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8月28日(日) 旧暦8月2日
今日はだいぶ涼しい。 新涼の思いをふかくする。 夕方にご近所を散歩する。 ご近所の畑の高砂百合。 雨水をたくさんつけている。 高砂百合も大方枯れて数本を残すばかりである。 今日の朝日新聞の「俳句時評」では阪西敦子さんが、「句集の余韻」と題して、30代、40代の句集をとりあげていた。抜粋して紹介したい。ふらんす堂刊行では、髙柳克弘句集『涼しき無』と杉原祐之句集『十一月の橋』。 髙柳克弘の第三句集『涼しき無』。〈子のクレヨン野分の如く父を描く〉。子の自在な手元が、無邪気に描く父の一面。〈電車止まりし理由みな知る冬青空〉。青空の明るさの一方の暗黙の空気。見えないものを掬う視線が鋭い。 杉原祐之の第二句集『十一月の橋』。〈壇上の麦茶の滴だらけなる〉の招かれた人に供する濡れそぼつグラス、〈終戦の日のシャワーからお湯が出る〉のお湯が出る日常。淡々とした句はアンバランスな現実を突きつける。 「多彩な句集を紹介したい」として、ほかに、堀本祐樹第二句集『一粟(いちぞく)』(駿河台出版社)〈夕立来るおとやほどなく音のなか〉。小川楓子句集『ことり』(港の人)〈ふくろふさがしてスウイッチ切る感じで〉。越智友亮(ゆうすけ)第一句集『ふつうの未来』(左右社)〈早起きに一日長し霞草〉。 句集となることで、一句よりも鮮明に見える余韻あるいは視座。言葉がまとうものも味わいたい。 と阪西敦子さん。 今日は、岸本尚毅著『山口青邨の百句』より。 泣く時は泣くべし萩が咲けば秋 『芲宰相』 昭和二十年 「八月十五日承詔」と前書がある。虚子には「秋蟬も泣き蓑虫も泣くのみぞ」がある。当時虚子は七十一歳。文字通り「これは挨拶でございます」という体の句。お能のシオリのようで、感情の露わさ、生々しさは感じられない。 一方の青邨の句は、雅量を保ちつつも敗戦に対する悲しみは率直だ。青邨は当時五十三歳。両句の肌合いの違いは句風の違いか、年齢の違いか。 多くの思いをわたしたちに呼び起こす八月も終わろうとしている。 そして、 仕事の上では、今週もいくつかの課題がある。 ひとつひとつに向き合っていくしかない。 気を引き締めていこう。 今朝、久しぶりにバッハの無伴奏チェロを聴いた。 奏者はカザルスだ。 ヨーヨーマなど他の奏者もいるのだけど、若かりし時に聴いた奏者にどうしてもなってしまう。 そういう意味ではわたしは随分と保守的だ。 島忠に行ったついでに食べたソフトクリーム。 ここのは美味いのよ。
by fragie777
| 2022-08-28 21:06
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