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5月16日(月) 旧暦4月16日
桂の木の若葉。 こちらは楓若葉。 うねる緑。 恐ろしき緑の中に入りて染まらん 星野立子 父葬る青葉に海のひとかけら 中 拓夫 万緑のなかに独りのおのれゐてうらがなし鳥のゆくみちを思へ 前川佐美雄 ここのところよく雨がふる。 もう梅雨入り?って思わせるような空模様である。 わたしの住む三鷹市では、今日は古紙の回収の日である。 空模様をみて、どうしようかなあって思ったのであるが、まだ雨は降っていない。 いいやって出してきてしまったのだが、その後雨が本格的に降り出した。 出すべきではなかったか。。。 新聞紙と段ボール等々。 雨をたっぷり吸って重たくなって運ばれていったのだろうか。。。 15日付けの讀賣新聞の長谷川櫂氏による「四季」は、髙柳克弘句集『涼しき無』より。 忘るるなこの五月この肩車 髙柳克弘 「人はいったいいくつのことから覚えているのだろうか。」と長谷川櫂さん。わたし、父親に肩車されたことあったかしら。。。と思った。わたしの父は子煩悩だったので、きっと3人の子どもを均等に肩車をしたと思うのだけど、肩車の記憶は定かでない。いや思い出すと、極度の恥ずかしがり屋であったわたしは、肩車をしてもらって自分が露わになってしまったことがすごく恥ずかしいって思っているそのことが記憶の底に残っているような。。。ともかくもいつも親の影にかくれていじいじしている子どもだった。いまはこんなに恥知らずにして鉄面皮なyamaokaなのに、信じられないでしょう。でも実はいまでも内気な小さな女の子がわたしの中にいるのである。嘘じゃなくってよ。。。。 この句、親の思いなどは知らずして、子どもって案外さっぱり忘れてしまうのよね。だからこそ、この一句は切ない。 そして本日の毎日新聞の坪内稔典氏による「季語刻々」は、杉原祐之句集『十一月の橋』より。 阪急の駅より歩き薔薇香る 杉原祐之 「阪急の駅」は阪急電車の駅。と坪内さん。そしてその「関西の阪急の駅にはバラが似合うかも」と。関西の阪急電車に乗ったことはこれまで何回かある。多分、臙脂色の電車よね。ふらんす堂のワインカラーと同じなので、わあって思ったことがある。電車の色としてはどちらかというと、シックな部類かもしれない。ちょっとクラシカルな印象があった。いまは変わってしまったのかもしれないけれど。。。臙脂色の電車、それから薔薇を思い浮かべる。この薔薇は白に淡いピンクのぼかしが入っている、そういうのがいいなあ……。 数日前に、俳人の永島靖子氏よりお電話をいただいた。いくつかのお話をしたのち、「ふらんす堂通信」を面白く読んでいるとのこと。 「プルーストについて、載っているのは驚きました。いいですね。さっそくわたしの持っているプルーストの「失われた時を求めて」を持ってきて、それを見ながら「通信」を読んでいるのよ」と。「わたしのは井上究一郎さんの訳ね」「ああ、それはわたしもかつて持ってました。有名ですよね。高遠弘美さんは、新しい訳に挑んでいるのです。」と申し上げたのだが、「高遠さんのも是非そろえて二つの訳を比較しながら読まれるとよろしいのでは。」って言えば良かったってあとで思った次第。。 「つまりは、プルーストってかまえないでじっくりと読んでいけばいいっていうことなのよね、高遠さんが言っておられるのは。」と永島さん。 「そうなんです。そういうことなんです」とわたし。 ひさしぶりに永島靖子さんとおしゃべりできたことも楽しく、ブログで紹介させていただいた。 悲しいお知らせもひとつ。 少し前に歌集『ジョットの真青』を刊行された歌人の徳高博子さんが、5月11日の朝に亡くなられた。 カトリック信者であられたので、「帰天」されたというべきか。 ご夫君の宮野健次郎氏からご連絡をいただいたのだった。 このブログでも紹介させていただいたが、すでにガンが進行して緩和ケアの医療体制のうちに日々を過ごされておられたのであるが、、、 「余命半年宣言をされてからの時間を、想像できないくらいの充実感を持って平穏に過ごせた」のは、歌集を編むという目的があったゆえと宮野氏。 昇天された徳高博子さんの魂の主にある平安をこころよりお祈り申し上げたいと思う。 先日牛来社くださった堀田季可さんが、「徳高さんの歌集、良かったです。徳高さんはよく知っている歌人です。おなじカソリック信者でもあるので」とおっしゃっていた。 すこし先になるが、堀田季可さんに徳高さんの短歌について書いていただき追悼ができたらと思っている。 先日逢った翡翠のセミオ。
by fragie777
| 2022-05-16 18:48
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