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7月29日(金) 旧暦7月1日
神代植物園の温室のハイビスカス。 みんな上を向いて咲いていた。 一年に一度の定期検診として、某クリニックに予約をいれて時間どおりに行った。 日付も時間もまちがえずにわたしとしては上出来である。 名前を呼ばれてY医師の前に坐った。 「yamaokaさん、二年ぶりですね」とY医師は言う。 「へっ?」 わたしは一瞬唖然とする。そして 「いえ、昨年受けましたから、一年ぶりです」 「そんなことないですよ。昨年は来なかったですよ。カルテに書いてあります」とカルテを見ながらY医師は言う。 「あれー、そんなはずは。私去年受診しなかったなんて。。。ちょっと信じられないんですど。」 「そう言ってもね。来てませんよ」って笑う。 (…………。) 「一年ははやいですよねえ」とさらに笑いながらおっしゃる。 (そうか。。。受けなかったのか。でも。。。) どうやら、わたしの記憶装置はガタがきているようだ。 いろんな記憶をすっとばしているのかもしれない。。 ほかの人より二倍はやく歳をとってしまいそうである。 嗚呼。。。 新刊紹介をしたい。 四六判上製(布表紙)帯あり 198頁 二句組 甲斐由起子(かい・ゆきこ)(1964~)さんの第三句集となる。甲斐由起子さんは、井本農一に師事することによって俳句をはじめ、のち俳誌「天為」に入会し有馬朗人に師事。平成18年(2006)には「天為」新人賞受賞。平成14年((2002)に第2句集『春の潮』を上梓。平成18年(2006)に評論集『近代俳句の光彩』(角川書店)を上梓。平成24年(2013)に第2句集『雪華』を上梓。この句集『雪華』で、第36回俳人協会新人賞を受賞されている。「天為」同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。俳文学会会員。 本句集は、平成24年(2012)から令和3年(2021)までの作品340句を収録。この間、お父さまを亡くされ、そして師・有馬朗人を失った。前句集『雪華』は亡き母へ捧げられた句集である。本句集は、亡き師へ、なき父へ、そして亡き母をふくめて今は亡き有縁のひとたちへささげられた句集である。 死者のほか恃むものなし寒昴 句集の後半におかれた一句である。 胸をつかれるような一句である。 『耳澄ます』は、『雪華』に続く第三句集です。平成二十四年春から令和三年冬までの作品三四〇句を収めています。この間の後半は、長年勤めた学校を退職。俳句の活動も休止し、在宅での父の介護に専念しました。朝昼晩の食事作りから排泄の世話まで、全く予想もしていなかった壮絶な介護と看取りが始まったのです。 「あとがき」にこう書かれているように、句集の前半は、介護介護をしながらの日々であり、死がせまりつつある父を見つめる日々でもあった。 星涼しわれ妻でなく母でなく 亡き母へ供へし桃を父に剝き 本句集の担当は、文己さん。文己さんの好きな句をあげてもらった。 花時や濁りゆたかに川流れ 雷来ると蜥蜴の喉ふるへをり さすほどでなく秋日傘持ち歩く 花の種もらふ嬉しさ振つてみる 濁り消えたるたましひの春天へ 師の恩を冬青空とおもひけり 雷来ると蜥蜴の喉ふるへをり 雷がやってくるときって気配でわたしたち人間もわかる。雷がきそうだ、と思ったその瞬間蜥蜴の喉がふるえたのだ。いや、蜥蜴の喉の震えと同時に雷を察知した。この句の面白さは雷と蜥蜴を因果関係にむすびつけた意外性かもしれない。こう詠まれてしまうとまさにそうであるのか、と思う面白さがある。そして、蜥蜴の喉の震えを捉えるには、通常よりものを見るということが鍛えられていないとこうはいかない。蜥蜴の動きはかなりすばやい。けっしておおきな爬虫類ではない。その蜥蜴の喉のふるえを捉えたのだ。