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9月15日(木) 更待月 京都石清水祭 旧暦8月20日
神代水生植物園。 塩辛蜻蛉。 この日はたくさんの蜻蛉が飛んでいた。 網でおおわれた稲田。 この写真ではほぼわからないのだが、網にはいりこんで出られなくなった蜻蛉が網に突き刺さるようにしてあっちこっちで死んでいた。 こんなこまかな網目をどうやって入ったんだろうって思ったがわからなかった。 今日は、昨年亡くなった深見けん二先生の忌日である。もう一年経ってしまったのかと。。。 そして今日は、2018年に亡くなった岡本眸先生の忌日でもある。目下「岡本眸全句集」を刊行すべ編集途上である。 俳誌「初桜」の山田閏子主宰から、今日は深見けん二先生のお墓参りに「初桜」の方々と行かれると伺っている。 また、俳誌「栞」の松岡隆子主宰からも、お墓参りに「栞」の方々と行かれると伺った。 「お写真を是非に送ってくださいませ」とわたしは山田閏子氏へ、また松岡隆子氏へおねがいしたのだった。 明日になってしまうが、このブログで紹介したいと思う。 午後より代送開始である。 が、 わたしの出る幕もなく、スタッフたちがすべてやってくれた。 ありがとう!! 労をねぎらうためにアイスクリームをご馳走すべくセブンイレブンに行った。 写メを撮ってラインで送ってスタッフたちにアイスを選んでもらう。 ずらっと並んでいるアイスクリームをiPhoneでカシャカシャと撮っていたら、「あのう、一応写真撮影禁止なんですけど」ってセブンのスタッフさんに注意されてしまった。 「あらあ、ダメ? 写メとってスタッフに選んで貰おうと思って」と言ったら、「悪用しなければいいです」と許された。 (わたしが悪用するように見えて!)と心の中で抗議しながら。。「ありがとう」とにっこり笑って決行。 そして、なにもしないわたしも一緒にアイスを食べた。美味しかった!! 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 168頁 二句組 田口茉於(たぐち・まお)さんの第1句集『はじまりの音』 (2006年刊)につぐ第2句集である。田口茉於さんは、1973年愛知県生まれ、現在は神奈川県川崎市にお住まいである。1999年「若竹」入会。加古宗也に師事。2003年「若竹俳句賞」新人賞受賞。2020年村上鬼城賞新人賞受賞。現在「若竹」同人、「風のサロン」会員、俳人協会幹事。本句集に加古宗也主宰が帯文を、石田郷子氏が栞文を寄せている。 付箋にも星の輝くクリスマス 茉於は、自分を取りまく世界に思いがけない美しさを見つけては感動し愛しさをおぼえては熱くなったにちがいない。 そして、それを大切に十七音に紡いできた。 そこに爽やかで誠実な詩心を見る。 加古宗也主宰の帯のことばを紹介。 栞よせられた石田郷子氏は、かつて田口茉於さんと職場をおなじくしたというご縁がある。郷子さんが、職場をはなれてからもその交友はつづいているということである。栞より抜粋して紹介したい。 指揮者まづオーボエ鳴らし春の宵 オーケストラの奏でる曲が、オーボエの温かい音色で始まる。一読して緩やかな、初々しさのある表現に思える。しかし、実際にオーボエを吹き鳴らすのは奏者である。ここに俳句らしいデフォルメがあり、即物的な捉え方がある。しかし、作為というものからは程遠く見える。 紅葉散る泉をひとつ隠すほど 夕焼のための初雪かと思ふ 夏の海夜の奥より風生まれ これらの作品を見ると、茉於さんの詩は、清々しい素心が捉えたものであり、対象への接し方も心底爽やかだということに気づかされる。 夜の蝉と淋しいと言ひ泣きし子と さて、こんな句に行き当たると、ただただ、眩しい思いがして立ちすくんでしまう。 今後の茉於さんは、少女となったお嬢さんと、いわば二人三脚のようにして成長してゆかれるのではないだろうか。 本句集の担当は、文己さん。 スプーンに映りて消ゆる春の猫 幼子に抱きしめらるる霜夜かな 誰も背を向け極月の大時計 夜の蝉と淋しいと言ひ泣きし子と たんぽぽを踏まぬやう母と離れぬやう 西瓜切り分ける大人になつてゐる 「お子さんが(もっと大きくなってからでも)この句集を読んだらきっと嬉しいだ ろうなぁと思いました。」と文己さん。 スプーンに映りて消ゆる春の猫 この一句は、石田郷子氏も栞でとりあげている。「テーブルに置かれたカトラリーに偶々映り込んだ物影。それが猫だったかどうかの真偽は措いて、『不思議の国のアリス』に登場する白兎を連想するのは私だけだろうか。」と。そう、それが兎かもと、しかも「不思議な国のアリス」の兎と想像してしまう石田郷子さんがいい。わたしは自分の愛猫の白猫を即座に思ったのだった。ここに登場するのは、やはり白猫でなくては、、、。この春のゆるやかな時間、しかし、よく磨かれたスプーンの銀色、そこに一瞬映ったやわらかな生き物。はっとするほど白い。春の景によく合っている。