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7月20日(水) 土用 旧暦6月22日
大木である。 細かな葉が涼やかだった。 今日は新聞にとりあげられた記事を紹介したい。 毎日新聞の新刊コーナーに『大牧広全句集』が俳人の櫂未知子氏によって紹介されている。 蛇笏賞作家の全句集。都市に住む人のペーソスを帯びた作風がその特徴だったが、晩年近くには「老い」と社会性が作品のテーマになった。仲寒蝉による「年譜」の綿密さ、小泉瀬衣子による「年譜」の詳細さは今後の作家研究に大いに資するだろう。〈こんなにもさびしいと知る立泳ぎ〉〈ラストシーンならこの町この枯木〉〈浅草のかくも西日の似合ふバー〉(ふらんす堂・一万一千円) その隣には、逝去された稲畑汀子氏の『稲畑汀子俳句集成』が紹介されている。抜粋して紹介すると、「祖父である高濱虚子からの書簡の一部が収めされており、興味深い。」と。〈一枚の障子明りに技芸天〉など。(朔出版・一万二千円) おなじく新刊コーナーの歌集の部では、藤原龍一郎著『寺山修司の百首』が、歌人の中川佐和子氏によって紹介されている。 歌人、俳人、放送作家、映画監督など複数ジャンルで才を発揮した、寺山の初期歌編から『田園に死す』までの100首を鑑賞して、その歌の世界を描く。寺山の虚構性に対して現代からの読みが新しい。〈売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき〉(ふらんす堂・1870円) 本日の讀賣新聞の長谷川櫂氏による「四季」は山田佳乃著『京極杞陽の百句』より。 打水の水の大きな塊よ 京極杞陽 「飛んでゆく水を静止画面でとらえたかのような一句」と長谷川氏。 今日は新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有りビニール掛け 174頁 二句組 著者の關茂子(せき・しげこ)さんは、1931年富山県旧新湊市に生まれ、現在は富山県高岡市に在住。1997年「朱雀」入会、一年後の1998年に「狩」入会。2000年「朱雀」同人。2006年「狩」同人。「狩」終刊ののち、2019年「香雨」創刊同人。俳人協会会員。第1句集に『ふたかみ』(2004年刊)がある。この度の句集『水声』は第2句集となる。鷹羽狩行「香雨」名誉主宰による帯のことば、また帯裏には片山由美子主宰による「推薦十句」がある。 初釜や帯に挟みて緋の帛紗 磯菊や沖の白雲幾重にも 寝返りに香りの添ひぬ菊枕 著者の關茂子さんは、北陸高岡にあって、茶道と俳句に精進を続けてきた。その真摯な姿勢は、一句一句の風姿に反映されている。 長年のたゆまぬ努力の成果が、本句集としてまとまったことを喜びたい。 鷹羽狩行氏の帯のことばをそのまま紹介した。 本句集の担当は、Pさん。 暮れ残る蛍袋の白さかな 卯の花を活けて一人の手前かな 籠の中見せ合うてまた茸狩 首の骨こくと音たて夜寒かな 焼栗を買ひて超特急に乗り 焼栗を買ひて超特急に乗り なんだか面白い一句だ。わたしは電車について詳しくないのでへんなことを言ってしまうかもしれないが、この「超特急」って新幹線の「のぞみ」とかを考えてよいのよね。この句のおもしろさは、ひとえにこの「超特急」という語彙のおもしろさだ。「新幹線に乗り」だったらゆるい句になってしまうが、「超特急」であるゆえにうかうかしてられない。焼栗は十分に熱く、それをかかえて特急電車に乗る。しかも超スピードで走るヤツである。この俳句の文体が、スピード感があり、作者の旅にむかうはやる心やおどる気持をよく表していると思う。電車のなかで焼栗を剝きながら、おしゃべりをし、窓外に飛び去っていく景色を楽しむ。こころはすでに旅先へとひたすら向かっている。 結局は何処へも行かず水を打つ これはわたしの好きな句。片山由美子主宰も帯に選んでいる一句である。あれこれと旅の予定もしくは外出の予定があったのかもしれないが、不都合があって取りやめになったのか、あるいは立ち消えになったのか、残念な気持を抱えている。所在なき一日となった。やるこもないわあと、やや退屈をもてあましているのだが、そうね、打ち水でもしようかしらと日常的になっている打ち水をすることに。出かけることもなくやることといったら打ち水くらい……なんて思いながらちょっとトホホな気持で水を打っているのである。打ち水をしている作者の心情がよく伝わってくる一句。やや投げやりな気持になっているので、通行人に水かかからなければいいのだけど。。 扇風機止まれば波の音聞こゆ これも夏の一句である。片山主宰の推薦十句のうちの一句である。扇風機にタイマーをかけていたのかしら、時間切れとなって首をまわしながら風をおくっていた扇風機がはたりと止まった。ふっと空気が静まった。そして波の音が、、、クーラーをかけていたわけではないので、座敷は開け放たれている。海近くにお住まいなんだろう。静けさのなかに遠く波の音が聞こえてくるのだ。波音に気づいて、作者はふっと眼をはるかにおき、海を思う。海原へと視覚がひろがり、耳には波音が繰り返される。聴覚から視覚へと世界をひろげながら、かぎりない静けさにいる作者を思う。 かたむけて傘より落とす春の雪 句集の二番目におかれた句である。