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8月26日(金) 旧暦7月29日
谷保天神の裏の梅林に咲いていた狐の剃刀(きつねのかみそり)。 同じ日に、この先の城山でみた狐の剃刀よりも赤の色が濃い。 日当たりの問題なのだろうか。 しかし、この数本のみであった。 マイナンバーカードをまだつくってなかったのでつくるべく、まず写真を撮ることにした。 「ちゃんと写真屋さんに行って、マイナンバーカードをつくるので写真をお願いしますって言って撮った方がいいですよ」って周りが言うのでそうした。 そして「ちゃんとモッテ下さいって言うんですよ」とも。 「モッテ?」それなんだ? 「盛って」。つまりは本人以上に良く撮ってもらうっていうことらしい。 で、写真屋さんに行って、「あのう、モッテ撮ってください」とは言えず、「すこしでも綺麗に撮ってください」って言った。 そしたら、写真屋さんのマダムはにっこりと笑って、「大丈夫ですよ、十分お綺麗だから」ってちょっと口ごもるように(お世辞に自信がないように)言ったので、「フフフ、お任せします」って私。しようがないよね、あるようにしか写らないんだから。 結果は何枚か撮ってもらって、その中から選んだのだが、かなりモラレていたと思う。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル 174頁 二句組 著者の亀井千代志(かめい・ちよし)さんは、昭和38年(1963)生まれ、東京在住。平成18年(2006)「椋俳句会」(石田郷子代表)に入会。平成30年(2018)第9回椋年間賞受賞。俳人協会会員。本句集は第1句集となる。 石田郷子代表が、序句を寄せている。 スマッシュに文月の鷹を見し思ひ 郷子 本書は、椋俳句会に入会した平成十八年から、平成三十一年(令和元年)までの、十四年間の句から、二九一句を収載したものです。改めて眺めてみると、夏の句が多く、自分でも不思議に思います。吟行や旅行など、出かけることが多かったせいもありますが、夏は私の好きな季節ですので、自然とこうなったのかもしれません。 「あとがき」を紹介した。 本句集は、全体を6章にわけて、新年からはじまり冬で終わるかたちである。夏の句が多いと「あとがき」で書かれているが、6章のうち夏に2章を費やしている。しかし、きわめて自然体なかたちで編まれているので、読者は季節のゆったりとした移り変わりを俳句をとおして味わうことができ、読後が爽やかである。第1句集は比較的編年体で構成されることが多いのであるが、一四年間の作品を二九一句にしぼってこのように四季別に編集されたのは、著者の意識的な編集意図によるものであると思う。 追羽子のスマッシュそれを返しけり 句集名ともなった一句であり、本句集の冒頭におかれている。句集名、序句、第一句目にあるこの「スマッシュ」がまず読者の脳裡に焼き付けられてわたしたちは頁を繰ることになる。 本句集の担当は、Pさん。 誘はれて引く大吉の初御籤 赤き実を赤くし春の雪消ゆる 耕しの男ふり返りもせずに 枝先を折りたる音や夏はじめ 芹の花をとこは風を嬉しがり 秋風にぺたんと猫の痩せてをり 芋虫に眠たき色のありにけり 寒き眼をディスプレイより上げにけり 赤き実を赤くし春の雪消ゆる Pさんの好きな一句である。この景はわたしにも覚えがある。この赤き実はなんの実だろうか。わたしの経験でいくと南天の実だ。そうでないかもしれない、ここでは何の実であるかが問題なのではないが、春の雪がふる季節にはよく出会う景色である。水分をたっぷりふくんだ春の雪であるから、その雪が解けていくときには実は濡れて光っている。その一瞬の景をとらえた一句だ。すうっと春の雪が消えていくさままで目にうかぶ。残るは真っ赤な実のみ。この句の眼目は、「濡れた」とかにせず、「赤きを赤くし」という措辞であると思う。それが消えていこうとする春の雪の仕業であるということだ。先入観のない無心の目をこの一句に思う。 芹の花をとこは風を嬉しがり 風をうれしがっている男って、どんな状態なんだろう。たぶんこの「をとこ」のなかには、亀井千代志さんご自身もいるような気がする。あるいは、ご自身のことかも。それはどうでもいいことかもしれないが、風をうれしがる男っていいな。。しかも「芹の花」である。湿地などに群生していて決して派手な花ではない。楚々とした花だ。見過ごしてしまうかもしれない。夏の日ある日俳句仲間たちと水辺を歩いていたら、芹の花が咲いているのに気づいた。「おお、芹の花が咲いているぞ」なんて言って立ち止まる。そこに水辺より一陣の風が吹き上げた。なんという涼しさ。「いいねえー」って隣りにいる男が嬉しそうにいう。