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6月2日(木) 旧暦5月4日
神代植物園に咲いていた卯の花。 こちらは神代水生植物園に咲いていた卯の花。 すこし種類がことなるようだ。 6月4日に小野市において小野市詩歌文学賞の授賞式が開催される予定である。 大石悦子氏の句集『百囀』は昨年の受賞句集であるが、昨年は授賞式が行われなかったので、今年の受賞句集『夜須礼』の著者の井上弘美氏と一緒に授賞式が行われるようである。 当日は伺うことはできないので、今日大石悦子氏にお電話をしてお祝いを改めて申し上げたのだった。 「お元気でいらっしゃいますか」と伺うと、「それがね、そうでもないのですよ。ちょっと膝を痛めてしまって」ということで、歩くことがすこしお辛いらしい。膝は人間の体重をささえる大事なところである。そこが痛いのはさぞお辛いことであると。 お電話で久しぶりなのでちょっといろいろとお喋りをした。 大石さん家には大きな朴の木がある。朴の木をみると大石悦子さんのことをわたしは思う。 「今年、朴の花咲きました?」と伺うと「ええ、どうにか。植木屋さんが上の方を切ってしまってどうなることやらって思ってましたが、15ぐらいは花をつけたかしら」「それは良かったですね。」「朴の花って、一度ひらくとひらきっぱなしなのですか。そしてどのくらい咲いているものなんですか」朴の花初心者の私はいろいろと伺いたい。「4日なのです。朴の花のいのちは。まず、一日目は朝に蕾が開きます。そして夜になると閉じるんです。」「ええっ、閉じるんですか!」「ええ、閉じるんですのよ。そして朝に開いて、夜に閉じて、4日目は朝開いてそしてそのまま閉じずに、やがて茶色になって散っていくのです。」そうか、4日間なのか。さすが大石さんは、よく観察しておられる。夜になって閉じたところをいつか見てみたいなあ。 「どうぞ、くれぐれもお身体お大事になさってくださいませ。」と申し上げて電話を切ったのだった。 すこし時間が経ってしまったが、新刊句集を紹介したい。 菊判正寸ハードカバー装帯有り。収録内容は、既刊句集全10冊のほか、句集『朝の森』以後、自句自解100句、エッセイ。解題(仲寒蝉)、年譜(小泉瀬衣子)、初句索引、季語索引。全部で4176句を収録している。 栞は、高野ムツオ、能村研三、櫂美知子、関悦史の各氏。 第1句集『父寂び』に寄せた能村登四郎の序文から抜粋して紹介したい。 およそ俳句のような短い詩型の中で自分の作というレッテルを貼っていける人はそんなにいない。大牧さんの作品は器用無器用を越えて俳句の内包している人間の映像がよむ人の心を捉える。大牧さんの俳句は一口に言うと十七字の枠の中で人間映像を実にみごとに描き出す力をもっている。(略) 大牧広さんはそれらのものを私小説や小市民映画の一齣のようにみごとに捉えて十七字の中にぴたりとはめ込む。中年の曲折した心の陰翳は時としてはもの悲しく、時としては滑稽にも見え、又時としてはくそ真面目にも見え人間百態が展開する。(略) 初老の父親像をみごとに描いた映画といえばすぐ小津安二郎の作品を思い出すが、あの映画のように何事も起こらないような日常の中の人間の心の翳りと屈折が実にたくみに表現されている。よんでいて人間とはかくもも悲しく滑稽なものかと思いときには切なくなることがある。(略) 小津安二郎の映画で笠智衆の父親が酒場の止り木に独りぽつねんと飲んでいる姿を背後からすくい上げるように撮っている一齣があるが大牧広さんはこの後もあんな姿勢で俳句をつくりつづけるに違いない。 さすがに能村登四郎はよく弟子を理解しているとこの序文を読んでおもったのだった。大牧広氏が亡くなる前年にふらんす堂のホームページで「俳句日記」を日々連載しておられたが、そこで、「映画監督になりたかった」と記しているのである。また、本全句集には、「自句自解100句」が収録されているが、これは、ふらんす堂刊行のシリーズの『自句自解ベスト100大牧広句集』をそのまままるごと収録したものであるが、ここにも映画のことが良く出て来る。また、この自句自解において最も語られているのは、戦争のことである。自身の戦争体験である。戦争体験者がつぎつぎと亡くなっていく21世紀である。戦争を体験した人間が戦争について語っておくことは貴重なことだ。余談になるが、今日俳人の秦夕美さんと電話で話をしていて、秦さんがこうおっしゃった。「映画やテレビで戦争のドキュメントシーンを見るでしょう。あれで戦争を知ったなんて思ったらダメ。ああいうシーンには「匂い」がない。あの「匂い」は、戦争を体験したものじゃなくっちゃ決してわからないもんよ」と。「匂いか!」全然おもってもいなかった。つまり、戦争については、さまざまな角度から体験者は語っておく、ということが大切なんだろうとも思う。大牧広全句集にこの自句自解を収録したことの意味は大きいと思う。 噴水の内側の水怠けをり 『父寂び』 どうしても吾に似てをり蝸牛 〃 競泳の敗者はことにしたたれり 〃 世界史のはづれに居りて懐手 〃 おちぶれし老優のごと冬ごもり 『某日』 春の海まつすぐ行けば見える筈 『午後』 狐火を信じる妻を愛さねば 〃 釣しのぶ濁世なかなか面白き 〃 能村登四郎を師とし人間の肌触りを大切にする抒情性から出発した大牧広は、したたかな批評精神をもって戦後日本をみすえた昭和一桁生まれの俳人である。