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6月14日(火) 旧暦5月16日
![]() 夕暮れの鴉。 散歩する犬。 飛び立とうとする翡翠。 このところ寒い。 今日は午後三時ころから、床暖房をつけて仕事をしている。 ふらんす堂は靴を脱ぐ仕事場なので、ちょっとくつろぐ。 一日靴を履いて仕事をするのは、ちょっとね。 しかし、おおかたのビジネスの現場は靴を脱いだりしないだろうな……。 今日の毎日新聞の櫂未知子氏による新刊紹介にふらんす堂刊行の書籍が二冊とりあげられている。 〈ぶらんこを押してぼんやり乳である〉〈弾丸もヘアピンも鉄夏の月〉〈抱きとめし子に寒木の硬さあり〉 〈性格が八百屋お七でシクラメン〉〈春風や但馬守は二等兵〉〈うまさうなコップの水にフリージヤ〉 など、読者は取り上げられた一句一句に驚くことだろう。 同じく毎日新聞の坪内稔典氏による今日の「季語刻々」は、種谷良二句集『蟾蜍』より。 来し方を輝かせをり蛞蝓(なめくじり) 種谷良二 「ナメクジは嫌われがちだが、ナメクジはナメクジなりに生きている。この作者の見方、いいなあ。」と坪内さん。わたしも賛成。ほかに〈蟾強かヒトは愚かや戦なほ〉も。ナメクジの来し方まで展望する余裕、タダモノではない。。。かも。。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル帯あり 108頁 三首組 美味しそうな歌集である。タイトルもそうであるが、本の佇まいがまるでプリンそのもの。 出来上がってきた時、「あーら、美味しそう!」って叫んでしまった。 著者の船山登(ふなやま・のぼる)さんは、1968年岩手県釜石市生まれ、現在は川崎市在住。略歴によると会社員としてソフトウェア開発に従事され、その後、退職して大学で教えられているという。2008年から2010年まで川柳人社に所属とある。「川柳人社」とは、はじめて聞く名前だったので、調べたところ、1926年に設立された岩手県を中心とした「川柳」をつくる伝統ある団体のようだ。 なぜ紹介したかというと、船山登さんは、この度短歌によって歌集を上梓されたが、「川柳」をつくられていた期間があるということが本歌集の作品を読んで納得したのだった。風刺をきかせた批評精神は、ここで学ばれたのかもしれない。本句集の短歌はすべて二行ないしは三行の多行形式によるものである。 美しいけれど 地球は危険です ひいろうさんが大勢います 泥棒が日誌をめくり その件は書いてないから やってないです いま俺の同期がうまくとれてない ときどき固まる けど許して 忙しいあなたの 愛犬にかわり 散歩業務を代行します よこが十メートル たてが二メートル みんなが前に乗れるバスだよ この五首は、ご本人による自選五首である。 わたしが面白いと思ったものとほとんど重複しているので、そのまま紹介した。 歌の意味はわかりやすいので、そのまま面白がるのでよいのかもしれないが、しかし、ただ面白がることがもちろん作者の意向ではないだろう。 帯文に「ありふれた日常を、「非日常的」に切り取った感性の光る歌」とあるように、そこに歌われているのは、日常ではなくて非日常なのである。クスッと笑ってもいいけど、ひんやりとドキッとして欲しい。という作者の思いがあるのだ。非日常であってもなにかの拍子に日常にかわってしまうような危うさ、それがコワイのである。 ふるさとを出でし三月 みずいろの窓は曇りて冷たかりけり 雨のなか立っていた 宮本さんの 足あとだけが乾いていた いつかまた津波が来るだろう土地に 今また街が築かれてゆく 雨乞いをすれば必ず雨が降る だから降るまで踊り続ける 担当の文己さんの好きな歌から何首か紹介した。 「ふるさとを出でし三月/みずいろの窓は曇りて/冷たかりけり」の歌は、萩原朔太郎のかの有名な「旅上」を思い起こした。