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7月12日(火) 旧暦6月14日
神代植物園の薔薇園のテラスの椅子。 薔薇園にふさわしいエレガントな椅子たち。 しかし、猛暑のこの日誰もすわる人はいない。 初夏や秋にはたくさんの人がいるのだけれど。。。。 遠くにみえる大きな建物は温室である。 わたしは一度も足を踏み入れたことがない。 今日は皮膚科によって、湿疹のための薬を調合してもらい薬局でそれを貰ってから出社。 ここ数年、夜になると身体中がかゆくなるのである。 「ふらんす堂通信173号」の校正で一日がおわる。 「こわい俳句」は中原道夫さん。 誰の句かは伏せておくが、さすが読ませる一文である。 で、「箪笥」がこわいと。 怖いエピソードがあって、桐箪笥が登場する。 知人の女性が古道具屋さんで買った桐箪笥の「隠し抽斗」の所在にきづき、それを開けたところ、なかから江戸時代の貨幣がでてきたということである。 はなしはこれだけでは終わらない、、、そしてちょっとぞっとするような話が展開するのである。 「隠し抽斗」か。 ふっとわたしも、家の桐箪笥のひとつにこの隠し抽斗があることを思い出した。 母が作ってくれた箪笥で、新しいものなので何かが隠されている、ということはないのであるが、じつは、この隠し抽斗に気づいたのは家に箪笥がやってきてから何年も後のことだ。三つある抽斗の一つが上げ底になっていることに気づいて、あれっと思ってあれこれと触ってのだが、どうにもならない。母に電話でたずねたところ、それは隠し抽斗だから開けられるはずであるという。ふたたびトライしてみるがどうにも開かない。ふたたび母に連絡をする。その箪笥を作って貰った職人さんに母が連絡をとったところすでに亡くなっていた。 で、わたしはこの隠し抽斗を開けることをすっかり諦めたのだった。 持主と同じように十分にR化がすすんでいる桐箪笥である。 そして、きっと永久に開けられることはないままわが家の桐箪笥はありつづけその命運を終えることになるだろう。 今回の受賞特集は、第61回俳人協会賞受賞(津川絵理子句集『夜の水平線』)と第13回田中裕明賞受賞(相子智恵句集『呼応』)、書きおろし特別寄稿は、加田由美さんの山口波津女論「一の鉾」。山口波津女とその時代の俳人、誓子はもとより、平畑靜塔、橋本多佳子、西東三鬼なども登場し、俳人としての波津女に迫るもの。外山一機さんは秦夕美句集『金の輪』評「誰かの思い出を思い出すこと」。これは秦夕美論としてすぐれた評であると思う。秦夕美という俳人の捉えやすいようでなかなか見えにくいこの俳人の本質にふれてくる論である。岸本尚毅さんの「虚子研究レポート」は今回からは「山本梅史」。没後に刊行された『梅史句集』に、虚子が寄せた序文が紹介されている。極めて短い序文であるがきわめて印象的な序文である。小野あらたさんの連載「小野あらたの毎日精進」は、中村草田男の『俳句入門』と中村汀女の『俳句をたのしく』の入門書をとりあげて、それぞれの俳人の特長について際立たせている。いずれあらたさんも面白い入門書をかかれるにちがいない、ということを匂わせながら(?)。池田澄子さん、大木あまりさん、小澤實さんの「競詠七句」のお題は、「髪」「灯取虫」「滝」。同じお題であるゆえに詠みぶりの違いが歴然として面白い。高遠弘美さんの「わたしのプルースト」は二回目。すでにこのブログで書いたが「紅茶にひたしたマドレーヌ」についてである。ほかに西村麒麟さん(『森田峠全句集』評)、池内けい吾さん(櫨木優子句集『忘れ水』評)、梶原さい子さん(松野志保歌集『われらの狩の掟』評)、阿波野巧也さん(川野里子歌集『天窓紀行』評)の転載記事もそれぞれ充実しており、読みごたえたっぷりである。 今日はおおよそ半分を読み終えた。明日もまた校正の一日となると思う。 今日スタッフたちとおしゃべりをしたのだけれど、たとえば、ふらんす堂通信の執筆者の方たちに、コラムのテーマを一緒に伺って見たらどうだろう。 お名前の下だったり、文章のおわりだったりに、今回だったら、好きなジブリ作品名だけを記してもらうのだ。あるいは好きな作品がなければ、「とくになし」とか。 「そうしたら、ああ、〇〇さんの好きな作品って〇〇なんだ」なんて思って楽しいじゃないって、わたしが言ったら、即、「大変ですから、ダメです」と却下された。 小さな冊子なのでそんなこともゆるされるんじゃない、っておもうのだけれど、、、無理かなあ。。 薔薇園のベンチ。 ここにも誰もいない。。。
by fragie777
| 2022-07-12 18:17
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Comments(2)
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