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6月7日(火) 蟷螂生(かまきりしょうず) 旧暦5月9日
緑のいろがまだやわらかい。 数日前に遊んだ場所であるが、こうしてあらためて写真でみるとここで過ごした時間が夢のように思われる。 昨日このブログで話題にしたアメリカ映画「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」は、いい映画だった。 すっかりストーリーを忘れていたのだが、(あれー、なかなかいい映画じゃん)って思いながら見たのだった。そのことばかり覚えていたミニー・ドライヴァー演ずるところの女性は、やはり素敵だった。でも、どうしてかつてこの女性のことばかりが印象的だったのか、それはちょっと不思議ではあるけれど。。。。その時、わたしはよっぽど何かでへこんでいたのかしら。よくわからん。。。 マット・ディモンは良かったし、ベン・アフレック演ずるところの彼の友人も良かった。(映画の最後にこの脚本はこの二人が手掛けたとなっていて、それは初めて知ったことである)ロビン・ウイリアムズ演ずる先生は、この映画の要のもう一人である。いい味を出しているけど、ちょっと出来すぎじゃない、って思っている。(こういう感じがいかにもアメリカ映画だよなーって)。ということは脚本の問題でもあるのか。。。まっ、いいか。。 新刊紹介をしたい。 四六判小口折表紙帯有り 216頁 2句組 著者の種谷良二(たねや・りょうじ)さんの第1句集である。種谷良二さんは、昭和33年(1958)東京都のお生まれで現在も東京都在住。在職中に愛媛県松山への単身赴任を命ぜられ、そこで俳句に出会う。平成18年(2006)松山市立子規記念博物館俳句教室にて俳句を始める。平成19年(2007)「櫟」入会、平成22年(2010)「櫟」同人、平成29年(2017)「櫟」東京支部を立ち上げる。平成30年(2018)「櫟」賞受賞。現在「櫟」同人、東京支部長、俳人協会会員。本句集には、「櫟」の江崎紀和子主宰が序文を、櫛部天思副主宰が跋文を寄せている。句集名「蟾蜍(ひきがえる)」は、本句集中5句も「蟾蜍」の句があると言うことから、蟾蜍に対する潜在的な憧れがあるのではないかと、句集の表題にしたと「あとがき」に書かれている。 江崎紀和子主宰の序文は、本句集の第1章から5章までの作品を丹念に読みながら、作者の俳句の特長に触れていく。ここでは、「蟾蜍」の句について箇所を紹介したい。 蟾蜍背中で啖呵切つてをり 罪人の眠る土から蟾蜍 蟾鳴くや左内松蔭三樹三郎 蟾蜍土下座の姿して不遜 蟾強かヒトは愚かや戦なほ 意外な生き物がどこか親しい存在らしく、国家の中枢で仕事をする官僚の立場の人が、首都東京の一角に現れる蟾蜍を身に近く詠い、その時に即して詠う自在さがここにある。特に土下座しているようでも不遜であると捉えた句。薄く開いた目で世を見渡している蟾蜍の神秘性まで漂わせ、これこそ「櫟」俳句の目指す写実を貫いた一句と言えよう。(略) この二年ほどは、世界的なコロナ禍の事情で、東京と松山の行き来も途絶え、種谷氏と直接顔を合わせることが出来なかった。が、この句集を編む作業の日々で、作品をさらに深く読み、これまで以上に親しさが深まった。 どんなに時間に追われても、毎月東京で句会を二つ動かし、句集紹介の記事を櫟誌に出稿する姿はまさに本物の俳人。似てはいないが、蟾蜍のでんと動かぬ構えは、向後さらに俳句を究めていかれる姿に込められるであろうと信じて筆を擱く。 「蟾蜍」という句集名を選んだ種谷良二さんに大いなる期待をされている江崎紀和子主宰である。 櫛部天思副主宰も懇切な跋文をよせておられる。櫛部副主宰は、初期の三句をまずあげて、 河豚汁今日のいのちを思ひつつ 日脚伸ぶ障子の桟に埃ため 晩酌を待ちかねてゐる遅日かな (略)「河豚汁」の句における回顧の思い、「日脚伸ぶ」の句における単身赴任の生活の実態、「晩酌を」の句における安堵の心が、優しい言葉遣いで衒いなく表されている。日常の些事に思いを寄せ、感情を抑制しつつ、己自身を丁寧に掬い上げて詠んでおり、「写実を軸として日本語を大切に人間を詠う」と、阪本主宰が唱えた理念にも通じている。句集には採録されていないが、俳人・種谷良二の出発点と言える三句である。 蟾蜍土下座の姿して不遜 句集名の「蟾蜍」を詠んだ掲句には、種谷さんの茶目っ気と俳句への覚悟を感じさせる。「不遜」とは聊か不穏な表現だが、単なる創作表現に止まらず、あらゆる挑戦を試みんとの宣言と見たい。 装幀のインパクトもさりながら、「蟾蜍」という集名を付した種谷良二さんにお二人とも期するところ大である。 本句集の担当は文己さん。