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9月22日(木) 社日 旧暦8月27日
朝、出社するとすでにお隣の「レストランなかむら」の解体工事がはじまっていた。 屋根がすっかりはがされている。 野良猫たちがここで日向ぼっこをしていたのだ。 ここに大きな建物が建つとなると随分と景色がかわってくる。 「レストランなかむら」の存在は、わたしたちの仕事場をなんとなく長閑にさせてくれていたのだが。。。 解体作業にともなう音や埃など、しばらくの間、ちょっとたいへんかもしれない。 今日は早い出社の日であったので、仕事時間に眠くなってきた。 しかし、今日やらなくてはならない仕事が山積している。 寝てはいられない。 わたしは、眠気をさますためにバランスボールに乗ってうしろにおおきく身体をしなわせた。 こうすると背筋もきたえられるしね。 ウウウッ…… 苦しいような気持のよいうな。。 で、 その時みたわたしの風景である。 あはっ。 こんな写真、アップして愚かなヤツめって思うでしょ。 バランスボールにのけぞりながら身体をぐらぐらさせて撮ったのよ。身体ごと落ちる可能性もある。 それで目が覚めた。 だから、記念としてここにアップしてみた。 鼻で笑って結構よ。。 さて、新刊紹介をしたい。 伍籐輝之(ごとう・てるゆき)さんの第1句集『PAISA』につぐ 第2句集である。この句集は伍藤暉之さんによって編まれたものであるが、伍藤輝之さんはすでにもうこの世におられない。第1句集にひきつづき第2句集をつくってほしいというご連絡をいただいてより、体調をくずされた暉之さんはご子息を通して句集刊行の作業をすすめられていた。そして、ある日、ご子息の史彦さんから以下のようなメールをいただいたのだった。 「父、暉之の第二句集のご相談をさせて頂いておりますが、原稿をご送付いたします。 尚、父暉之は1月31日に永眠致しました。 最後に印刷して渡した原稿には、手書きで『まだ、自身句が残っているが、うまく 選べない、もう作業時間が無い』と書かれており、死ぬ間際までのものを入れる ことは難しいのは残念ですが、一旦はこちらで発刊を進めたいと思います。 表紙については、PAISAと似た形で、白地でお願いしたいと考えております。中の表紙の色はPAISAが赤でので対のイメージの青でお願いしたいと思います。」 いまは亡き伍藤暉之さんのお気持ちに応えるべく、わたしたちは編集の作業にとりかかった。 担当は文己さん。史彦さんとのメールのやりとりを中心にしての句集作りとなったのだった。 まず、本句集の巻末の史彦さんによる付記を紹介したい。 この付記によって、伍藤輝之さんの俳人像が浮き彫りにされると思う。 伍藤暉之は、昭和十五年三月に生まれ、令和四年一月、八十一歳で永眠した。学生時代に俳句への情熱を持ち、中村草田男の「萬緑」に参加、香西照雄に指導を受けたり、同じく中村草田男に師事している磯貝碧蹄館が幹事を務める「城北句会」に参加したりした。社会人となり、作句は中断していたが、五十歳を超えて、学生時代にもお世話になっていた磯貝碧蹄館が主宰する「握手」に参加し、本格的に作句を再開した。最後の原稿の裏には、「松尾芭蕉・中村草田男の句に強く魅かれ、磯貝碧蹄館の俳句姿勢に影響を受けた」「与謝蕪村、原石鼎、高野素十、松本たかしの句も何度も読む」と手書きされていた。父は死ぬ間際まで俳句を愛し、作句を続けていた。 昨年春、自分の死期が近いことを知った父が、医者に話した言葉は心に残る。「今の自分の日々の楽しみは、公園や庭に行き、身近な草花のうつろいを観ながら季節を感じること。それは、後どのぐらい出来るのでしょうか?」 父が残した茲数年の日誌を見ると、ニワゼキショウやアカツメクサの種を路肩に蒔いた記録が残っている。このように、逞しい野花を愛する父というのが家族にとってのイメージでもある。 その後、父は候補の句をまとめ始め、十年前の第一句集『PAISA』と同じく、愛する映画より名前を取った第二句集の題名と選んだ句を私に渡し、死後に発刊してほしいと託した。そして今年の一月には、改めてあとがきの内容と辞世三句を追加で渡してくれた。