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6月12日(日) 旧暦5月14日
神代植物園の睡蓮の花。 睡蓮を見ながら、池の端の柵に腰かけて、しばらく時間をすごす。 ひと雨あったあとだったので涼しい風が吹いてきて、たいへん気持ちがよい。 鯉がいるらしく、ときどき花や葉をもちあげていた。 いまは夕暮がせまる二階の窓辺でこのブログを書いているのだが、鳥声がさっきからずうっとしている。きれいな声だ。 雀でもないし、四十雀でもないし、ましてや椋鳥や鵯でもなさそうだ。 姿は見えない。いったい何の鳥だろう。 北にむかっている窓から気持ちのよい夕風がはいってくる。目の窓からアオハダの木と山法師の木がみえる。 だいぶ葉が鬱蒼としてきた。 植木屋さんを頼まなくてはいけない。。 今日は田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』より。 髪剃や一夜に錆て五月雨 野沢凡兆 「かみそりや・ひとよにさびて・さつきあめ」と読む。五月雨はさみだれと、さつきあめと両方の読み方がある。旧暦五月は今の梅雨時に当たり、梅雨の雨のことをこう呼ぶ。じめじめしとうっとうしい雨の降るこのころ、ゆうべ使った剃刀を取り出してみると、驚いたことに赤錆が浮いている。髪剃や、という物それ自体を取り出したような詠い出しも新鮮だが、一晩で錆てしまったという驚きが率直に出ているところもおもしろい。時の流れに対する心の動きがあらわれている。といって、ものの哀れや無常を感じるほどの深刻さはない。何でもない日常的な世界の中に、作者の詩心が光る。 作者野沢凡兆は金沢生れの江戸時代の俳人。元禄のはじめに芭蕉の弟子となり、去来とともに芭蕉七部集のひとつ『猿蓑:の撰に当った。感覚的で、かつ印象鮮明な作品がその持味である。掲出句は、『猿蓑』所収。おなじ『猿蓑』に「五月雨や家ふり捨てなめくじり」という作もある。こちらは「さみだれ」。当時は蝸牛が殻を抜け出ると蛞蝓になると考えられていた。あるいは自画像かも知れない。(五月雨・夏)(田中裕明) そういえば、最近はこの「錆(さび)」をあまり見ない。 小さかったころは、自転車の錆や、くぎの錆や、蝶番の錆等々、けっこう目にすることが多かった。 いまは、錆止めなるものをあらかじめ塗っておくと錆びなかったり、錆の出るようなものそれ自体がない。 赤錆の色とあの独特な匂い。 それらも昭和という時代に置き去りにされていくものなのだろうか。 いまブログを書き終えたのであるが、もうすぐ7時になろうとしているが、まだ外は明るい。 電気もつけないでキイボードを打っている。 夏至までは、まだまだ日は永い。 鳥声はいつの間にか聞こえなくなってしまった。 雨後の神代植物園の雑木林。 緑がひときわ清々しい。
by fragie777
| 2022-06-12 18:56
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