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5月25日(水) 旧暦4月25日
緑蔭。 草茂る。 草いきれの中の自転車。 どうやらわたしにはデフォルトなるものがもうひとつ追加されたようである。 それは、「リュックの口の開いている女」というもの。 少し前に、自転車に乗ったわかい女性から「リュックの口がめちゃ開いてるう!」と指摘され、 ついこの間、通りすがりのおじさまから、「リュックの口あいてるよ!」って声をかけられ、 そして今朝、後ろからやってきた婦人に「奥さん、リュックの口が開いてますよお!」と注意されたのだった。 その度にわたしは「あらあ、ありがとうございます!」と言って、あわてて背中のリュックにふりかえり、恥じらいもなく大口をこの世に開けたリュックの口をしめるのである。 そして、思うのである。(ちゃんと閉めたはずなのに)と。 つまり、それなりに注意はしているのである。 だから、どこでどうリュックの口が開くのかとんとわからないのである。 これはもうリュックがわたしを貶めようとしているとしか考えられないのであるが、リュックにムキになっても仕方がないので、それにわたしは人生をけっこう十分生きて来たそれなりの大人なので、そういえば最近読んだ小説のなかで、「現実の人生は渾沌である。が、一方、想像の人生はおそろしく論理的なところがある」と言った一節を思い出したりして、渾沌の人生をひきうけようとこの謎はふかく追求しないことにするのである。論理をあたえるとしたら、わたしのデフォルトである、ということだ。 注意しなくてはならないのは口をあけたリュックからお財布などが剥き出しになっていて、まさに抜いていってくださいって言っているようにみえること。また、周囲の人たちに心配をさせてしまうこと。デフォルトなどと居直っていてはいけない。しかし、どう気をつけたらよいのか。渾沌である。 いくつか新聞、雑誌等の記事を紹介したい。 5月10日づけの毎日新聞にて、櫂未知子さんが、和田華凜句集『月華』を紹介してくださった。 第2句集。柔らかな言葉の選択と季語に対する信頼が光る。後藤夜半、比奈夫、立夫、そして現在の華凜へと受け継がれた「諷詠」誌の明るい伝統が読む者を楽しませてくれる。 光る音して薄氷の溶けにけり 華凜 はみ出して売るものばかり酉の市 〃 「俳句四季」6月号の、座談会「名句集を探る」司会・筑紫磐井、参加者・大西朋、しなだしん、西山ゆりこの各氏で、小島明句集『天使』がとりあげられている。推薦者は大西朋さん。抜粋して紹介したい。 大西・(略)「付記」に出てうる小島さんの言葉で「俳句に詠んでいいのは、『一見どうでもいいことのように見えて、実はどうでもよくないこと』」という言葉が私はとても好きで、これは俳句の本質のような気がします。小島さんの次の句集を読んでみたかったですね。 「夕雲雀高く昇るは墜つるため」。雲雀は高く昇ったらすとーんと落ちる。それを繰り返すんですけれども、薄暗くなる頃、それを見ている人はあまりいないと思うんですね。夕雲雀を眺めていてだんだん寂しくなる時間と空間を捉えていて、詩人の目を感じます。(略) しなだ・共感できる作品がすごく多くて、それをご本人に伝えられないのが残念です。大西さんも挙げていましたが、俳句に詠むのは「一見どうでも良いことのように見えて、実はどうでもよくないこと」、この辺りに私もとても共感しました。俳句には俳句表現にふさわしいテーマとか物事があるんじゃないかと個人的に思っているので、この作者の、手触りみたいなものを自分の表現にして言い当てようとするという姿勢には共感できました。(略)大西さんが触れていた「指でとる猫の目脂や夏の風邪」。これが一番いい句だなと思いました。率直で的確な把握ですね。(略) 西山・俳句の人、詩の人という風に分けないで楽しんで読みました。この方は本当に動物が好きだったんだなと思って共感しました。(略)一番好きだったのが、「飯炊くや鶴に戻れぬまま老いて」。これはもう「鶴の恩返し」の世界観をそのまま持ってきているんですけれど、物語の中の鶴に感情移入して愛でるような感じですね。俳句の人からすると「鶴」が効いていない、主役じゃないみたいな突っ込みを入れられてしまいそうですが、この方の中で絵が出来上がっているので、それが伝わって面白く読めました。(略) ほかに取り上げられている句集は、相子智恵句集『呼応』(左右社)と佐藤智子句集『ぜんぶ残して湖へ』(左右社)の2冊、これらの句集は、第13回田中裕明賞の応募句集であり、句集『呼応』は、第13回田中裕明賞に輝いた句集である。それぞれ丁寧に評されているので、是非にお目をお通しくださいませ。 おなじ「俳句四季」において、二ノ宮一雄氏による「一望百里」では、和田華凜句集『月華』が紹介されている。こちらも抜粋して紹介したい。 能面の月華を宿す白さかな 華凜 曾祖父の後藤夜半の兄弟は能喜多流の人間国宝であった。作者の仕事場の「月華庵」に遺品の能面が掛けてある。「遺伝子のせいか、能、歌舞伎、浄瑠璃、狂言と言った日本の古典芸能の世界には心惹かれる」(あとがき)という。(略) 次のような句からは夜半、比奈夫、立夫と継いできた魂が見える。 光る音して薄氷の溶けにけり 華凜 コスモスの風ぐせつけしまま生けて 〃 煩悩の消え去るほどに汗をかく 〃 「鬣」83号 書評頁に小島明句集『天使』が取り上げられている。 永井貴美子氏によって。ここでも抜粋して紹介をしておきたい。 たくさんの句をあげておられるが、そのうちいくつか。 冬林檎ジャングルジムは天使領 明 たましひもおほよそ水と知る秋ぞ 〃 聖フランチェスコの小鳥来たりけり 〃 犬深く埋め浅きにものの種 〃 白鳥の灯れるごとく暮れにけり 〃 句の世界はとても静かで、ほの明るくて、居心地がいい。その世界は作者がたどり着いた天使の領域かもしれない。 「付記」に、作者が亡くなる少し前にネットの談話室に書いた作句についての言葉がある。「…俳句に詠んでいいのは、『一見どうでもいいことのように見えて、実はどうでも良くないこと』だけです」簡単なことを言っているようで、じつは自分がその反対のことばかりを詠んでいたのかもしれないと思えてこわかった。 金網の隔つる猫と猫じやらし 〃 金網で隔てているのは、金網がなければ続いているはずの世界。現実の世界と俳句の世界、俳句と詩、あの世とこの世、どちらにも自分がいて、その気になれば乗り越えることも、くぐり抜けることもできる。それを十分にわかっている人だったに違いない。 「…俳句に詠んでいいのは、『一見どうでもいいことのように見えて、実はどうでも良くないこと』だけです」という小島明さんの「付記」の言葉は多くの俳人の心を捉えたようである。 なお「俳句時評」の頁で、外山一機氏が、有住洋子著『陸の東、月の西』と、仁科淳句集『妄想ミルフィーユ』をとりあげて丁寧に評してくださっているのは嬉しかった。記して感謝申し上げたい。 今日は支払い日である。 いちばん、採算が気になる日だ。 どうにか支払いもできた。 間違って振り込まないかぎり。(これがね、案外やっちゃうのよ) 遠望するとストレスが高くなるので、目先1メートルくらいをみながら、なんとかやっております。 さっ、帰ろう。 リュックの口をちゃんとしめて、ね。 ![]()
by fragie777
| 2022-05-25 19:34
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Comments(2)
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