三十年以上前に、野山で出会い、庭に植えてから、毎年春に花をつけるニリンソウ。母・家族を愛し、また、逞しき野花を愛した父らしい句と感じている。 暉之さんの俳句を紹介したい。 担当の文己さんの句より。 ビッグ・ベン六月驟雨に光発す 迷宮を抜け来し貌の蜥蜴かな どくだみの白き光を目のあたり 母の忌の梨の甘さの澄み渡る 霜月や向きの乱れし雨の薔薇 明日あると思はば火照る夜の蜜柑 梅散るやまこと小さき花刺繍 二輪草二輪になると妻と待つ 迷宮を抜け来し貌の蜥蜴かな わたしも付箋をはった一句である。こう句に詠まれると、蜥蜴と迷宮ってよく合うなって思った。蜥蜴に出会うときって、草茂るところや石垣の間や暗くてこみ入っていてじめじめしているそんなところで蜥蜴と出くわす、そう、まさに出くわすといった感じがぴったりである。こちらが意識すると蜥蜴もその気配を感じて、ピタリと静止する、あるいは、するっと姿を消すか、要するにものすごく人間の気配や動きに敏感である。作者もたまたま蜥蜴に出くわしたのだ。しかも、真正面から蜥蜴の顔をみすえたのかもしれない。なかなか蜥蜴と真正面で顔を合わすということはできない。おおかた上から見下ろすか、横から見下ろすかであって、その風貌はとらえがたい。しかし、作者おもいもかけず蜥蜴の貌を見ることができた。その眼差しはやや複雑な表情をたたえ、作者になにかを語りたいような風にもみえる。その目は明るい日の光にとまどっていて、まさに迷宮をぬけだしてきたそんな風貌をしていたのだ。この一句からシュールなメルヘンがはじまりそうでもある。そんな気配を漂わせた一句である。 梅散るやまこと小さき花刺繍 可憐な一句である。好きな句だ。梅が散って行くということ、それは桜のように華やかに散っていくのとも違い、時間を折り込むように散ってそれもまた愛おしい。その愛おしい感情と小さな花の刺繍がすごくマッチしている。繊細な感情でよまれた一句だ。この「まこと小さき」という措辞が、いいと思う。ハンカチに刺された刺繍だろうか、あるいはブラウスの衿にポツンと、いろんな想像ができるが、小さければ小さいほど、それが大切なものに思えてくる。そして梅が散っていく時間もまたかけがえのない時間なのである。この句、とても好きかもしれない。 浴衣の子浴衣の父を誇りとす これも好きな一句である。わかりやすい一句にもおもえるが、景としては浴衣姿の親子連れだ。親は父親、子どもは娘か息子はわからないが、ようはどちらでもよくて、浴衣を着た子どもである。いつもとは違うなんだろう、改まった感じでもあり、こそばゆい感じでもあり、なんだかへん?、でも浴衣を着て嬉しいって思っている。恥ずかしいとも。(この感覚はわたしが子どもだった思う感じね)そして、おなじく浴衣を着ている父がいる。いつもとは少し違うお父さんだ。でも、お父さんちっとも恥ずかしそうではなくて、堂々として浴衣姿が決まっている。なんだかいいなあってって誇らしく思ったのだ。この句の良さは、ひとえに「浴衣」にあると思う、「浴衣」は日常着ではいまはないが、しかし格式張ったものではない。糊をきかせた清潔な浴衣をきて夕風に立つ親子がみえてくる。そして、眩しそうにお父さんを見上げる子どもが。夏の一夕の涼やかな風景である。 身すがらの光に籠もる檻の鷲 「檻の鷲」を詠んだ一句である。猛禽類はどうしても心惹かれるものがあるのでわたしは選んでしまった句である。「身すがら」とあるから一羽のみの鷲であることを強調している。その自らの発する光、作者の目にはその鷲みずからが光を発しているように見えたのだ、これもわかる、猛禽類はまぶしいほどカッコいい。さらにぐっとくるのはその光に「籠もる」という神々しいまでの孤独さだ。しかし、そう背ザルを得ないのだ。悲しいまでに。「檻の鷲」であるゆえに。こころ惹かれる一句である。 校正者のみおさんは、「〈そら豆の冷え柔らかき宋磁皿〉の句が好きです。お皿の色はたぶん白だろうな、と想像しました。」と。わたしもそう思います 幸香さんは、「〈ここからは自由席なり草の絮〉が特に好きでした。」と。 