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7月30日(土) 旧暦7月2日
今日も猛暑だった。 昼より仕事場で年譜づくり。 夕方涼しくなったころに、仙川を散歩する。 仙川をのぞき込んでいたら気づくと蜻蛉がすぐそばに止まっていた。 オニヤンマみたいだけど、身体が小さい。 しらべたところ、「コオニヤンマ」のようである。 蜻蛉って案外人懐っこくてそばによっても逃げない。 仙川でひさしぶりにシロサギを見た。 これはコサギ。 そして出会った野良猫。 身体が小さいのでまだ子猫なのかもしれない。 しかし、この目は立派な野良猫だ。 今日は、いくつかの総合誌に掲載された記事を紹介するつもりでいた。 家でブログを書く予定だったので、 記事をコピーし、ネット上にあげるべく書影を整えた。 なのに、、、、 記事をバッグにいれることを忘れた。 島忠で「バケツ」を買うのはわすれなかったのに。 (何年もつかっていたポリバケツがみごとに縦に割れてしまったのだ) バケツを買うっていう行為、わが人生においてそう何度でもあるもんじゃない。 ちょっと新鮮な気持。 島忠のスタッフさんに「バケツはどこで売ってますか」と聞いてバケツがおいてある36番に行って物色したのだった。 物色したと言っても、たった二種類。 ということで購入したのが、これ。 白にグレーの把手のついたバケツ。 ちょっとおしゃれじゃなくって。 このブログを書き始めたときは、バケツを公開しようなんてさらさら思っていなかったのだけれど。。。 今日は橋本石火著『長谷川素逝の百句』より。 手花火のうしろすがたのほとうかぶ 『三十三才』昭和十二年 「ホトトギス」昭和十二年十月号の巻頭の四句の内の一句である。昭和初期の手花火は数種類だけであったのではないだろうか。手花火をしている家族をその背後から見ていたのだ。手花火のほの明かりに浮かぶ後ろ姿。それは、一瞬の後ろ姿であり、永遠をとどめることはない。 手花火の華やかさや楽しさは言うまでもないが、素逝はそこを詠まず、「うしろすがたのほとうかぶ」と、どこか淋しげな詠みぶりである。素逝の琴線に触れるのは華やかさではなく、華やかさの裏にある移ろいともいうものである。 明日は、掲載記事などを紹介します。 今日の翡翠。
by fragie777
| 2022-07-30 21:41
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