡くしたような喪失感に襲われたが、北澤先生の後を継いだ藤沢紗智子主宰の献身的な指導により、「季」は解散を免れ、今日まで継続している。自身の執筆「吾妻鏡を歩く」の「季」誌への連載を中断して、主宰の責務を今日まで果たし続けている藤沢先生は、師であると同時に「季」会員の心の支えであり続けている。(略) 引地川は、芥川龍之介の晩年の幻想的な短編小説「蜃気楼」にも名前が登場する。私には、引地川を境に海岸が彼岸、芥川の自宅があった松林が此岸に思える不思議な小説である。岸辺に立つと対岸から故人となった北澤瑞史先生の「いいじゃないですか」、脇祥一元編集長の「まだまだだねえ」という声 が聞こえてくる。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 神谷章夫さんより、引地川の装画を使ってほしいというご希望があった。 装画を描かれたのは、尾崎淳子さん。 「冬の川」と題した幻想性のある絵だ。 金の配色が美しい。 表紙は、明るめな青。 「一句鑑賞」と題した栞が挿入されている。 いろいろな俳人の方が一句鑑賞をされている。 扉。 花布とスピンは、神谷さんのご希望で青に。 句集名を引地川と名付けた。この十五年間に水質改善は少しずつ進み、中流の石川堰には鮎が群れ成している。うるかは無理でも、鮎の塩焼きぐらいは、そのうち、食べられるようになるかもしれない。この川の水が澄んで、藤沢市の誇りとなる日を心待ちにしている。「あとがき」 句集上梓後のお気持ちをうかがってみたところ、丁寧なお返事をくださった。 以下に紹介します。 〇1冊をおまとめになってみて改めて感じたこと、 昨年の3月にふらんす堂様から、句集作成案内を送っていただいた後、25年分の自身の句の整理と選別に取り掛かりました。もうこれ以上削りたくないなと思う700句まで絞った後、更におよそ350句まで減らしたので、この作業が大変で、減らしてもまた敗者復活の句がでてきたりして、取捨選択で結局1年かかりました。どれも、我が子のように愛着のある句ばかりが残り、我が子の優劣が付けられないように、自選句は350句すべてです。したがって自薦15句ではなく、時候、生活、行事、動物、植物など、分野別に15句を抄出させていただきました。改めて感じたことは、やはり「季」の先師北澤瑞史と藤沢紗智子名誉主宰の俳句の素晴らしさでしょう。また、序文の藤沢先生の個性溢れる句評は、とても真似できません。さらに、俳句仲間や知り合いの俳人の方に一句鑑賞をお願いしましたが、どなたも快くお引き受けいただき、珠玉のような栞ができました、感謝の念に堪えません。 〇見えてきたもの 選びました350句すべてが、実際に触れた景をベースにしているということです。よく、見てしまうと俳句ができなくなるという方もいますが、私の場合は、見ないとなにも発想が湧かないというタイプだと分かりました。そのためには、俳句にできそうな景に数多く触れることだと考えています。また自分では意識していませんでしたが、やはり先師の北澤瑞史の影響があるなと分かりました。 〇これからの俳句活動 來年春に同人誌を立ち上げますので、後進の育成に努めます。「藤沢の俳誌から俳人を育てる」が、先師の北澤瑞史の志だったからです。 同人誌では、同人の方々と同じ立ち位置で、連衆の仲間として、まだまだ未熟な自身の俳句の研鑽にも努めます。 数年前に、ある有名俳人の方が、藤沢の市民俳句大会に講演に来られて、湘南と藤沢について、とても面白くユニークなお話をなされました。そのとき、「藤沢は、湘南の中心なのに目立たないからもっとしっかりしなさい!」と喝を入れられたような気がしました。句集のあとがきにも書きましたが、確かに藤沢の知名度は低いのですが、60年以上前から、市に俳句協会(市協)があり、私が入会した25年前には、多士済々で、300人近くの会員が、手分けして、執筆して、藤沢俳句歳時記を作ったりしていました。市協全体が、連衆意識を持って、熱っぽい雰囲気の中で活動していました。今では、会員数が200人を切り、25年前に最年少に近かった私が、いまだに最年少に近い状態です。「引地川」の俳句は、中学生にもわかる句ばかりですし、市内の中学校や図書館、公民館にも送付しましたので、この句集を読んで、興味を抱いていただける若い方が現れることを期待しています。 〇方向性について 誰の俳句に学びますかと聞かれれば、「芭蕉です」とだけ、答えます。北澤先生の晩年の句に「その人にまだ追ひつけず秋の暮」という句があり、この句の「その人」は芭蕉のことです。芭蕉句の「此の道や行く人なしに秋の暮」の本歌取りになっています。北澤先生が生涯追い求めた芭蕉の俳句、歌仙の世界に少しでも浸ることができれば、他に何も望むことはありません。 あとは、夜一杯飲みながら、「ああ、良い俳句だなあ。」と自分で悦に入る俳句を今後とも少しづつでも、作っていけたらよいかなと。そんな句が100句でも溜まれば、また句集を出すかもしれません。 是非に第2句集にむかってご健吟くださいませ。 俳句仲間と。神谷章夫さんは、前方左から二番目。 場所は江の島の富士見亭。会社の俳句部の吟行時に。 カバー装画を寄せられた尾崎淳子さんより。 「とても素敵な感じにお使いいただき、嬉しくてなりません。字の色、字体、大きさ配置などなど全て本当に良い感じです。」というお言葉をいただいている。尾崎淳子さんは、来年の春、3月に神田の「木の葉画廊」で個展のご予定である。 カバーの用紙はご来社された際にお決め頂きました。 フォントや文字サイズなど、装丁の細やかなところにまでこだわられて出来たデ ザインです。 句集をお作りしている最中に「季の会」主宰になられました。 地元藤沢を思うお気持ちが溢れる句集です。 と、担当した文己さん。 よく笑ふ妻よく光るさくらんぼ 愛妻家の神谷さんが「妻」を詠んだ句のなかで、わたしが一番好きな一句である。 今朝、電信柱に群がっていた椋鳥たち。
by fragie777
| 2022-09-27 20:51
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