これはわたしが好きな句だる。きわめてさりげない一句だと思う。しかし、「春の雪」という季題の本意にかなう一句だと思う。水気をたっぷりふくんだ春の雪である。傘をかたむければするするとすべるように落ちていく。たっぷり濡れた春の雪が傘を傾けただけでいともたやすくおちていく様が眼にみえるようだ。冬の雪ではこうは行かない。傘につもった雪を傘をすぼめて力強く振り落とすということになる。雪はあたりに舞い散らされながらばさばさと落ちていく。この一句、物腰の美しい上品な人の所作がみえてくるのである。わたしのようながさつな人間であると、「かたむける」という行為はしないような気がする、ひょいっとすぼめて、だらだらと雪があたりに流れおちるのを気にもかけずに傘立てに大濡れの傘を突っ込む。そんな感じ。ほんとわたし、ガサツだわ。。 ゆふぐれをまたず落ちけり沙羅の花 本句集のなかで一番好きな一句かもしれない。片山由美子主宰も選んでいる。「沙羅の花」への作者の思いが伝わる一句だ。白いつややかな沙羅の花。朝に咲いて夕べには散るたった一日だけの沙羅の花であるという。その「沙羅の花」が、夕暮れを待たずに散ってしまったのでだ。たった一日だけの花なのだからすこしでも長く咲いて欲しいという作者の思いを裏切って、散ってしまった。。。そのはかなさへの作者の一句である。沙羅の花を愛おしむ作者の心情が、このさりげない描写の一句からしみじみと伝わってくる。「またず」というのがいやはや切ない。 本句集『水声(すいせい)』は『ふたかみ』に続く第二句集で、一九九八年以降二〇一八年までの作品より二九八句を収めました。句集名は由美子先生に水に関する句が多いとのご助言を頂き「水声(すいせい)」といたしました。 川の水の流れはとどまる事なく、再び同じところに戻ることも出来ず、時には分かれ姿を変えながらも悠久の海へとたどり着きます。私たちの一生は宇宙の時間に比べると、ほんの一瞬です。人それぞれの命、その大切な年月、その中での後悔、喜び、悲しみ、愛、感謝、等々、さまざまな音を立てて行く水の様です。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 關茂子さんの装幀のご要望を十分に反映したものとしての本作りとなった。 關さんは、この水の渦巻きを大切にされこだわられた。 いくたびか大きさを変更して、このように。 タイトルの「水声」は、艶消しの金箔押しに。 見返しにも水の模様が。 そして色は可愛らしいピンク。 關茂子さんのご希望である。 表紙のクロスも淡いピンクいろ。 扉。 書体にもこだわられ、教科書体に。 そして実は用紙の材質もご希望により、本文用紙ではなくそれより上質な用紙をもちいた。 花布は、金。 栞紐は鮮やかなブルー。 「水」をつかった句集はおおいのであるが、本句集は、モダーンにして嫌味のないスッキリとした仕上がりとなった。 立山を据ゑ初凪の富山湾 ご自身の住んでいるところの風景か。 すばらしい景色である。 句集上梓後のお気持ちを伺った。 關茂子さん。 ●一言 第二句集「水声」の装丁は私の思い通りに、すっきりと綺麗に仕上がり、嬉しゅうございました。我儘な希望を聞き入れ細やかに対処して下さった事に感謝しております。 何時頃からでしょうか、自分がどの様な俳句を詠むでいるのか俯瞰したいと考える様になっていました。折しも「狩」の終刊と私の年齢の節目、そして丁度令和を迎える機会を得ることが出来、兎に角句集の上梓を、と思い立ちました。 俳句の整理をし始め、読み返してみて同じ句集の筈が第一句集の時とは異なる大変さを感じました。一句一句が私の自覚を促し自分の俳句に何が欠けているのか反省やら勉強やら、作句当時の思いまで突きつけられた様でした。一句で伝えきれない己の表現不足、時には一句一句では見えないものを句集にする事で訴える力が増す事が有ると言う発見、大切な思い出に言葉を失う等、改めて俳句と向き合った事は、とても有意義で大切な事だつたと痛感しました。私の大事な糧となりました。 俳句に向き合う為に拙くとも句集にする、私のその思いを後押ししご指導、支えて頂いた「香雨」名誉主宰鷹羽狩行先生・主宰片山由美子先生・はじめ皆様には只々感謝致して居ります。 寡作で殆ど吟行無し、毎月の投句が精々、な私が第二句集を上梓出来たことが不思議な気がして安堵感、幸せ、の中にいます。 今一度初心にかえり、俳句を作ると言うスタートに立てた様な気がしており、寡作でも良いから最後まで生きている証として作句できます様にと願つて居ります。 關 茂子 先日このブログでご紹介した句集『墨の香』の著者・山越桂子さんと關茂子さんは仲のよい句友同士でいらっしゃる。 句集を出す時期もご一緒にというお気持ちがあり、いろいろとおふたりで相談をされていたようである。 そして、お二人がそろって句集のご相談にふらんす堂に見えられたのだった。 その時に表紙のクロスや、用紙を決めてお帰りになったのである。 遠く離れていても、俳句をとおしてお二人はたいへん親しくされている素敵な関係である。 昨日の夕焼け空。
by fragie777
| 2022-07-20 20:10
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