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8月3日(水) 旧暦7月5日
小田急線・祖師ヶ谷大蔵の商店街。 はじめて降りた駅。 仙川からはかなり近い場所にあるが、この駅にはこれまで降りたことがなかった。成城学園のお隣の駅なのに。 じつはこの町で昨夜「うなぎ」を食べたのだった。 「うなぎが食べたい」とブログに書いたあと、急遽鰻をたべにいくことになった。 まさかね。。。 成城学園まで車で行き、一駅のみ電車に乗って。 おいしい「鰻」をたべさせてくれる店をみつけたのだった。(仙川にはない。。) メニューの一部。 これを見ただけでもお店の雰囲気はわかるというもの。 鰻重をたのんだのだけれど、とてもおいしゅうございました。 お吸い物もお漬け物も。。 駅前広場に立つウルトラマン。 祖師谷大蔵はウルトラマン発祥の地。 なんですって。 かつて円谷プロダクションがあったとのこと。 今日は新刊紹介をしたい。 四六判変型ソフトカバー装 114頁 一句組 句集『百歳まで』は、母と娘の合同句集である。お母さまの近藤たか子さんは、昭和2年(1927)生まれで今年95歳となられる。娘さんの近藤千雅(こんどう・ちが)さんは昭和28年(1953)生まれ、ともに大阪で一緒に暮らされている。近藤たか子さんは、30代から俳句をはじめ、89歳まで続けてこられた。子どもの頃から絵を描くことが得意で、70代から水彩画、色鉛筆画、絵手紙の教室に通っておられるということだ。千雅さんは、2001年にふらんす堂より第1句集『花は葉に』を上梓、その後「船団の会」に所属し、現在は「麦笛句会」に参加されている。 俳句は親子共通の趣味でした。二人で坪内稔典さんの俳句教室に通い、「船団」の句会にも参加しました。手作りの親子句集を作り、それを坪内稔典さんが毎日新聞の「季語刻々」で取り上げてくださり、いつかちゃんとした句集を作りたいと考えるようになりました。 今年母は九十五歳、昨年入院しましたが、快復し句集を実現することができました。また母は絵が趣味で、その絵も載せることにしました。 千雅さんがかかれた「あとがき」である。 本句集には、たか子さんの手による絵が装画としてふんだんにあしらわれていて、この合同句集をとても楽しいものにしている。 こんな風に。。 本句集の担当は文己さん。 たか子さん、千雅さんのそれぞれの句で好きな句を教えてもらった。 たか子様 共白髪いたはりあひて炬燵守る 限りある命を無駄に昼寝せり 障子貼る糊の濃いとこ淡いとこ 千雅様 噴水のつまらなそうにいつまでも 先生の時計を借りて大試験 サングラス水平線の先を見て 限りある命を無駄に昼寝せり たか子 そんな、昼寝はすこしも無駄なことではありませんことですのよ、たか子さま。とわたしは思う。つまり「昼寝」をどう受け止めるかによる。「昼寝」は夏の季語ともなっている。だからこの句の場合、夏の一句である。歳時記によると暑さによる肉体疲労が激しいときこそ、「昼寝」が疲労回復のための最も手軽な手段である。つまりは無駄な時間ではけっしてなく人間が生きて行く上での有効な体力回復法なのである。ということを、作者はじゅうじゅうわかっているのだ。その上での昼寝後のひそやかな嘆きなのである。90歳をすでに超えておられる作者である。命に限りあるということを日々思う、だから一瞬一瞬を意味あるものとして大切にしたいのに不覚にも昼寝をしてしまった。。そんな風にやや悔しく思われたのか。いや、待てよ。本当にそうか。この句をじいっと読んでいるとそうではないものがみえてくる。作者の気持ちは、あーあ、今日も昼寝をしてしまったわ、限りある命なのにね-、まっ、仕方ないわ、とけっこう限りある命であることに腹をくくっておられ、それでも昼寝は大事なのよ。と澄ましておられる作者像がみえてくるのだ。つまりあくせくせず、自身のありように鷹揚なのである。昼寝をゆうゆうと楽しむお人が見えてくる。これが長生きの秘訣かも。 障子貼る糊の濃いとこ淡いとこ たか子 この句もいいなあ。障子貼りをこころから楽しんでおられるのだ。わたしは、恥ずかしながら障子貼りというものをやったことがないので詳しくはわからないけれど、それでも多分糊は均等にして貼るのが良いと指導をうけるのではないだろうか。まず第1歩として。たか子さんはもう長い間糊貼りを多分してこられた方だ。最初は定石どおり、糊をこまやかにねってのばし、濃淡などないように貼ることを目指したのではないか。