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9月2日(金) 禾乃登(こくものすなわちみのる) 旧暦8月7日
雨に濡れた木槿の花。 昨夜のこと、夜中に歯が痛くなって目がさめた。 理由はわかっている。 痛み止めを飲むとおさまった。 ということで、先ほど歯医者に行き戻ったところである。 麻酔の注射がすごく痛かった。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 184頁 二句組 著者の西嶋久美子(にしじま・くみこ)さんは、昭和18年(2006)神奈川県横浜市生まれ、現在は千葉県柏市在住。平成25年(2013)に「鴫柏支部句会」に入会、平成27年(2015)「鴫俳句会」に入会、平成30年(2019)鴫同人。俳人協会会員である。本句集は、第1句集であり、序文を「鴫俳句会」の高橋道子代表が寄せている。 衒いや狙いのまず見えない、穏やかで落ち着いた句柄が特長といえそうな久美子さんだが、ここで、その印象を覆すような、そして久美子さんの今後の作句の本領はそちらに向かうかとも思われるような、深い観察、透徹した感性の句をあげてみたい。 本音にも脚色のあり夕端居 引き返すことなきひとり芒原 紅葉谷魔女の住処か家二軒 岩砕く鰐の歯となる冬怒濤 灯火親し色褪せぬアンダーライン 山動くこともありしか枯葉踏む 句集名になった 空白の時綴るごと花吹雪 もこれらのうちの一句であろう。花吹雪のただなかにいるときの、すべてが空白─無になってゆくような、それでいて永遠が感じられるような不思議な感覚をとらえている。 「桜吹雪」の中から生まれた一句なのだ。「空白の時」というやや小説的なタイトルも桜花より生まれたのかと思うと頷けるものがある。 本句集の担当はPさん。Pさんの好きな句を紹介したい。 クレソンを岸に集めて水流る 硯洗ふ児等の指先力あり 夫婦して子の土産なる風邪貰ふ 早春の風の尖りを胸に受く 大皿に波音と盛る初鰹 来し方の佳きこと掬ひ毛糸編む 連合ひとペアのジーンズ花野ゆく 皮剥きは夫の役なり栗御強 早春の風の尖りを胸に受く 早春に吹く風は、まだまだ冷たい。その風の冷たさを「風の尖り」と受け止めたところに詩がうまれた。その風の尖りを受けた止めたのは春へと開かれたやわらなか胸である。すでに厚手の外套は脱ぎ捨て、やや薄手のコートに身をつつんでいるのだろう。それゆえに「風のとがり」はするどく作者の胸に差し込んでくる。早春という一時期でしか生まれない一句である。 来し方の佳きこと掬ひ毛糸編む 幸せな充足感に充ちた毛糸編みである。毛糸を編むという行為はある意味では単純作業である。毛糸を編みながらいろんな思いを巡らすことができるのだろう。(実はわたしは毛糸を編んだのは高校性の時ぐらいしかないが)作者はきっとプラス志向の方なんだと思う。これまで生きてきた良き思い出をひとつひとつ思い出しながら毛糸を掬っていく。満ち足りたひとときである。悲しいことや悔しいことなどを思い出したりしながら、毛糸を編みすすんだら、きっと不揃いの網目のものが出来上がってしまうだろう。佳きことの思い出を編み込まれたものは、なぜかあたたかさが充満していてそれを身につける人をも幸せにしそうである。 連合ひとペアのジーンズ花野ゆく 皮剥きは夫の役なり栗御強 仲のよろしいご夫妻である。著者の西嶋久美子さんは、小学校の先生をしておられた方であり、ご夫君もまた教職につかれた方と序文にある。句集にはしばしご夫君が登場する。学生時代からの友人であったというご夫君である。いい感じで家事育児を分担して来られたようだ。その関係は、お二人が定年退職をされてももちろん続いているのだ。「連合ひ」という言い方がとてもいい。まさに対等であり、若きときも老いてもそうやって二人で足並みをそろえてやって来られたのだ。日常の家事などはともに助け合い、遊びにいくときは二人で楽しむ。素晴らしい夫婦関係である。そして月の美しい夜には、〈二人して唯黙し居り良夜かな〉。ただ黙って月に照らされているときも、充足した時間が流れる。 本音にも脚色のあり夕端居 これはわたしが面白いと思った一句。ご近所の人も加わって夕方に縁側やベンチで端居をしているのだろうか。本音を脚色しているのは、作者ご本人か、それともその場の誰か(お連れ合いとか)が話している本音のなかに脚色を感じとっているのか、多分後者だと思うのだが、本音を知っているがゆえにそのわずかな脚色にクスリと笑ってしまう。本音を言うってなかなか難しい。気心のしれた関係でもね。だから耳かき一杯程度の脚色をして、言ってみる。それが許されるのは端居における関係性である。夕涼みをしながら忌憚のないおしゃべりができる端居。21世紀にも残しておきたい光景である。 初日記先づは嬉しきことを書く 後半の一句であるが、こういう一句にもまさに作者西嶋久美子さんの人生に対するポジティブな生き方がみえるというもの。 母の死の枕辺に句集が置かれていた。百歳の前に上梓した祖父の第二句集だった。 定年退職後、この句集を読み終えた時、祖父の温かい笑顔と幼い頃の私の姿が一瞬にして甦った。母の想いが心に滲みた。 生きた証として句集を残したいという思いが心の奥に芽生えた。 空白の時綴るごと花吹雪 令和三年「鴫」四月例会で髙橋道子代表の特選一句に選んでいただいた。 今まで意識していなかった「空白の時」を改めて思い、生きることへの感謝と賛歌を伝えたいと思った。 そして、このことをきっかけに句集上梓を心に決めた。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 装画はやはり桜となった。 表紙はご本人の希望により、布ではなく紙に印刷。 見返し。 「句はその人にとって宝物のようなものなのだから」と、励まして下さった髙橋道子代表のお言葉に支えられ、上梓に向けて前向きに取り組むことができた。(著者・あとがき) 句集上梓後のお気持ちを伺ってみた。 (1)お手元に届いた時のお気持ちは。 暫くは、夢の中にいような気持ちでしたが、少しずつ夢が実現した喜びが湧いてきました。 (2)初めての句集についてを編むということは。 無我我夢中で、歩んできた我が道を振り返って見ると、いつも多くの人々に支えられ、助けられ、導かれ、温かな目に囲まれて、生きてきたことへの感謝の念、そして、何気ない日常の有りがたさを伝えたいと思います。 (3)今後の句作への思い 今、スタートラインに立たせて頂いたこの気持ちを大切に、人や自然の素晴らしさを自分の言葉で表現できるように努力したいと思います。 山動くこともありしか枯葉踏む この一句から、さらに新しい俳句の世界がみえてきそうですね、西嶋久美子さま。
by fragie777
| 2022-09-02 19:18
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