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8月30日(火) 旧暦8月4日
桜の木にすがるようにして弱々しく鳴いていた油蝉。 季語でいうところの「残る蝉」である。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、吉田成子著『桂信子の百句』より。 秋嶺の闇に入らむとなほ容(かたち) 桂信子 「気高い稜線のシルエットを残したまま」秋嶺が闇に入っていくとあり、この気高さは桂信子というその人にも通じるものがあると思った。死後すでに20年近くになろうとしているが、作品を読めば、その背後にはゆるがぬ気高さがあり読者の心に迫る。 今日はお昼過ぎより新宿区大久保にある俳句文学館に行く。 文学館の閲覧室に用があるのだ。 8月のうちにすべてを終わらせる予定だったが、時間を見つけられずやっと今日となった。 俳句文学館は、突き当たりの煉瓦色の建物。 この「百人町(ひゃくにんちょう)」という地名がとても好き。 目下、『綾部仁喜全句集』の編集只中である。 「泉」主宰の藤本美和子さんが中心になってすすめておられるが、年譜製作を版元であるふらんす堂もお手伝いをしているのである。 過去の総合誌などを中心にあたり、綾部先生が作品を発表したり文章を執筆したりしている箇所をピックアップしていく作業をすすめている。 国立国会図書館のオンラインで調べられるところは調べあげ、あとはそこに調べ切れないものを(こっちの方がたくさんある)追加していくのである。今日は「俳句とエッセイ」を中心に調べたのだが、途中でタイムアップ。やりきれなかった。 「俳句とエッセイ」はわたしが20代から30代にかけて5年間編集スタッフとして働いたこともあって、そこに綾部先生に執筆を何度も依頼したことがあるので、「俳句とエッセイ」への執筆は是非とも年譜に記載しておきたかったのである。 目の前にどっさりと雑誌をつんで、ひとつひとつ目次を丹念に見ていくのであるが、あの頃のことが思い出されてなつかしくまた、読んでおきたい記事などにぶつかってしまい、そこで思わず手がとまってしまう。 その一つ、昭和50年(1975)の8月号の「石川桂郎特集」に水原秋櫻子がエッセイを寄せている。「石川桂郎君の横顔」と題して。もっか、南うみをさん執筆によって「石川桂郎の百句」が進んでいる。(南うみをさん、この記事ご存じかしら……)などと思うと、これもコピーして貰おうっていうことになる。あらためて読んでみるととてもいいエッセイである。秋櫻子の家にふらりとやってきた桂郎が、鋏と剃刀をとりだして秋櫻子の散髪とひげ剃りをするという話が入っているのだが、桂郎の理髪師としての腕前に秋櫻子が驚くというもの。あるいは、俳句会をあたらしく作った桂郎に依頼されて秋櫻子がその句会に行くという話なのだが、行くための条件として「御礼には蒲公英を二株用意して欲しい」と秋櫻子が頼むのである。その理由も書かれているのだが、結局秋櫻子はその句会に行って蒲公英の株を貰ってくるのである。これは桂郎の懐具合を案じた秋櫻子のやさしい心配りなのだと思うが、そういうやりとりがさりがなく書かれていてとてもいいのである。 わたしはこのエッセイをスキャンして南うみをさんに先ほどメールでお送りしたのだった。 こんな具合で、読みたい記事が満載であるが、ともかくも用を果たさねばならないので、おおかたは目をつぶって先へいそぐことにした、が、まだまだ、閲覧室には通わなくてはならなくなりそうである。時間を見つけて。。。今度はいつ行けるかしら。コピーもお願いしたままである。 大久保駅のプラットホームから曇り空の新宿をのぞむ。 民族衣装(タイのかしら)をまとった美しい女性たちが改札口へ向かっていった。 明日は、税金の支払いなどがあるので行けないな。。。 苦瓜の花。
by fragie777
| 2022-08-30 19:27
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