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7月31日(日) 旧暦7月3日
神代水生植物園の凌霄花。 秋の気配が濃厚な水生植物園のなかで、ひときわ夏の花として鮮やかだった。 今日は、各総合誌にとりあげられた書評を抜粋して紹介したい。 「俳句」8月号 「新刊サロン」に杉原祐之句集『十一月の橋』について渡部有紀子さんが評している。タイトルは「信頼と諧謔性の両立」 自分の日常性がどのような場所で構成されているのか想定することで、アイデンティティーを確認できる場合がある。作者にとって俳句創作とは、まさにそのような行為なのだろう。大半の作品が作者の勤務先と家庭での出来事より取材されている。 出張に来てナイターのひとりかな 雪掻を終へ当直を引継げる どの雲実景を手堅く詠んでいる。作者は何かと煩わしいこともあるかもしれないが、それでも現在の自分の生きている世界を肯定し、その存在を信じている。(略) 嬰児を縦抱きにして御慶かな いつの間に乳歯の揃ふ小六月 野遊の隅におむつを替へにけり 姉らしくふるまうやうに夏帽子 自分の血を分けた者でありながら、圧倒的な他者であるという、相反する二面性を内包する子どもを対象化することは、作者の一歩引いて物事を見る眼、諧謔性が有効に働くだろう。子どものいる日常へのまなざしがよし深化し、子ども俳句の可能性を開くことを期待したい。 「新刊サロン」にもう1冊、森賀まり句集『しみづあたたかをふくむ』が榮猿丸さんによって評されている。タイトルは「時空を揺らす声」。 本句集は森賀まりの第三句集。うつくしく印象的なタイトルは七十二候の「水泉動」をひらがなに開いたもの。小寒の次候で、凍っていた地中の泉の水が動き出す頃という意味だが、本句集を一言で表せば、まさにタイトルの如し。つめたく澄んだ水のように鋭敏で繊細な感覚、それに裏付けられたことばが、誰も気づかれることのない「あたたかさ」を捉える。 青蘆やふたりが遅れつつ五人 汗ながら静かな顔でありにけり 草じらみ長く借りたる本を返す 人やものを詠んだ句も,繊細な感覚や心の動きをよく捉えている。(略) こなごなに蜜柑を剥いてくれたりき 蜜柑を食べながら、不器用に皮を粉々にしながら剝いてくれた人のことを思い出している。皮の欠片は、その人と過ごした時間の断片となって、甘酸っぱい香を今という時へ放つ。 森賀まりの句は、小さくかそけき声を捉える集音器のようだ。その声は普段の生活では小さすぎて届かない。しかし、本句集の一句一句は、耳元で囁いてくる。それはときいくすぐったく、ときにドキッとする。柔らかな眩暈を呼ぶ耳鳴りのような声もあれば、自分の内なる声と化すものもある。時空を揺らす声をたしかに感じるのである。 「現代詩手帖」8月号。 「連載 昏れてゆく短歌」に歌人の藪内亮輔さんが、大辻隆弘歌集『樟の窓』を評している。タイトルは「師をどう超えるか」 (略)大辻は「岡井隆のエピゴーネン」と呼ばれるほど岡井に影響を受け、岡井亡き後は、「未来」の主宰を受け継いでいる。つまり、大辻にとっては「いかにして岡井を吸収し、それを乗り越えるか」が生涯のテーマであるといえるだろう。(略) 繊(ほそ)い雨の網が降ろされゆく向かう今朝沈まざる島影ひとつ 街上にまなこつむれば雨音は町の形をなぞりて降り来(く) 言葉による風景描写の力は疑う余地がないが、繊細な語順操作こそが、大辻特有の技である。一首目では、「降ろされてゆく」→「向かう」→「島影」と、人の認識の順に言葉が配置されている。この向かうの配置は普通の歌人にはできないし、岡井から少し抜け出ているところでもあろう。 本の背が凍りはじめて書架の上へ を主(ぬし)なき言葉たちが漾(ただよ)ふ 詞書に「閉館業務」とあるから、図書室の閉館業務に伴って、立ち並ぶ本の背が凍りついたように感じたということだろう。見られないこと、忘れられることは、凍りつくことだ。そういえば「漾」という漢字には、いつか忘れられるという運命を前にして、凍りつきそうな自らを空間にただよわせている。骨太かつ幻想的な歌だ。 「現代詩手帖」は、「ジェンダー」の特集である。 「短歌」8月号 「歌集歌書を読む」の欄に後藤由紀惠さんによって、横内進歌集『二人三脚』がとりあげられている。 米作り八十七年の人生は妻と肩組む二人三脚 「みぎわ」所属の作者の第1歌集。 味噌汁を一口飲んだ此の旨さ妻には言わず仕事で返す タンス引く靴下の上に「冬用」と妻のメモあり涙を誘う 仲の良いご夫婦だったのだろう。思いがけず妻のメモを見つけた時の悲しみが、「涙を誘う」と客観性を持つ表現によって深まる。 「俳句四季」8月号 二ノ宮一雄さんによる「一望百里」に、増成栗人句集『草蜉蝣』が取り上げられている。 草蜉蝣昼月淡く山の端に 草蜉蝣九鬼水軍の島にかな 草蔭を出でぬ草蜉蝣の昼 草蜉蝣やはらかな雨来てゐたり 「私の俳句の多くは旅や近郊の吟行で為した作品。生活俳句は余り多くはない。この旅の多くで得た体験は、一期一会のその土地への親しみであり、その土地が持つ讃歌であり、その土地の美しく儚き歴史への回顧であったと思っている。それをどう己が息遣いとして打ち出せるか、熟慮の上、この「草蜉蝣」を書名とすることと決めた。」(あとがき」 一句目は特に作者の息遣いを感じる。(略) 目下、森賀まり句集『しみずあたたかをふくむ』が好評品切れの状態である。 この美しい句集を欲しい方は、ふらんす堂にご連絡をください。 著者の森賀まりさんのところにはご本がありますので、森賀さんの方へご注文をおまわしいたします。 今日はもう夜の八時をまわった。 いまはまだ仕事場である。 明日からは八月だ。 暑さが少しでも衰えてくれればいいのだけれど。。。。。 愛猫・日向子の前肢。
by fragie777
| 2022-07-31 20:30
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