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5月22日(日) 蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ) 旧暦4月22日
午後に出かける前に自転車を走らせる。 丸池公園には楝の樹が3本あってそのうちの一つ。 なにやら旗がたてられている。 うしろから来た人が、「あら、ウクライナの旗が立っているわ」と。 そうか、この黄色と青はウクライナ国旗なのか。。。。(認識不足のyamaokaである) 樹に登ってあそぶ子どもたち。 いい季節がやってきた。。 今日は午後2時より新宿にある京王プラザにおいて、俳誌「沖」創刊50周年のお祝いの会が開かれた。 Pさんとふたりで出席。 1970年に能村登四郎によって創刊され2001年能村研三に継承された「沖」は今年で52年目となる。お祝いの会を予定しながら、感染症コロナによって何度かの延期をよぎなくされ、本日、リモート体制による祝賀会が開催されたのである。 ご挨拶をされる能村研三主宰 登四郎より「沖」を継承し、「ルネッサンス沖」を掲げ、「新しい俳句」を目指して今日まで頑張って来た。そういう私も72歳となり、80歳を意識するようになった。毎日同じことをやるのではなく、日々ちがうことをやることを試みている。そうすることによって新しい発想を得ることができるのではないか。50周年をむかえ、これからが出発だと思っています。 とご挨拶をされた能村研三主宰。 研三主宰は、この度、千葉県文化功労者となられ、また最新句集『神鵜』(四季出版刊)が、第9回俳句四季特別賞を受賞された。 会場には、これまでの俳誌「沖」の特別号の表紙がおおきなパネルとなって飾られていた。 また、今までの「沖」の歩みを映像にまとめ、各俳人の顔と代表句などを紹介し、(なつかしい方々ばかり!)、またかつてBS番組の「俳句王国」の実況を流すなど、見せることを主体とした「50周年のお祝いの会」であった。 スタッフのPさんは、能村登四郎先生に会ったことがなかったので、テレビの映像をとおしての能村登四郎の風貌とたたずまいに感激をしていた。 これは今日いただいた冊子「表紙絵でつづる50周年のあゆみ」である。 当時の編集長の名が記され、記念号に寄せた主なる執筆者の名前がある。 不肖yamaokaも「創刊50周年記念号」に寄稿しております。 ![]() 能村研三主宰、そして「沖」の皆さま、 創刊50周年おめでとうございます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 心よりお祝いを申し上げます。 今日の翡翠。
by fragie777
| 2022-05-22 20:10
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