私は、自分が最も愛する映画である「バルタザールどこへ行く」から、私のラスト句集の題名を付けることとした。「バルタザールどこへ行く」は映画史上最も美しく穏やかな作品であると思う。 今、(驢馬)バルタザールのように死んでいく自分が見えている。それが見えている自分も分かる。未練を持たず、名残をもって死んでいこう。 作者が書き記した「あとがき」を紹介した。 この「バルタザール」は、ロベール・ブレッソン監督の映画の題名である。 本句集の装釘は、第1句集とおなじく和兎さん。 タイトルは黒メタル箔。 カバーをとった表紙。 見返し。 自序が最初の頁におかれている。 第二句集を「BALTHAZAR」と名付けよう。もちろんロベール・ブレッソンの映画「バルタザールどこへ行く」への目配せである。映画の「驢馬」のように私も死んでいく。最後は静かに目を閉じる。消えていく命の最後の想いは、ただただ妻への感謝の思いだ。 ありがとう。何度もありがとうと言いたい。 伍藤暉之 二輪草の芽生えに妻と微笑むなり 二輪草の芽生えの濃さや妻の声 二輪草二輪になると妻と待つ 辞世3句と題された句である。 芝生の上でお孫さんと図鑑に見入る伍藤輝之氏。 第1句集『PAIZA』と。 ご子息の伍藤史彦氏よりのコメントを抜粋して紹介します。 父の書斎はいつも様々な書籍でいっぱいだった。書籍の内容も、文学、歴史、政 治、建築、映画、音楽等、幅広い範囲の本が積まれていた。また、何かに興味が 湧くと、図書館に行って関連する本を借りて、印刷したり、メモをしたりと、知 識欲が非常に旺盛な人だった。父の死後に書斎を整理する際にも、この年でも続 く知識欲に圧倒されてしまった。 実家に戻り、一緒にお酒を飲む際には、その知識欲から溢れ出てきた思いを聞く ことが何度もあったが、この17文字という短い俳句という形にも溢れ出てきてい るのではないかと思う。なかなか父の表現は難解だが、自分の中の知識と知識、 そして感じたことが繋がり、表現されているように感じる。幅広い知識は、海外 の歴史や地理、思想にも広がっているからか、今回、父の作品を取り纏める中 で、カタカナ、特に地名や人名を含む句が多いなと感じた。 また、父は還暦を過ぎ、会社を退職してからは、母と二人で海外旅行に精力的に 出かけていた。海外旅行に行くと、そのインスピレーションからも沢山の創句を していた。ただ、ここ10年は体力的にもなかなか海外に行くのが難しくなってし まっていたが、私が子供と英国に駐在していた際に、孫へ会いに来ることも含め て、久々に海外に出かけてくれた。子供達と一緒に、ゆっくりとロンドン市内 や、カンタベリー、ストーンヘンジ等も訪れた際の句が含まれているのも、家族 として思い出深い。 好きな一句。 ペルシャ史の碧舞ひ降りぬ犬ふぐり 子供の頃より、父親と公園の芝生に遊びに行く道すがら、雑草と呼ばれる草花を 見つけては、色々と説明を受けた。そのおかげで、2月末頃から、徐々に咲き始 めるオオイヌノフグリを見ると、春が間もなく訪れることを強く感じてしまう。ペルシャ史の碧。父と子供の頃に一緒に色々な図鑑を見ながら色々な 話 を聞いたが、このイメージもその時のものだろうか。私も写真等でしか見た こ とがないイスファハーンの青い建物が思い浮かんでくる。ペルシャから広が るこ の力強く、美しい青。 オオイヌノフグリの、小さくて儚くも、力強いこの青い色に、ペル シャ の歴史を重ねている句が、父の雑草も含めた野の草花への優しい目と父の 知識 欲から溢れる思いが繋がったような感じがしている。 本句集が出来上がったときに、俳人の朝吹英和さんからお電話をいただいた。 「伍藤輝之さんの句集『BALTHAZAR』をいただきました。伍藤さんは、僕が俳句をつくるきっかけを作ってくれた人なのです。伍藤さんが誘ってくれたことがきっかけとなって「握手」に入ることにも。伍藤さんと出会わなかったら、僕は俳句をつくっていなかったでしょう」と。 伍藤輝之さまのご冥福をお祈り申し上げます。
by fragie777
| 2022-09-22 19:38
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