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9月5日(月) 旧暦8月10日
丸池公園に咲いていた萩の花。 水へ垂れ下がるようにして咲いていた。 今日はふたたび俳句文学館へ行く。 早めに出て、すこし早めにかえってきた。 総合誌「俳句とエッセイ」は調べあげた。 さらにあと数冊の総合誌が残っている。 3日付けの愛媛新聞の土肥あき子さんによる「季のうた」で、片山一行句集『凍蝶の石』より一句が紹介されている。 虫時雨ふつと間合ひの入り込む 片山一行 「掲句は「間合い」としたことで、虫時雨の音楽性が強調され、葉陰にひそむ虫たちに生き生きとして表情を持たせた。」と土肥さん。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル帯有り 206頁 二句組 2018年に第1句集『星屑珈琲店』を上梓された山田牧(やまだ・ぼく)さんの第2句集である。山田牧さんは、1972年東京生まれ、現在は東京杉並区でカフェ「宵待屋珈琲店」を経営しておられる。2012年に「未来図」に入会、2014年「未来図」新人賞を受賞。「未来図」終刊より後継誌「磁石」入会。第1句集『星屑珈琲店』では、第15回日本詩歌句協会 俳句四季賞を受賞され、また、第17回日本詩歌句協会随筆評論部門では、「1375」にて協会賞を受賞されている。「磁石」同人 俳人協会会員。本句集に、帯裏の15句を依田善朗主宰が抄出し、角谷昌子氏が跋文を寄せている。また、巻末にエッセイ「『1375』─ 青き方舟の片隅にて」を付している。 本句集のタイトルは、 地球てふ青き方舟終戦忌 による。 跋文を書かれた角谷昌子さんは、たくさんの句を引用しながら、山田牧という俳人の美質にふれているが、ここでは前半の数行と後半の数行を紹介することでお許しいただいたいと思う。タイトルは「輝く言葉」。 このたび牧さんが四十代の最後に、第二句集『青き方舟』を刊行することとなった。第一句集『星屑珈琲店』は天体に関する作品が多く、詩情豊かな時空の広がりが評価され、日本詩歌句協会の俳句四季賞を受賞した。その後も努力を惜しまず、近ごろは描写力も一段と増したと思う。 うつし世の出入口なす茅の輪かな 水無月の夏越の祓に、社殿の前などに立てられた「茅の輪」をくぐって無病息災、厄除けを祈願する。感染症拡大で自粛生活を強いられている「うつし世」ならば、茅の輪に対する思いも深くなる。くぐり抜けて瑞々しい若葉青葉を仰げば、安堵の思いとともに、どこか別の世界に踏み込んだような気がする。「茅の輪」は異界と往還する「出入口」となって、現世から不思議な時空が開けそうだ。牧さんはこれからも、さらなる高みを目指すに違いない。 本句集の担当は、文己さん。 うつし世の出入口なす茅の輪かな 一斉に風に従ふ芥子の花 四方より覗き込まるる目高の子 冬木立呼び止められてゐるやうな 師の声の耳に残りぬ花菖蒲 十二月蛇口きつめに締めにけり 師の声の耳に残りぬ花菖蒲 この師は一昨年亡くなられた俳人・鍵和田秞子のことである。跋で角谷昌子さんが鍵和田秞子主宰の「花菖蒲」の句をたくさんとりあげ、「牧さんは主宰を偲び、花菖蒲の句を供花として捧げようとしたのだ。菖蒲の花のふんわりと垂れた花びらの中心から、亡き主宰の声がかすかに語りかけてくるようだ。」と書かれている。あとがきで、山田牧さんは、「「未来図」という言葉に期待を膨らませ入門して九年弱、「自分であること」の大切さと難しさを学んだ。」と書かれている。「師の声の耳に残りぬ」とあるが、鍵和田秞子氏は、声のきれいな方だった。やや高めでよく通る声をされていた。わたしの耳にもその声が甦ってくる。華やかな雰囲気を持っておられたが、花菖蒲のような凛とした佇まいでおありだった。背筋を正して花菖蒲をみつめながら師を思う山田牧さんが彷彿としてくる。 十二月蛇口きつめに締めにけり 蛇口をきつく締めたという、それも十二月だからという意味にとれる。他の月では成り立たないか、いま頭のなかでいろいろと月を置いてみた。ううむ、やはり十二月だと思う。一年がおわり新しい年がやってくるそんな十二月という月、おのずと気合いがはいろうってものだ。一年の総括としての気合い、そして新しい年にむけての気合い、そんな気合いがおりにつけて身体をみたすのが十二月という月なのかもしれない。「蛇口をきつめに締める」というまさに具体的な誰もが行う行為をとおして、十二月という季節の手触りを定着させたのである。シンプルであるが説得力のある一句だと思う。 秋日濃し焦がしバターに足す醬油 ちょうど今頃の一句か。美味そうな一句である。作者は経営する珈琲店で、プリンを提供しているようであるが、ほかにトーストとかもあるのかしら。この一句はお店の状況なのかそれとも家での料理なのかわからないが、いずれにしても美味しいものを作ることが上手そうである。