この一句、まず「雷来る」という上五によってわたしたちの意識を頭上の広やかな宙へともっていき、中七で一挙に蜥蜴の喉へと視線を急降下させ、小さな震えへと目を釘付けにする。一句のなかにあるシャープなスピード感がいい。そして蜥蜴の喉である。いったい誰が蜥蜴の喉の震えに気をとめようか。しかし、雷の気配がして、蜥蜴の喉は震えたのだ。それを俳人の目は逃さなかったのである。雷光に照らされた蜥蜴の震える喉がクローズアップされるそんな映像も立ち上がってくる。 師の恩を冬青空とおもひけり これはわたしも好きな一句だ。「冬青空」がいい。とてもいい。師・有馬朗人への追悼の一句である。師をどう見ていたか、この一句でよくわかる。厳しい指導であったのだな、とも。その厳しさを晴れ晴れと受け止める心があり、その指導はまた高い志へと導くものであったということもわかる。師の厳しさをあらためて思いながら冬青空をみつめ、清々しく立っている作者を思う。このように追悼できる師をもった甲斐由起子さんは幸せであり、師・有馬朗人もまた冬青空の天空よりやさしい眼差しで甲斐由起子さんを見ておられるのではないか。有馬朗人氏にはわたしも随分ご生前にお心にかけていただいた。いま、この句を詠んで、わたしには有馬朗人氏のことをこんな風には決して詠めない。それは残念ながら、俳句の弟子でないわたしは、師としての厳しさに触れることができなかったからだ。わたしには、あくまでお優しい有馬郎人氏であった。「師の恩を冬青空とおもふ」。なんて素敵なんだろう。そうか、この一句こうしてて読むと、「師」ではなく「師の恩」なのだ、「冬青空と思う」のは。。。 拳骨のやうな草餅すすめられ これはわたしの好きな句である。あのやわらかな草餅を「拳骨のやうな」って言うなんて。しかし、作者の目の前にまるで拳骨のようにぐいっと差し出されたおおぶりな草餅だったのだろう。その時心がうけとめたものを正直に一句にしたのだ。きっとお店で販売されているしとやかな(?)草餅ではなくて、蓬を摘んできての手造りの草餅だろう。粒あんたっぷりの大きくダイナミックな草餅。それを客人としての作者に振る舞ったのである。さきほどの「冬青空」もそうであるが、甲斐由起子さんは比喩が巧みである。思いもつかないようなところから言葉をもってくるが、それがリアルなものとして読み手の心に定着してしまう。大きな草餅を目の前に拳骨のように出されて(この句の巧みさは、拳骨のような草餅であるのだが、拳骨のように突き出されたということまで連想させてしまうところ)ちょっと引いてしまった作者まで見えてくるのが面白い。草餅をすすめる人の罪のない笑顔までみえてくる一句だ。 樹々芽吹く気配に生きてゐる父よ 本句集のタイトルは「耳澄ます」である。その句集名のように、作者は日々を「耳を澄まして」生活をしているのだ。森羅万象に耳をすませ、病み衰えていく父の気配にも耳を澄ませて、心を配りながら日常を生きている。もはや外に出ることも叶わなくなった父である、が、春の訪れを外界のかすかな変化を通して気づきそこに安らぐ父がいる。そんな父を見る作者もまた芽吹きの季節を父と共有できるこの瞬間を静かに大切なものとして受け止めているのだ。万物それぞれのいのちがいのちに呼応しているのだ。そしてこまやかな心をもって父を見守る作者がみえてくる。 何もなき吾に日溜り石蕗の花 母そして父を失い、師まで失ってしまった作者がいる。「何もなき吾」というのはつくづくとした実感であろう。孤独感、空虚感、でぼんやりとしてしまう日々だ。そんあある日、庭の一隅だろうか日溜まりをみつけた。ああ、あたたかそう。心が止まる。日溜まりなんて日頃は気づきもしないのだが。さらにその日溜まりに石蕗の花が咲いている。たっぷりとした冬日をあびてあたたかな黄色を存分に。冷え冷えとした心にその黄色がしみ通ってくるようだ。石蕗の花は、低く咲く花であり端正な趣の花である。