好きな句をあげてもらった。 詠ふべきふるさと持たず啄木忌 封切れば息を始むる新茶かな してみむとてするなり我も日傘さす 春愁の一筆箋に収まらず 板前は無口がよろし初鰹 八月に貼り付いてゐる昭和かな してみむとてするなり我も日傘さす この一句には、紀貫之の土佐日記の有名な冒頭(男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり)が意識されているわけだけれど、この場合は、「女もすなる」ものを男であるわれも「してみむ」ということになり、それは何かと言うと、「日傘をさす」ということである。「日傘をさす」男性はいまではそれほど珍しくないが、種谷さんにあっては、たぶんちょっとばかし勇気のいることだったのかもしれない。紫外線が皮膚がんなどを引き起こすことをかんがみれば、当然日傘はそれを必要としている人間には大切なものだ。多分種谷さんの世代の男性は「日傘をさす」ことはしてこなかったことだろう。それに日傘といえば通常女物とされているものがおおい。それを誰がさしてもいいわけだけれど、種谷さんにとっては敢えて「してみむ」としてしたわけである。「日傘」という季語を面白い角度から詠んだ一句であり、いままでに日傘がこういう風に詠まれたことはなかったと思う。ただ、21世紀のこれからにおいては、「日傘」はあらゆるジェンダーにひらかれているものであると思うので、「我も日傘さす」人間が増えてくると思う。昨日の朝だったか、仕事場にむかう途上で、向こうから乳母車をおして若い父親らしき人がやってきた。片方で乳母車を押し、片方で白い女物の傘をさしかけて。すらりと背の高いその男性は、乳母車を押すことも板についていた。わたしはそれを見て、(日本もいい時代になったな…)と思い、自然と頬が緩んだのだった。 春愁の一筆箋に収まらず この一句、春愁の厄介さが見えてきて面白い。「春愁」は、とらえどころのない憂いであり、ふとしたことから悲しみ沈んだりするものであるので、なかなかその理由もみつからず、結構手ごわいものかもしれない。だから、このどうしようもない胸中の憂いを人にわかって貰おうとしたりすると連綿と心中を述べることになり、そりゃあもう、便箋が何枚あってもたらずましてや一筆箋なんかには収まりっこない。この句の面白さは、「一筆箋」という具体的なものを通して「春愁」という目にみえないものをはかろうとしていることだ。おお、そうか、「春愁」って「一筆箋」なんかには収まりそうもない、そんな厄介なものだったんだって気づかせてくれる。「一筆箋」はわたしも好きで、とくに鳩居堂のものが好きで愛用している。でも若者は一筆箋なんて使うかなあ、彼らの場合、伝達はSNSが中心だ。若者は「春愁」をラインで収めることができるのか、若者でなくてもわたしもラインなどはよく使うが、これはこれで、便利で、たとえば、わたしの場合、「春愁」を細切れにしてラインで送ったりするかもしれない。そのスピード感は案外救いとなるかもしれない。しかし、掲句の一句。この句を支配している時間感覚がいい。スピードではないのだ、もっとスピードとは違う、人間通しのゆったりした心のやりとり、そんな感触があって、わたしも好きな一句である。 父の日と言ひ出せぬまま暮れにけり この一句、とても好き。家父長的な父親像とは正反対のちょっと情けない父親がいて好もしい。今日が「父の日」であることを父親だけが気づいていて、ほかの家族は誰も気づいていない。(と思いたい。気づいていて知らんぷりだったら悲しいから)で、最初は誰かが気づいてくれるだろうって思っていたのだが、結局誰にも気づかれぬまま一日が終わろうとしている。あーあ、そうか、誰も気づいてくれないのか、オレってそんな存在か、、、と、さびしい父親がいる。「言い出せばいいじゃない」っていうこともあるが、父親って案外めんどくさい存在で、自分からは言いたくないけど気づいて欲しいという屈折した感情があり、それをもてあましている。言ってしまえば、家族は「あらー、ごめんなさい、気づかなくて、お父さん!」なんて事になるんだと思うのだが、そして、可愛いなあ、お父さん、そんな思いで一日過ごしていたの、とばかり笑われる、それもいやだ。、。。思うに、このお父さん、家族をとても愛しているんだなあって思ったのである。気持ちのベクトルはつねに家族へと向けられている。「セーターを着て職場では見せぬ顔」という句もあって、やはりこの顔はきっと家族へと向けられているんだろう。とっておきの顔である。ほかに「父の日や遣り直したき父の役」。気持ちはわかるけど、家族からちょっとうざいって言われるかもしれませんことよ。 筍を包む日経株価欄 序文で江崎主宰は、「株価の乱高下など、俳句の即物とは少し異なるが、官僚の日々にあってはこれが大も大変な状況だった。」