バターの焦げた匂いのなかに醤油の香りがまざって、すぐにどんな風味であるか想像できる。「秋日濃し」という季語が、その味の豊潤さをさらに濃密にしてくれるようだ。夏の暑さのなかでは、どうしてもさっぱりしたものへと嗜好がかたむく。その夏が過ぎ、いよいよ食欲の秋である。いいんじゃないですか、漕がしバターの濃厚さ、そして醤油の味、秋なればこそのものである。味覚、嗅覚、視覚すべてに秋がしみこみつつある。 けふのもの脱ぎて月光浴びにけり 月光に重さあるらむ髪をすく 月光の句が二句並んでいる。月光を身体感覚でうけとめているのだ。「けふのもの脱ぎて」という措辞に、一日の労働とそれにまつわる雑事が染み込んだ今日の衣服を脱ぎ捨てるという、たぶん仕事人としての自分を解放させたいのだと思った。ただ、衣服を脱ぐという物理的なことのみならず、それが纏っているものからの解放、脱出(?)なのだ。そしてペルソナを脱ぎ捨てた素の人間となって月の光を思う存分浴びたい、あたかも月の光が自身を聖別してくれるかのように。そんな月光なのかもしれないとわたしは思ったのである。髪をすくその肉体にも月光はおよび、しかも作者はその月の光の重さを感じているのだ。髪を梳く行為をとおして、その月の光の重さも全身で感じる、それもまた充足した時間なのである、作者にとって。 校正者のみおさんは、「水引くやうに」眠りに落ちるときって確かにある…と頷きました。」ということで次の一句を。 大寒や水引くやうに眠りたる おなじく校正者の幸香さんは、 風船のひとつ先立ち除幕式 をあげ、「随想も素敵でした」と。 随想は山田牧さんの生き生きとした文体が魅力のエッセイである。 今年は御陰様で宵待屋珈琲店は十五周年、句作十年を迎える事が出来た。第二句集刊行を勧めて下さった角谷昌子さんには御多忙の中、多大な御尽力を賜った。初学の頃よりずっと側で見守って下さった大恩人である。更に「磁石」依田善朗主宰には、細やかに沢山の選句を賜った。丁寧に読み解いて頂き感謝でいっぱいである。並びにネット句会を用意頂き参加を共にして下さった俳友の皆様、誠にありがとうございました。本当に幸せな貴重な学びの時間を持つ事が出来ました。世界が混乱する中、句集作りに励めた事はまるで不意にプレゼントを頂いた心地である。 この『青き方舟』の出版は自身への楔として取り組んだ。それでも相変わらず自分はいつまでも揺れ続け迷い続け、何かの力に成り得ないのかと思い悩むだろう。それしか出来ないのだ。非力なのだ。それでも。ちっぽけな楔であろうと「未来図」を望む地球の一員で在り続けたいと願うのである。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 「宵待屋珈琲店」は15周年を迎えられたのですね。おめでとうございます。 本句集の装釘は、第1句集と同じく、ご夫君の山田勝弥氏の手によるものである。 星の流れる音が聞こえてくるような、物語性にみちた1冊である。 扉。 動かざる力あるなり寒の水 句集上梓後のお気持ちを伺ってみると、 ◆「俳句について考えてみました」という内容の文章をいただいたので紹介します。 表現をしようとすると、すでに過去になったものを引っ張り出して創作する訳な ので、それが本当の感動なのか何なのだか本当のところ分からないなぁ、という 気持ちがいつもどこかにあります。 幼い頃は、あまり自分の気持ちを出す性格ではなくて。今こんな事を言って もいいのだろうか、自分のこの気持ちって本心だろうか、もうひとりの自分と話 をする時間が多くて。そうした事が自分の詩心の元であったとだいぶ後になって 気付きました。木の葉を踏んだ時のいとも簡単に形が崩れる寂しさとか、天を指 して咲く木蓮の姿に励まされたりとか、切れた蜥蜴の尻尾を動かなくなるまで見 届ける毒味な好奇心とか、それらひとつひとつを等しく大事に思ってました。 俳句はようやっと手にいれた表現手段です。それでも真空パックしたつもり のひとつひとつを言葉にしようとすると何だか少し違った場所に落ち着いてしま います。時間の流れと共に。それは創作の宿命か、嘘ではないが本当だろうか、 いや嘘か、あれやこれやとむにゃむにゃ一巡したりして。結局俳句は、過去の自分と話をする手段でもあるのかもしれません。タイムマシーンみたいです。急に 幼い気持ちに戻ったりするし。 今回の出版は思いもよらず降って来たチャンスでした。当店の舵取りと同じ く、その時その時の波に乗れるだけ乗ってみる、そんな風にしばらく俳句の舟に 乗りたいと考えてます。たまにひっくり返りそうですが…その時はその時で。です。 山田牧さん。 今日の新宿駅のプラットホームにて。
by fragie777
| 2022-09-05 19:37
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