と云ってもかさなる部分は、「みずいろの窓」(朔太郎では「みづいろ」)のみである。しかも「旅上」では、五月、ここでは三月。それでもこの「みずいろの窓」は朔太郎の窓って思ってしまうし、思いたい。作者を朔太郎(の詩)を思いながらつめたい三月の電車の窓に頬をよせていたのだろう。本歌集のなかでは詩情のある一首である。私も好きな一首。朔太郎の「みづいろの窓」は五月の晴れた朝の色であるが、この歌の「みずいろの窓」は三月の曇った窓。作者の心の鬱屈を思わせる。背後に物語が潜んでいそうである。 「いつかまた津波が来るだろう土地に/今また街が築かれてゆく」この一首は、「泳ぐたい焼き」と題された一連の短歌のなかの一首である。作者の船山登るさんは、岩手県釜石市の出身である。東北大震災はきっと人ごとではなく、ご親戚や友人知人の方々が被害に遭われたことだろう。ブラックユーモアとも思える笑えない短歌がつづく。こういう短歌は、被害の内側にいる者としての意識からしか詠めないかもしれない。何首かを紹介する。「ふるさとは遠くで/波に沈むもの/テレビの前でなす術もなし」「ふるさとで職をみつけた/ラッキーな同級生が/津波で死んだ」「原子力発電は南極でやれ/(皇帝ペンギンが許すなら)」 診察を待つように ただじっとして 夜更けの店で弁当を待つ この歌は、校正スタッフのみおさんが好きなもの。「脳味噌の思わぬところに触れてくる歌ばかりで読んでいて不思議な気持ちになり ました 」とみおさん。みおさん、面白いことを云う。「脳味噌の思わぬところに触れてくる」だって。そう、それも作者のネライかも。この短歌、診察を待つこころ、と、弁当を待つこころ、いったいどこでつながるのだろう。頭の中では切り結ぶことがないこの弁当と診察、そうか、「じっとして待つ」か。「時間に耐える身体」。弁当を待つことも診察を待つことも、ひたすら待つ身体がある。 校正スタッフの幸香さんは、「「転送」が特に好きでした。」ということで、「転送」と題された一連の歌より二首紹介したい。「これからの宇宙旅行は/人間をデータに変えて送信します」「データのバックアップも万全です/元のあなたはもう要りません」。う~む。なるほど。。。なんというか、わたしは何も言えない。 見も知らぬ人にしあれど そっくりの親子を見れば 親しむ心 本歌集のおしまいの方におかれた一首。「親しむ心」に同感。よき言葉である。微笑むとか、嬉しいとか、よりももっと親愛の情がこもっている。この短歌、調べもいいし、啄木の文体を思わせるような一首とも。「親しむ心」良き言葉である。 本歌集の装釘は君嶋真理子さん。 作者の船山さんには、ご希望があった。 そう、タイトルの「プリン泥棒」の「プリン」のように。 まさにプリンみたいな歌集だ。 書名などの文字の書体にもこだわられた船山登さんである。 帯の黄色がひときわ軽快である。 帯をとるとプリンそのものであるが、黄色の帯があったほうが、プリンが美味しそうだ。 扉。 『十二少年漂流記』という本を みつけられない 客と店員 さて、この「プリン泥棒」という歌集名であるが、作者に伺ったところ、 タイトルの由来ですが、冷蔵庫にプリンが残っているのを見つけたので食べようとしたら、家族に「プリン泥棒!」と咎められ、その呼び名が気に入り、本のタイトルにしたいと思いました。 ということである。 本歌集は、著者の船山さんのご希望により、電子書籍にても販売しております。 ご希望の方は、是非に電子書籍をご購入くださいませ。 午後はひたすら全句集のためのテキストを打ち込んだ。 で、 なにかの拍子に、すべて打ち込んだデータが消えてしまったのだ。 ![]() 今日費やした時間と労力を思い、愕然としたが、 まっ、仕方ない。 明日やろう、そう考えるしかないのである。
by fragie777
| 2022-06-14 19:30
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