とこの句に対して書かれている。筍を包んだのが、新聞紙であるわけだけれど、たとえば、朝日新聞とか日経新聞とかまでは俳句で詠まれているのを見たことがあるが、ここまで言ってしまったのがすごく面白いと思った。日経の株価は種谷さんにとって切実なものだったので、どうしても単なる新聞紙ではなく、それが日経の株価欄であることに目がいってしまうのだ。日経株価欄が筍を包んでいるというのが具体的すぎて面白い。果たして日経株価欄につつまれた筍は落ち着いていられただろうか。筍の気持ちを思ってしまった。 赤い羽根今朝の背広に移しけり 仕事の日々を丁寧に生活している方なんだと思った一句である。赤い羽根募金があればきちんとそれに対応し、その赤い羽根を胸につけ、そして衣類をかえたらそれを付け替える。朝着ていく背広にきちんと羽を移しかえている律儀な仕事人の姿が彷彿としてくる一句だ。 来し方を輝かせをり蛞蝓 校正者の幸香さんの好きな一句である。これもいい句だ。来し方を輝かしたのはだれ?と思えば、蛞蝓であるというのだ。蛞蝓への素晴らしい挨拶句である。蛞蝓の通った跡って濡れて光っている。それを「来し方を輝かせをり」と表現し、輝かしい蛞蝓の人生へのオマージュでもあるかのように詠んだ。茶目っ気もあって、とても良い句であると思う。蛞蝓はきっと光栄におもったにちがいない。 本句集には、平成十九年から令和三年までの三百四十句を収めた。多忙で緊張の続いた現役時代と官を辞し自己を見詰め直すゆとりの出来た時期とを含む。改めて拙句を読み返すと、その時その時に取り組んできた様々な事象を思い出す。現役時代は仕事柄赴任地を離れられない時期や危機管理の最前線にあって二十四時間気の抜けない時期も多かったが、どんな状況下でも俳句は私の精神的な支えになってくれた。この間、東日本大震災の現地にも何回か足を運んだ。本物の「綿虫」を初めて見たのも福島の被災地であった。しかし、被災された方々に寄り添う句を作るだけの感性と表現力を持ち合せていなかった。拙句はなお「余技遊俳」の域を出ていないものだ。今後この域を超えることが出来るか否かは己の努力次第。更に広く俳友を得て刺激を頂き自己研鑽していきたい。 「あとがき」の一部を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 蟾蜍が登場しているが、この装画は、種谷さんの小学校時代のご友人の永山伸一さん。 永山さんは、この装画のみならず、本文の各章ごとに挿画を寄せておられる。 君嶋さんは蟾蜍の絵をなかなかうまいかたちでレイアウトをした。 表紙の裏側には後ろ向きの蟾蜍が。。。 後ろ姿も味わい深いものがある。 帯をはずしたところ。 扉には後ろ姿の蟾蜍。 本文の挿画。 初鰹ちよいと厚めに切つとくれ 決断の早さがずば抜けており、江戸っ子気質だと常々思っていたが、「初鰹」の句に、やっぱりと頷く。その場や自身の姿を飾らず見せる心地よさがここにある。(江崎紀和子・序より) ご上梓後のお気持ちを種谷良二氏よりいただいた。 俳句を始めて15年の節目に句集を作ろうと思い立ち、ふらんす堂さんに原稿を持ち込んだのが昨年の11月。それから約半年の月日を掛けて完成した句集を手にして感無量です。 この間、初校の段階で一句について「類句あり」の指摘を頂き、これを契機に改めて全句について類句がないか可能な範囲でチェックをし、どこまでが許容範囲かを考えながら句を差し替えるなどしたがために時間が掛かりました。また、装丁のデザインや表紙の紙質などについても、御社に伺い実際に自分の目で見、指先で感じた上で決めさせて頂きました。大変なお手数をお掛けして申し訳ありませんでした。お陰様で出来上がりに大いに満足しております。 時間と労力は掛かりましたが、句集を作るプロセスは楽しくもあり充実したものでした。この過程を通じ自らも少し成長したような、そんな達成感を感じております。 この句集は、結社の主宰及び副主宰、表紙絵・挿絵を描いてくれた古い友人、そしてふらんす堂の皆さんのご協力を頂いてできたものと深く感謝しております。ありがとうございました。 種谷良二氏。 蟾蜍背中で啖呵切つてをり 後ろ姿の蟾蜍は、そうか、「背中で啖呵を切つて」いる蟾蜍であるということだったのだ。 裏表紙に後ろ姿の蟾蜍の絵を入れようというのは、種谷さんの案であったらしい。 そこまでこだわるとは、 この後ろ姿はきっと種谷さんご自身のことかもしれない、な。。 どくだみの花
by fragie777
| 2022-06-07 20:19
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