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6月11日(土) 腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる) 旧暦5月13日
新宿駅通路のディオールのポスター。 今日は俳人・鍵和田秞子(1932~2020)の忌日である。 2年前の今日亡くなった。 『鍵和田秞子全句集』の出来上がりを心待ちにされていたが、出来上がりを待たず亡くなられたのだった。 2020年10月30日刊行 夏つばめ空を杳(とほ)しと折り返す ひしひしとと廃車積む闇草蛍 蓮ひらく中の一花のうち乱れ 荒梅雨や柱にもたれ人古ぶ 生まざりし身を砂に刺し蜃気楼 ほととぎす重心低く物思ふ 滝しぶき浴びて敗者のごと戻る 昭和とほし皿に音たて枇杷の種 炎天こそすなはち永遠(とは)の草田男忌 (『鍵和田秞子全句集』より、夏の句十句) かの夏や壕で読みたる方丈記 『光陰』 平成6年 「かの夏」は戦時中の夏である。女学生だった秞子は家族と共に平塚に居た。空襲警報が鳴る度に防空壕に入ったが、戦況が激しくなった頃、壕の中でいつも読んでいたのは鴨長明の『方丈記』だったと言う。無常観に貫かれた『方丈記』をその齢で正しく理解していたかどうかは分からないが、と回顧している。しかし、平安末期の大火や地震や飢饉等の災害の中で無常観に至り、閑居の楽しみを見出した長明の思いや生き方は、戦争という不条理の只中に立たされていた者にとって一条の光明であっただろう。 秞子が文学を志す契機の一書が『方丈記』であった。 炎熱や死者をさがして海に出づ 『胡蝶』 平成13年 この句も沖縄慰霊の日の句である。〈荒々しく蟬鳴く洞窟(がま)の昼の闇〉〈双頭の雲の峰立つ慰霊の刻〉〈人波の南風は熱風黙禱す〉に続いてこの句となる。 秞子は女学校時代に平塚で戦火を目の当たりにした。平塚には海軍火薬廠と航空会社があったため、空襲で全滅させられた。秞子一家は運よく助かったが、当時の光景が眼裏に焼き付いて、その後の人生観を変えた。 この戦争で一般住民が地上戦を体験した沖縄への思いも深い。秞子は句に詠むことで魂鎮めをしている。沖縄ばかりでなく南洋で亡くなった戦死者たちの魂も求めて、沖を見つめている。 休日の今日、竹橋の国立近代美術館で開催されている「ゲルハルト・リヒター展」に行く。 ゲルハルト・リヒター(1932~)の「生誕90年、画業60年、待望の個展」と題した題した大型展覧会である。 ドイツ・ドレスデン出身の現代アートの巨匠、ゲルハルト・リヒター。その個展が、日本では16年ぶり、東京では初めて、美術館で開催されます。 リヒターは油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用い、具象表現や抽象表現を行き来しながら、人がものを見て認識する原理自体を表すことに、一貫して取り組み続けてきました。ものを見るとは単に視覚の問題ではなく、芸術の歴史、ホロコーストなどを経験した 20世紀ドイツの歴史、画家自身やその家族の記憶、そして私たちの固定概念や見ることへの欲望などが複雑に絡み合った営みであることを、彼が生み出した作品群を通じて、私たちは感じ取ることでしょう。 画家が90歳を迎えた2022年、画家が手元に置いてきた初期作から最新のドローイングまでを含む、ゲルハルト・リヒター財団の所蔵作品を中心とする約110点によって、一貫しつつも多岐にわたる60年の画業を紐解きます。 大変面白かった。 写真撮影(一部を除いて)OKということだったので、バシャバシャ撮った写真の一部をアップします。 それによって雰囲気を感じてもらえればとも。 この作品↓は写真ではない、写真をペインティングしたものである。 近づいてよく見ると筆あとがわかる。 ほんの一部である。 これはアートではない。 帰り道に蟻が大きな翅のようなものを引っ張っているのを写真に撮ったもの。 しかし、ボケている。 リヒターの制作現場を撮影したDVDを購入したのだが、ボタンダウンのブルーのワイシャツを着て、大作に臨んでいる画家がえらくカッコ良かった。
by fragie777
| 2022-06-11 20:30
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Comments(2)
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