ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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頭の中は、いつも動植物のありようで過ぎてきました。。。

8月10日(水)   旧暦7月13日


頭の中は、いつも動植物のありようで過ぎてきました。。。_f0071480_16022769.jpg
神代植物園。

かならずこの橋をわたる。
先は睡蓮の池へとつづいている。
右はメタセコイヤの木々がつづく。


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橋の反対側は紫陽花などがさく小径にそって小川がながれる。



頭の中は、いつも動植物のありようで過ぎてきました。。。_f0071480_16023288.jpg


この道もかならず通る。

ずっと先に行くと、左手は梅林、右手は椿の林がみえてくる。
冬や春はこちら側から歩くことにしている。
この日は、蜩が鳴き交わしていた。



今日はお盆休みまえということなので、スタッフが勢揃いして仕事にはげむ。
パートのIさんにも遅くまで残ってもらって、手伝ってもらう。
お盆休みでも、わたしはできるだけ仕事場に来て、仕事をしたいと思うけれど、ついなまけ心が出てしまってだらだらを過ごしてしまう可能性も大いにあり。
働きものではないので、どうしても易きへ心が動いてしまう自分がいる。
まあ、そうなったとしても許してあげてくださいな。
R体に鞭打って(?)働いているんですからー-。





新刊紹介をしたい。


東幸盛歌集『木洩陽』(こもれび)。


頭の中は、いつも動植物のありようで過ぎてきました。。。_f0071480_16030463.jpg
四六判ハードカバー装函入り(上)(下)二冊本 (上)284頁 (下)200頁  それぞれ一首組。



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著者の東幸盛(あずま・ゆきもり)さんは、昭和2年(1927)北海道生まれ、現在も北海道旭川市にお住まいである。今年95歳になられる。平成22年(2010)より短歌をはじめ、現在は「北海道アララギ」「旭川アララギ」の会員である。本歌集は、ご息女の東規絵さん、東視織さんのお二人のご尽力によって一冊となったものである。すべての連絡は東規絵さんによってなされ、お父さまの幸盛さまのご意向なども規絵さんを通して担当の文己さんに伝えられたのだった。
お父さまのために姉妹が情熱をもって力をつくされて出来上がった歌集である。
最近ではあまり見られない上製本2冊本で布装の函入りの贅沢なしつらえの本である。
本歌集『木洩陽(上)』は、平成22年から平成27年の短歌を収録、『木洩陽(下)』は平成28年から令和3年までの短歌を収録。歌の脇にはそれぞれ年月が記されている。


 北風は雪の匂ひを運び来る原野の葦は枯れて揺るるも   
                        平成二十三年十一月


八十歳を過ぎてから始めた短歌の世界。自然が好きで、庭の植物を中心に四季のうつろいを短歌に托して残してきました。
頭の中は、いつも動植物のありようで過ぎてきましたが、それらを書き留めた中から選びだしたものがこの歌集です。

「あとがき」の言葉を抜粋して紹介したが、本歌集はまさにこの言葉とおりに、たくさんの植物や動物が登場する。
お住まいの北海道ならではの豊かな自然を彷彿とさせる一首一首である。

上
栗の実の落ちる音して目覚めしか猫はゆっくり背伸びして去る
飛ぶ鷺の姿で真白き花開く水苔の上にすらりと立ちて
水際の山紫陽花は雨後の午後の木洩陽うけて光りぬ
白き梅一輪咲くと誘ひあり訪ひたる深く雪残る庭

下
鬼やらふ社の庭に息災の豆のあたるを願ひて立ちぬ
野の草も小さき実つけて枯葉色雀群れ飛ぶ霜深き朝
峠より湧き出る雲は春の色芽吹きの楡に雨はやさしき
庭の隅座る人なき長椅子に植木鉢ひとつ春風の吹く
黄金なる麦の穂ゆれる朝の丘ひばりは畝の間急ぎてゆきぬ
雪解けの田に降り立ちて白鳥の群は鳴き交ひ落穂拾ふも