作者も大きくうなずき、風をあじわう。「喜びぬ」という下五ではなく、「嬉しがり」という言葉によって手放しで風をよろこぶ喜々とした童心がみえてくる。 水遊びしたりカレーを食べてたり これはわたしの好きな句である。水遊びにカレーはつきものである。水遊びをしながらカレーも食べて元気な夏休みの子どもの一瞬の風景をとらえた句であり、作者はその風景をみて作った一句なのであろうが、わたしが思うに作者もこの句のなかに入り込んでいるのだ。自身がまるで水遊びをしたりカレーを食べていたりして楽しんでいる、それを思わせる一句である。いいよなあ、って思う。つまりはこの作者が失うことのない童心がいいのである。本句集にはその童心がいたるところに潜んでいるのだ。ほかにもカレーの句で〈甘口のカレーが好きでハンモック〉というのがあってこれも好き。 鵙啼いてをりぬそれでも負けは負け この一句も面白い。まるで少年同士がなにか勝負をして、負けてしまって悔しがっている、そんな情景がみえてくる。負けたことを受け入れられずに悔し涙をあふれさせているのかもしれない。だけど「負けは負け」だよって。「鵙啼いてをりぬ」という措辞がおもしろく、この勝負の場面に鵙もはげしく啼いて抗議しているのかもしれないが、不思議ととぼけた感触もある。あるいは大人がなにかの勝負で負けて悔しがりながら自身を納得させようとしているのかもしれないが、どこかギスギスしていないのはすこしゆるやかな俳句の文体の所為であるか。 おそろしき隣の人の日焼けかな この句もうなずける一句だ。真っ黒に日焼けしている人を「おそろしき」と思うことってある。その気持ちを手放しで一句にしたのである。この「おそろしき」は「日焼け」にかかるおそろしきであって、日焼けをしていなかったら隣の人はきっとおそろしくない人だろう。そうしてあまりにも凄い日焼けなのでなんども隣の人を見てしまう。驚いているさまが目にみえてくるようだ。、ここにも少年のような心があって、ただただ驚いているのである。 亀井千代志さんの句集『スマッシュ』を読んでいると、あらうる武装を解き放ってただただ素直にその対象に向き合うそんな心がみえてくる。だから読み手のこころもまた自然と武装解除されてしまう。いろんな読みができるかもしれないがわたしにはそれが魅力である。 だから、 贋物をつかまされさう年の果 十分にお気をつけくださいませね。 収載句の多くは、国立市の矢川緑地、谷保・城山公園、そして飯能市の名栗を吟行し、句会で切磋琢磨して成ったものです。繰り返し同じ場に立つことによって、季節の移り変わりとそれに伴う小さな変化や人の営みを感じとることができるのは、何よりも幸せなことです。また、句友による忌憚のない合評が糧となって、この句集に結実しています。 「あとがき」をふたたび抜粋して紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 タイトルはツヤ消し銀箔。 専攻は土木と聞きし花の下 この句も好きな句である。「花の下」というのがいい。桜の花の下で、すこし改まった会話をしているのだろうか。あるいは、すこし前に会った人のことを思い出しているのだろうか。「土木と聞きし」の「土木」のがいい。「土木」というのだから、土木学を学んだ人なのか、「土木」という言葉のもつひびきの重力感と手触りが花の下によって際立つ。さりげない一句だけど、類想感がない。 句集上梓後のお気持ちをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 箱を開けて、梱包を解くときのドキドキ感は例えようがないです。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい とにかく造本をシンプルにという思いがあったので、それが形にできて嬉しいです。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 これまで通り、椋俳句会の皆様と、歩き、句座を囲み、楽しみながら表現を高め合うことを続けます。 亀井千代志さん いつも吟行する国立・城山公園を背景に。 用水のあふるるばかり螢草 千代志 亀井千代志さんは、ホームページをお持ちなので以下にご紹介します。 →note 是非にアクセスを。 谷保の蛍草である。
by fragie777
| 2022-08-26 19:32
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Comments(2)
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