しかし、もう何十年と障子貼りをしてくると、きれいに貼るだけが障子貼りではないということに気づいたのだ。濃淡あって上等!って。その方がいかにも手仕事という感じで味があるわ。この句、中7下5の「措辞」がいい。まだらになっているとかではなく、ただ「濃いとこ淡いとこ」って言い放しているところに茶目っ気もあってその状態を楽しんでいる作者の気持ちがよく見えてくる。こういうお母さんっていいなあ。いろんな常識から自由な方であるんじゃないかしら。ああ、きっと障子貼り初心者コースでも指導のとおりなんかそっちのけで最初からご自分流に糊貼りを楽しんでおられたのかもしれない。う~む。そうだと思う。 噴水のつまらなそうにいつまでも 千雅 わたしもこの一句は面白いと思った。噴水というものの状態とその気持をよく言い止めていると思うなんてすまし顔で言ったところで、噴水に気持なんてあるのって言われるかもしれないけれど、確かに噴水を時間をかけて見入っているとおなじ事の繰り返しで退屈してしまう。思うに噴水って長い時間をかけて見るもんじゃない、その涼感を察知し、一瞬の見事な躍動感を眼にやきつけ、まあ一通りみれば、あとは噴水のことは忘れてしまった方がいい。それを律儀に見つづけて退屈してくるとわたしの退屈が噴水に移ってしまうのである。すると噴水も退屈してしまうので、それは噴水の本意ではないので、なるべく良いところだけみてあとは噴水のことは忘れてあげた方がいいってわたしは思う。でも、なんとなく時間をもてあまして噴水のところにやってきたりするとその永遠につづきそうな水の動作に見入ってしまうことがあるのよね。そしてひどく疲れてしまう。噴水の永劫回帰には近づくなかれ、ということ。 梅咲いて母も私も小柄です 千雅 梅の花って、小柄の女性が似合うんじゃないかって、ふっと思った。梅園などにいっても、梅はどちらかというと低く咲き、梅の木も桜のように大木はない。小柄の女性の二人連れなんて、梅の華やかさによくひびきあう。そう言うと大柄な女性は、どうなのよって言われてしまうかもしれないが、大柄の女性にはまたちがう華やかな花が似合うというもの。梅の花って空間を感じさせる花だ。密集して咲き誇るというのではなく、一輪一輪、ぽつぽつと咲き、時間的にも空間的にも「間」を呼び起こす。ゆったりとした空間に咲く梅の花。そんな梅の花をみあげつつ、わたしたちって小柄なんだ、って言い合っている明るい笑顔がみえてくる一句だ。 たか子さんの句集のタイトルは「ゴリラの眼」。これはつぎの一句による。 色鳥来ゴリラの眼動き出す たか子 千雅さんの句集のタイトルは「相棒」。 腕組んで母は相棒下萌ゆる 千雅 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 むらさきを基調とした色遣い。 タイトルは金箔押し。 カバーをとった表紙。 見返し。 扉。 略歴の頁がたのしい。 右のたか子さんの装画はご自身で描かれたもの。 左の千雅さんの装画は、「北千里高校29期3-7の女性徒が描いてくれました。」とある。 細身で手になじみ、軽やかな1冊となった。 読んでたのしく、見てたのしく、この句集を手にした方は幸せな心になることは間違いないと思う。 お二人の記念にということで少部数を作られてお知り合いのみに配られたののが残念なくらいである。 上梓後のお気持ちを千雅さんに伺ってみた。 千雅さんより、所感▼ 句集を読み、やはり母の俳句にはかなわないなぁと痛感しました。母は90歳で作句をやめました。私は母を介護する生活に潤いをもたらしてくれる俳句をこれからも作っていきたいと思っています。俳句を作らなくなった母ですが、私の句の批評をしてくれます。今でも母との大切なコミュニケーションとなっています。 句集は母との大切な思い出のものとなると思います。本当にありがとうございま した。 千雅さんとたか子さん。 近藤千雅さんは、担当の文己さんとのやりとりにいつも素敵なカードでお手紙をくださった。 そんなお気持ちを文己さんはとても嬉しかったということである。 共に老い共に負けん気冴え返る たか子 小鳥来る母と二人の九階に 千雅 素敵な合同句集のご上梓おめでとうございます。 お二人のご健勝をお祈り申しあげております。 神代水生植物園の青田。
by fragie777
| 2022-08-03 20:09
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