担当の文己さんが好きな短歌を紹介。

 白き梅一輪咲くと誘ひあり訪ひたる深く雪残る庭

「白梅が咲きました。見にいらっしゃいませんか」ってお誘いを受けたのだ。しかし、咲いたと言っても一輪である。一輪の白梅を見に、まだ寒い季節に心弾ませて春の訪れの兆しを確かめに行くのだ。この「一輪」がいいと思う。誘いをいただいた作者の心にはその白梅一輪があたたかな灯りのようにひとつ灯っているのである。そうして訪れた庭先、ああ、たしかに咲いている。しかし、地面などいっさい見えず、ぽつんと白梅が一輪咲くのみ。しかし、その一輪にたしかに春の訪れを作者は感じているのである。東京では、梅がさく季節になるとさすがに雪が深く積もっているということはまずないが、北海道にあってはこの景は当たり前なのかも知れない。ここに詠われている白という色、梅の白、そして雪の白、雪の白さが圧倒的な中に白梅のほんのりとした優美な白が読者のこころをやがて支配するのである。

 
 蚊蜻蛉は水面に近く飛びたれば淵の山女魚に捕へられたり

著者の東幸盛さんは、身辺にいる小動物への眼差しを持っている人である。この短歌などもひとつの情景を素直に表現した単なる一首と思われがちであるが、この一首を得るために、作者はどれほこの水面を見つづけていたことだろうか。本歌集を読んで、わたしは作者が一首一首に費やした膨大な時間を思ったのである。「頭の中は、いつも動植物のありようで過ぎて」と「あとがき」に書かれているように、本歌集には繊細な心で捉えた自然の動植物がたくさん登場するのである。そしてそれらを詠むために時間を惜しみなく割いて向き合う作者がいる。自然がおりなすさまざまな一瞬を克明にとらえて短歌の韻律に定着させるのだ。すでに作者の身体には短歌の韻律がしみ通っていて、一つの景に心がうごくとそれがよどみなく短歌となって記されていく、そんなことを読者に思わせる歌集である。

 老いし妻ひとり旅だつ荷を持ちて寒きホームに列車を待ちゐぬ

動植物のことをたくさん詠まれる東さんであるが、じつはご家族やご自身のことを詠んだ歌はほとんどない。そのなかで、この一首は「妻」という言葉が登場する唯一のものだ。旅にでかける妻を詠んだものだ。ホームまで見送りに来たのだろうか。作者が歌集にこの一首を残しておきたいと思われたのは、妻を詠んだものであるからだろう。これは長く連れ添ってきた「妻」への挨拶句として収録したのかもしれない。

 峠より湧き出る雲は春の色芽吹きの楡に雨はやさしき

目の前の小さなものに心を寄せることの多い東幸盛さんであるが、大きな景を詠うことにも巧みである。春の訪れを心待ちにしていた作者の心のはればれとはずんだ心持ちが見えるような一首である。はるか先にみえる峠に視線を遠くに置き、それから雲の高さに視線をあげ、そこに春の色見いだし、やがて傍らの楡の木の芽吹きを目をとめ、そこに柔らかに降る春の雨を感じとる、視覚から聴覚、触覚などの感覚を研ぎ澄ますことによって一首がなりたっていることがわかるのである。

 老いの身も健やかなれと贈られしリネンの帽子で森を歩みぬ

ご自身を詠んだ歌の少ない中の一首。いいですね。健やかにと贈られた帽子、それも単なる帽子ではなくて「リネンの帽子」というのがとてもいいなあって思った。この「リネン」という語彙、やさしくてそしてやや上質な感じがあってこの「帽子」がとてもお洒落なものに思えてくる。贈った人(たち)の思いを「リネンの帽子」と詠うことによってきちんと受け止めているそんな気持が出ている。ところでこの「リネン」とは、亜麻糸で織った薄地の織物。丈夫で光沢がある。夏物服地、ハンカチ、テーブルクロスなどに使う.リンネル。と辞書にある。そうか、夏物の帽子なのか。でも「夏帽子」と詠まず、「リネンの帽子」と詠むことによって、なんだろう、この帽子が作者にとって特別なもの、という思いが表れているのではないか。繊細な作者のこころを思う。「歳なれど新型コロナに打克つと歩く三月森まだ寒き」という短歌が令和二年にあるが、この森はかつて作者がリネンの帽子をかぶってあるいた森であろう。作者の身近にあって、たくさんの短歌が生まれた森である。



校正者のみおさんは、
「北海道の四季が伝わってくる歌集でした。」
「強き風吹き白樺の枝折れて湧き出る 樹液の冬の虫来ぬ」「わくら葉は浮きつ沈みつ流れゆく緋鯉のおよぐ朝の水路を」の歌が好きです

おなじく校正者の幸香さんは、
「陽だまりのぬくもりに似ておだやかな雪の降る夜にうた思ひをり」
に特に惹か れました。

 