金属という硬質でできた光を放つ材質感、それは緩やかな曲線を描いてものをややゆがめて映し出す。そこに移った真っ白な柔らかな生物体。すべてが一瞬の春の手触りうちにとらえられたもの。 たんぽぽを踏まぬやう母と離れぬやう まだよちよち歩きの幼子なんだろうなあ。たんぽぽが咲く野にそっと抱き下ろした。「お花踏んじゃだめよ」なんてやさしく母は言い聞かせて。はじめて踏み出す春の野原である。おそるおそるそれでも興味津々でしゃがんでみたり、たんぽぽに触れてみたり、そして駈けだしてみたり、おっとあぶない、たんぽぽを踏みそうになっちゃった。母を振り返る。お母さんは笑っている。ほっと安心。この「やう」は幼子の気持ちでもあるが、母が子どもに寄せる気持でもある。その二つの心がやさしく響き合って春の野を楽しんでいるのだ。 父は子を泣かせて戻る赤蜻蛉 この句にはちょっと笑った、子どもを遊びに連れ出して、子育てに果敢に(?)に挑戦しているお父さんなのに、残念な結果となってしまった。大泣きの子どもと困り顔のお父さんが眼にうかぶ。たんぽぽのお母さんとえらい違いである。赤蜻蛉も心配してついてきたのだろうか。子育てについては大分妻に水をあけられたしまった夫であるが、いいじゃないですか、子どもは泣いて育つっていう位だから、元気に泣けるというのも子どもが萎縮せずよい環境であると思う。子育ても参加することにおおいに意義があるというもんです。こんな状況を一句にしてしまう妻はちょっとずるいかも。。。しかし、これも家族の思い出の一つとなる。 梅雨の月子はさりさりと菓子を食み この一句の魅力は「さりさりと」につきる。梅雨の暗い夜空にふっと現れた月。雲間からほの明るい光が差し込んでくる。子どもが菓子をたべているその音を「さりさりと」と表現した。軽いスナック菓子を食べているのだろうか。あらゆるものが水を含んで湿っぽいそんな鬱陶しい外気の肌触りのなかで、子どものたてる「さりさり」という乾いた咀嚼音のみが、生をうけた者がたてるかろやかな愛しい音として作者に伝わってくる。さりさりという音の聴覚、月の光という視覚、大気の水っぽい触覚、それがさりげなく詠み混まれていて、味覚や嗅覚も呼び起こされるような一句である。 校正スタッフのみおさんは、「〈あたたかや指の形を見てをれば〉の句にとても惹かれました。 体のつくりを改めてじっと見るときの、不思議な満足感とでも言うのでしょうか…「あたたか」がぴったりだと思います。」と。わたしもこの一句は好き。 『付箋』は『はじまりの音』に続く第二句集です。二〇〇七年から二〇二二年春までの作品を編集し、おおよそ経年順にならべました。(略) 一瞬一瞬が積み重なって今がある。十六年分の句を読み直し、俳句はそんな一瞬に付箋をつける作業のように思い「付箋」を句集名といたしました。 「あとがき」を抜粋して紹介。 本句集の装釘は和兎さん。 タイトルは、ツヤ消しの金箔押し。 表紙。 扉。 くちなしの匂ひや父と会はぬ日々 第一句集『はじまりの音』から十六年、この間に娘を産み、それから半年ほど後に私自身の父を失いました。無口だった父の不在の時間は、ただ会えない日々が続いているようでもあり、いつもすぐそばにいてくれるようでもあります。(「あとがき」) 句集上梓後のお気持ちを伺った。 日々、仕事に俳句に慌ただしく過ごしていてまったく良い母ではないのですが、読み返してみると、子どもを詠んだ句の多い句集になってしまいました。 あっという間に過ぎゆく日々をなんとか言い留めておきたかったのかもしれません。 日常のあまりに何気ない風景を詠んだ句ばかりにも思いますが、一句でも何か感じてもらえる句があったら嬉しいです。 文己さんにいただいたメールは、 内容以上の素敵な句集にしていただき改めて、本当にありがとうございました。丁寧にご対応いただいた、句集を編む時間も宝物になりそうです。 金の箔押しも素敵に仕上がっていて嬉しいです! みなさん装丁をすごく褒めてくださいます。 第1句集にひきつづきのご縁をいただき、有り難うございました。 子育て、ご夫婦で頑張ってくださいませ。
by fragie777
| 2022-09-15 19:32
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Comments(2)
毎朝、お気に入りのブログを順に読んでいくのですが、
yamaokaさんのブログの前に読んだブログの中に、読売新聞に掲載された田口さんの俳句がありました。何も知らずにココに来て「え?田口さんって、さっきの・・・」とビックリ。こんな事もあるんですね。ちなみにその記事の場所は、https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/entry-12764496231.html です。
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