カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
6月17日(金) 5月19日
![]() 好きな花である。 そしてわたしの家ではこれまで三本の沙羅の樹を枯らしてしまったという、遠く見あげる花でもある。 ああ、いいなあ、 枯らしちゃったんだよなあ。 って。 夏椿とも呼ばれ、こんなふうに花ごと椿みたいに落ちる。 俳人の加田由美さんと電話でおしゃべりする。 加田由美さんには、こんどの「ふらんす堂通信173号」に、「山口波津女について」の原稿と「50句抄」をお願いしていたのだ。 それが書き上がったということでお電話をいただいたのだった。 加田由美さんは、「天狼」で山口誓子に俳句を学んだ俳人である。「天狼」終刊後は、同人誌「紫微」(渋谷道代表)創刊より参加、現在は竹中宏主宰の「翔臨」の会員である。加田さんとのご縁は長く、1989年にふらんす堂より三好潤子全句集『曼珠沙華』を刊行したときに、その刊行を実現すべくご尽力されたお一人であり、それがご縁で、ふらんす堂より二冊の句集『花蜜柑』(1994刊)、『桃太郎』(2016刊)を上梓されている。「天狼」の俳人について語ることできる数すくない俳人のお一人である。 ごくたまにお電話でお話をするのだが、だって加田さんはチョウアナログ人間でいらして、パソコンも携帯メールもなさらない方だ。 連絡手段は、電話、もしくはハガキ等。 三好潤子全句集をおつくりしたときに、初めてお会いして、なんだろう、そのしみじみとしたお人柄にふれてあるいはウマがあったのだろうか、といってもはるか先輩でおられるのだが、何年もご無沙汰していても電話で話なじめるとそんな時間のへだたりを感じさせないほど話がはずむ。 当時の「天狼」時代のことなどをいきいきとお話されるのである。 ただ、ものすごくご自身を前に出すことが苦手で、遠慮がちというのだろうか、今回の「波津女について」もやっと引き受けてくださったのだ。最初は、平畑靜塔について、お願いしようかとも思ったのであるが、「靜塔先生については、わたしなんかよりほかに書く方がおられます。波津女先生についてなら、いい句がたくさんあるのですなんとか書けるかもしれません」ということでお願いすることになったのだ。 「今回の依頼について、竹中宏さん、なんかおっしゃってました?」ってわたしが加田さんにうかがうと、 「絶対、断ったらイカン!」と仰ってました、って笑いながら加田さん。 「ああ、やっぱり……」と私も笑う。 しかし、時間をかけてじっくりと取り組んでくださった。 いまや、山口波津女の俳句はまとめて読むことは難しい。50句抄出によって、波津女の句に触れることができる。 今日投函されたということだから、きっとわたしの手許に来るのは来週となるだろう。 楽しみである。 1989年7月10日に刊行された『三好潤子全句集 曼珠沙華』 全句集の序文を平畑靜塔が寄せている。 行きづりに聖樹の星を裏返す 潤子 響きあふものあり吾と曼珠沙華 〃 この全句集刊行よりすでに33年の月日が流れた。 電話を切るときに加田さんが言う。 「yamaokaさんとは、ほんとうに長いご縁です。わたしがamaokaさんに会うために東京に行ったとき、どこで会ったか覚えます?」 「いいえ、すっかり忘れました。」 「東京にははじめて、すごく不安なわたしに、yamaokaさん、渋谷の忠犬ハチ公のしっぽを摑んでいて下さい、っておっしゃたんですよ」と笑う。 あら、まあ、そんなこと言ったんだ、わたし。 しかし、わたしとしては気の利いた(!?)こと言ったと思うわ。 だから、たぶんちゃんとお会いできたんだと思う。 今日はこれから、俳人の田島健一さんがご来社下さる予定。 目下、ふらんす堂のホームページで「平成の一句」の連載をお願いしている。 今日は、半年もすぎたのでちょっとおしゃべりをしましょう、と慰労の意味もかねてお会いすることになっているのだ。 アッ。チャイムがなった。 いらっしゃった。 では、また、のちほど。
by fragie777
| 2022-06-17 18:33
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||