その俳諧魂は屈折した哀愁をただよわせ、悲しみの眼差しをやどす。一介の庶民であることの誇りを失わず、時にその怒りを作品にぶつけつつ都市生活者として生き抜いた一俳人の全句集である。(帯文より) はきはきと山暮れてゆく祭笛 『昭和一桁』 おでん酒一期一会の肘ぶつかる 『風の突堤』 股引の穿くといふより逢ふ心地 『冬の駅』 一生のわが不器用は蜷以上 〃 屑金魚無駄な元気を見せにけり 『大森海岸』 裸木の全裸となりてより崇高 〃 正眼の父の遺影に雪が降る 『正眼』 着ぶくれて人も自分も許さざり 『地平』 働かぬ日の大切や桃の花 〃 無駄な日をむしろ愛して蜆汁 『朝の森』 おぢいさんとは吾のこと大花野 〃 横顔を冬日に預け世を許さず 〃 すててこやされど珈琲熱くせり 『朝の森』以後 大牧広は反戦反骨精神と人間愛を貫き、晩年、遂には他に紛れることのない巍巍たる一世界を創造したのである。そのすててこ穿きの、頑迷愚直の決して右顧左眄しない庶民俳句を心から讃えてやまない。今も、中新田で一緒にバスの中から眺めた、倒伏しながらも豊かに実った稲の姿を鮮明に思い出す。(高野ムツオ 栞「すててこ俳句礼讃」より) 噴水の内側の水怠けをり 『父寂び』 両国といふ駅さびし白魚鍋 〃 大牧広さんというとこの二句がすぐに思い出される。大牧さんは「沖」が創刊して間もなく入会された方で、私もほぼ同時期に俳句を始め、いろいろな句会で一緒になり刺激を受けた人である。(略)「沖」の創刊号の次の号から参加した大牧さんを登四郎は早くからその才能を認め、個性という自分の匂いを出し、十七字の枠の中で人間映像をみごとに描き出す力を持っている作家であることを見抜いていた。(能村研三 栞「『父寂び』のこころ」より) ラストシーンならこの町この枯木 『某日』 『某日』所収の作品である。(略)「昭和一桁」生まれのかたがたのいだいた夢、そして捨てきれなかった夢。生きてゆくために選ばざるを得なかった職業の重さを、あるいは無念さを、この句の一見軽やかな味わいの陰に私は見出す。〈懐手解くべし海は真青なり〉〈煮凝にするどき骨のありにけり〉など、大牧先生には、印象的な作品がたくさんある。都会に生まれ育った人ならではのペーソスと飾らない優しさがある。と同時に、語り切れなかったさまざまな思いが、発表されなかった作品の陰にあるのではないかと思われてならない。(櫂未知子 栞「語り切れなかった思い」より) 大景をいつさい詠めず鰯焼く 『父寂び』 俗界を離れた大自然に限らず、亡国もまた「鰯焼く」人の暮らしとはスケールを異にする。不得手な大きな題材が入ったときそれを陰画に立ち上がる暮らしへの慈しみ。そこにこの作者の持ち味があるのだとしたら、「庶民の哀歓」でかたづけるには自意識、自己言及(他にも俳句で俳句を詠んだ句がよく見られる)の色が濃い。「嘆かひ」の発句と呼ばれた久保田万太郎の句の粋からも遠い。(略)理で成りたちながら理に終始しない句をときにさしだす大牧広の真価が知られるのは今後のことであろう。(関悦史 栞「気分に染みとおる社会」より) 秋の金魚ひらりひらりと貧富の差 『朝の森』 本句集の装釘は和兎さん。 俳句は一度は迎えなければならない絶対的なもの「死」、そのときのための逆算的な表白である、というのがこのごろ確と胸中を占めてきた俳句観である。俳句はだから引算の文学と言われている。余計なことばを省きつくして、何を言いたいのかだけを言えばよいのであると思っている。(大牧広・エッセイより) 本句集の編者は、仲寒蝉氏と小泉瀬衣子氏である。 そのお一人、小泉瀬衣子氏は、大牧広氏のご息女であり、俳人である。 お父さまの思いを引き継いで、全句集刊行に尽力され実現された方である。 『大牧広全句集』が刊行になったそのお気持ちを伺い、お好きな句をあげていただいた。 『大牧広全句集』を上梓して 小泉瀬衣子 「明日、全句集の見本誌が十冊届きます」と山岡さんからメールをいただいた夜、久しぶりに父の夢をみた。夢の中の父は、風呂上がりのようなこざっぱりとした表情に白いランニング姿で茶の間の座卓に正座をし、原稿か何かの紙の束に目打ちで穴を開け、そこに麻紐を通していた。それは父が「港」を主宰してから行っていた事務作業の一つだった。夢の中で父の傍にいた私は、これは夢だと認識しつつ「お父さん、若いな」と、その横顔を見つめていた。そして夢から覚めて数時間後、全句集が届く。「お父さん、できたよ」と遺影に全句集を供えたときは、やはり、感慨無量だった。 潮騒も父より継いで麦を踏む 帰省子がとほりしのみの昼の橋 競泳の敗者はことにしたたれり 夕映の方を花野の出口とす 弟に姉が濃くなる夏休 (第一句集『父寂び』より) 開戦日が来るぞ渋谷の若い人 金銀を売らぬかといふ初電話 ハンカチの皺くちや若き日のやうに 古代より夕暮はあり芒原 敗戦の年に案山子は立つてゐたか (第十句集『朝の森』より) 『大牧広全句集』にお力添えをいただいた全ての皆様に深く深く感謝を申し上げるとともに、一人でも多くの方に読んでいただけることを願ってやみません。 お父さまの大牧広氏と小泉瀬衣子氏。 お父さまとご一緒のお写真を送ってください、と申し上げたところなかなかいいのがなくて、やっと捜しました、と言って送って下さったお写真である。
by fragie777
| 2022-06-02 18:59
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