眺めやると心が落ちつき日溜まりの明るさにも慰められる。「何もなき吾」なんかじゃないんだわ、あたたかな明るい平穏さを賜っていること、それは大いなる慰めである。 寒に入る目鼻のやうな窓灯し これは校正者のみおさんが好きな一句である。「かわいらしくて好きです。こういうお家、ありますよね。」とみおさん。 みづぎはに胡桃の花の鳴りはじむ こちらは校正者の幸香さん。 人間界と自然界とは目に見えないところで感応し合っているように感じました。「自然を眺めてゐる─といふことだけはどんな時でも正しく、清く、美しい」(『花宰相』)という青邨の言葉を胸に、ここに拙い俳句集を編み、父と有馬朗人先生、そして今は亡き有縁の人々への供花にしたいと思います。 「あとがき」の言葉である。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 カバーは付けないで、布クロスの表紙のみというのは、甲斐由起子さんのご希望だった。 表紙のクロスをいろいろと御覧になって、甲斐さん、この涼やかな色に決められた。 この布クロスの色の名は、「秘色(ひそく)」という日本の伝統色である。 秘色(ひそく)とは、青磁の肌の色のような浅い緑色のことで、焼き物の青磁の美しい肌色を模した色名です。 とのこと。 この色に出会って甲斐由起子さんは、とても気にいり、喜ばれた。 タイトルと名前は金箔押し。 見返しは金箔と銀箔を散らしたもの。 扉。 花布は金。 栞紐は白。 この1冊を手にした方はきっと、涼しさを味わったのではないだろうか。。 青葉木菟たましひの耳澄ますらむ 人間界と自然界とは目に見えないところで感応し合っている。(あとがき) 本句集刊行後のお気持ちを伺った。 句集『耳澄ます』上梓にあたって 今回の句集のテーマは魂です。心筋梗塞で救急搬送後、手術の前に全ての管を自ら抜いて処置室から出てきたしまった父の在宅介護の最期に見せてくれた白い気体――これを魂と呼ぶならば、この世とあの世に境はなく、全てが繋がっているのだと感じた瞬間、死生観や世界観が変わった瞬間でもありました。魂は空気より軽く、上昇して大気に溶け込み、成層圏の彼方でひたすら澄んで「全宇宙の現象を感じる存在」となっているに違いありません。魂と同様に人間界と自然界の現象も繋がっていると思います。それらとより深く繋がるために私は俳句を作っているのだとも確信しております。 今回はふらんす堂の山岡さんから「そろそろ句集をいかがですか。」と勧めていただかなければ、決して上梓できませんでした。介護で心身共にダメージを受けていた自分にとっては句集上梓は奇跡的な出来事でした。編集の横尾さんにも本当にお世話になりました。父と同じ年にご逝去された有馬先生にも生前はお心にかけていただきました。「天為」の皆様にもお世話になりました。句友の舘野豊さんにも多大なるご教示を賜りました。この場をお借りして、関わってくださった皆様に深謝申し上げます。今後は、父の初七日に飼い始めた甲斐犬Skyと一緒に行ける範囲の生活の場の中にささやかな美を発見し、実感に基づいた四季折々の俳句を作ってゆけたらいいと思っております。(甲斐由起子) 甲斐由起子さん。愛犬である甲斐犬のSKY(♂)と。 7月もあと二日で終わり、そして今日は金曜日。明日はお休み。ついこのあいだ土日だったような気がする。 時間が経つのがすごくはやくありません? でもこんなことを言うと、 「それはわれわれが生を蕩尽しているから」とセネカ大先生の声が天上からするのよねえ、、、 わたしの浪費の仕方ってハンパじゃないかも、 二年が一年のごとく過ぎていくのだから。。。。 神代植物園の温室の前の広場。
by fragie777
| 2022-07-29 20:45
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