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5月31日(火) 麦秋至(ばくしゅういたる) 旧暦5月2日
この花が匂い濃く咲き出すと、「ああ、夏なんだ」って働きながらわたしたちは思う。 秋には、実を狙って鵯などの鳥たちがやってくる。 ご存じのように「レストラン中村」は、昨年の暮をもって店じまいをしたのである。 仙川商店街ではよく知られた歴史のあるレストランだった。 まもなく解体工事がはじまるだろう。 ここが取り去られると、きっといまより高いビルが建つことになると思う。 わたしがいつも見ている窓の風景も変わってしまうだろう。 なによりこの黐の木が伐られてしまうのが残念だ。 見納めっておもって、毎日のように眺めている。 毎日新聞の坪内稔典氏の「季語刻々」の記事を紹介したい。 26日づけは、森賀まり句集『しみづあたたかをふくむ』より。 掃除機を後ろに曳くも青葉冷 森賀まり 「青葉冷えの中の人と掃除機がちょっと生物めいて感じられる。その風景なんだかおかしい。いい絵だ」と坪内さん。「掃除機」を俳句に詠むって、難しいんじゃないかって思うが、俳人は題材をいとわず、なんでも果敢に俳句にする。この句などとても自然に詠まれていて、生活のなかからふっと生まれてきたって無理なくおもわせる一句だと思う。曳くという一連の縦の動作があり、「青葉冷」という青葉の横のひろがりを読者に見せそれから「冷え」という体感を呼び起こす。小さな詩型のなかにさりげなくたくさんの情報があり、それを確実に読者に伝えている。とても自然にさりげなく。 本日の31日づけのものは、『現代俳句文庫 遠藤若狭男句集』より。 金閣にほろびのひかり苔の花 遠藤若狭男 「今日の句の作者は福井県敦賀市生まれ、つまり若狭と呼ばれる土地の出身である。それで若狭男と号したのだろう。」と坪内さん。若狭男氏は、2018年に亡くなられている。「今日の句、若狭出身の主人公が登場する三島由紀夫の小説「金閣寺」が踏まえられているかも」と坪内さんは記す。わたしもきっとそうであると思う。若狭男氏は、中学高校では、俳句や短歌に親しまれたが、大学時代は小説家志望でおられたのだ。小説集も出されているし、小説家との交流もあったと思う。この一句は、遠藤若狭男氏らしい一句であると。 「ふらんす堂通信」に「わたしのプルースト」と題して連載をはじめられた高遠弘美さんから、173号の連載二回目となる原稿を拝受した。 今回は、かの有名な「マドレーヌと紅茶」についてである。 「失われた時を求めて」を知らなくても、プルーストと言えば「マドレーヌと紅茶」という具合にまさにプルーストにおいてのデフォルトである。 そして「マドレーヌ」と言えば「紅茶」とすぐに連想されるほど、マドレーヌには紅茶がかかせない。では、「失われた時を求めて」において、「マドレーヌと紅茶」はいかなる関係にあったのだろうか。 その真実(?)は如何に、と。 スリリングに文学的真相を求めて、高遠さんは迫るのである。また、ことは「マドレーヌと紅茶」のみに限らず、この「失われた時を求めて」をどう読んだらいいのか、それを懇切に解き明かすのである。そこに書かれている言葉がもつ意味深さへとわたしたちを導いていく。 わたしは面白くて一気に読んでしまった。 その高遠弘美さんが目下、力を注いでいる仕事がある。 この夏か秋に素粒社より刊行予定の市河晴子紀行文集「欧米の隅々」という書籍のことだ。高遠さんが編者として携わるもの。 市河晴子って何者が。刊行予告のフリーペーパーによれば、 渋沢栄一の孫にして、稀代の紀行文の書き手であった市河晴子(1896~1943)の代表的著作である『欧米の隅々』(1933)『米国の旅、日本の旅』(1904)より一部を精選。編・解説はプルースト『失われた時を求めて』の新訳で知られる仏文学者の高遠弘美。 高遠さんが送ってくださった資料には、本著にあたる「はじめに」と『解説」の部分がある。 そのほんのさわりだけを紹介しておきたい。 「はじめに」で高遠さんは、こう書く。 最初に私が市河晴子の名前を知ったのはまったくの偶然でした。 2006年6月のこと。当時、明治大学に勤めていた私は偶々入った神保町の古本屋の棚に『欧米の隅々』なる本を見つけ、何気なく手に取って適当にページを開きました。それから会計をするまで三分も経っていなかったような気がします。浜の真砂に手を差し入れたら思いがけず貴重な宝を探しあてたような感じでした。 そして、解説において、市河晴子の本を刊行する現代的意義を記している。 本書は紙数の関係上『欧米の隅々』と『米国の旅・日本の旅』からあえて選んで一本に纏めたものです。いずれも甲乙つけがたい章から選ぶのは至難の業でした。ただ稀代の文章家だった市河晴子が綴ったみごとな紀行文のおおよそはわかるのではないかと思います。そこには女性の正当な権利を主張する熱き言葉も鏤められ、性を異にする私自身も叱咤激励される思いを何度も味わいました。現代にあって、もっとも必要とされる言葉はたとえば市河晴子から発せられていたのではないか。そんな気がしてならないのです。晴子の言葉はそれほど近くにあって私たちを慰藉すると同時に鼓舞し続けています。耳を傾けるのは今からでも遅くありません。 フリーペーパーを見て、あらって嬉しかったのは、小津夜景さんの推薦のことばを見いだしたときだ。 文章の弾性力が抜群で、自由でありながらも周到な計算を欠かさず、美文に抗い美を模索する姿勢に惚れる。ーー小津夜景 小津夜景さんも推薦されている、刊行が待たれる一書である。 問い合わせは、 →素粒社へ あたらしく取り付けたわが家のチャイム。 今朝、とうとう鳴った。 大地の会の宅配のお兄さんがやってきたのだ。 「ピンポーン」 あれ、思ったほど大きくないぞ。 で、わたしときたら、いつものようにその場でデッカイ声をだし、 「はーい!」 ドタドタと二階を降りていったのだった。 顔がわかるヤツなのに、電話器もついているのに、なんにもしないで、 いつもどおり。 だから、画面にどんな風に人の顔がうつるのか、まだわからないのである。 間抜けでしょ。。。。
by fragie777
| 2022-05-31 19:40
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