本歌集の装幀は、君嶋真理子さん。


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布クロスによる函は、ラベル貼り。


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上下による二冊本。

本体の表紙の布は、函の布とおなじクロスを用いたが、カバーは、それぞれ趣を変えた。


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タイトルはそれぞれツヤなし金箔。


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見返しはおなじ用紙。
金銀の箔を散らしたもの。


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カバーをとった上下。


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(上)の型押しは、蟋蟀。


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下の箔押しは啄木鳥。

どれも短歌に登場するものである。


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ともに角背。


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扉。


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ご自身による短冊を口絵に。

 てのひらにほのと灯りてあたたかき思ひを置きて蛍はとびぬ


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各章には、君嶋さんによるカットがおかれ、本文は二色刷り。
(上)は緑の枠。


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(下)は、錆朱色。


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本文は一首組。


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花布は、金。
スピンは白。
ともにである。


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たくさんの要素がある歌集であるが、出来上がった二冊を手にしたとき、思った以上にすっきりと仕上がっていることに感激したのだった。


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本作りの贅をつくした一冊となった。
そしてたいへん上品な出来栄えとなったのではないだろうか。

東規絵、視織ご姉妹から丁寧なメールをいただいた。


7年前に母が亡くなり、寂しい日が続く中で、少し大げさですが、何か目標をもって生きていかなければならないという気持ちの中で考えついたのが、父の短歌を一冊の本にまとめることでした。
お願いする出版社を探していたところ、偶然ネットで見つけたふらんす堂様の書 籍の美しさに惹かれ、是非こちらにお願いしたいという気持ちで、いつもホームページを拝見していま したが、忙しさに理由をつけ、なかなか取りかかれずにいました。
やっと、目標がかない、本当に嬉しく思っています。
父は、素人の短歌を出版社の方にお願いして本にするのは気恥ずかしかったよう ですが、良い本に仕上げていただき、喜んでおります。
もちろん、私たち姉妹も、感激しております。

とても上品な本に仕上げていただきました。
また、上巻の樹木の装丁が、自宅の庭の木に似ていると思っていたのですが、となりに「つりばな」があり、偶然にも、下巻の装丁とぴったりのイメージであ ることに気づきました。
「つりばな」は今は緑一色ですが、もうすぐ実が赤くなり、秋には君嶋様の描い てくださった装丁と同じように美しく紅葉します。
とても親しみのある装丁となりました。ありがとうございました。
山岡様のご提案で、一つ一つの短歌に額縁のように枠をつけていただいたこと で、とても素敵な本になりました。
函の色が悩みどころでしたが、父らしく落ち着いた雰囲気になり、そこから、白 を基調とした二冊の本の背表紙がみえるところや装丁のめずらしい文字のフォントも気に入っています。
章ごとの版画も、オリジナルで描いていただき、どれも素敵な仕上がりでした。
長い間お付き合いいただき、素晴らしい本にしてくださったこと、重ねて御礼申 し上げます。



そして、お父さまのお写真を送ってくださった。
書影とともに。


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東幸盛氏。


先日、自宅の庭に木洩陽がさす中、父の写真を撮影しましたので、ご送付申しあ げます。
父の左側の木が上巻の装丁、右側の吊花が下巻の装丁とメールでお話ししたもの です。
吊花はまだ実が青く、もうすぐ実が赤くなり、やがて紅葉していくと装丁とぴっ たりになります。
父からは、これからの活動について、一言ですが、
「万葉集の学習に励んでいきたい」
「自然を見る眼を深めていきたい」と申しております。




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美しく撮影された歌集『木洩陽』。まさに木洩陽のさす木蔭で。



私たち姉妹の好きな歌をとのことでしたので、それぞれ読み直しましたが、偶然 同じ歌でした。
「
幸あれと願ひて雛を並べたる母の思ひを知る時ありや  平成二十七年二月」
です。
父の歌は家族を題材にしたものはほとんどありませんが、珍しく母の姿を詠んだ この一首は、両親が深い愛情を注いで育ててくれた、子どもの頃から今までの出来事を思い起 こさせてくれるもので、目にするたびに温かい気持ちにさせてくれます。


東規絵さま、視織さま、
たいへんお世話になりました。
出来上がりを喜んでいただけてとても嬉しく存じます。


東幸盛さま
ますますのご健勝を、そしてご健吟をお祈りもうしあげております。
ありがとうございました。



 五月晴九十四歳誕生日更衣しぬ朝餉はさやけき   東幸盛










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白粉花






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by fragie777 | 2022-08-10 18:57 | Comments(0)


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