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5月9日(月) 旧暦4月9日
わが家に咲いたえごの花。 大好きな花だ。(って毎年同じように写真をアップして大好き!って言ってるような気がする) よき香りを放つ。 今年は花がすくなく、お掃除が楽そうである。 これは南側に咲いているえご。 狭い庭で日があたらないのであまり花をつけないが、家のなかから眺められるので嬉しい。 これは「あおはだの花」。この季節に咲くのだが、5ミリにもみたない小さな花なので目を凝らしてみないとほとんどわからない。 この日もまだ咲いていないなっておもってじいっと見たら咲いていたのである。 よく見るとどんどん花がふえてくる。 えごもあおはだも山の木なので、はなやかというよりはさりげない美しさがあって好きだ。 もう少し経つと山法師が咲き、令法が咲く。運がよれければ姫沙羅も。。。 我が家にも夏がやってきたのだ、って思う。 えごの花は、別名「山苣(やまぢさ)の花」。 わがごとく人目まれらに思ふらし白雲ふかくやまぢさの花 よみ人しらず(古今六帖) 手のかなしさえごの花うけしづもりぬ 岸田稚魚 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル 134頁 3首組 著者の平井軍治(ひらい・ぐんじ)さんは、1938年青森市生まれ、青森市在住の歌人である。お仕事は教育関係の仕事であったようであるが、ここでは歌歴を紹介していきたい。2001年に短歌会「星座」と「未来短歌会」に入会。現在は、青森県歌人副会長副会長をつとめ、「未来短歌会」に所属。既刊歌集は『迷い猫プリン』『さまよえる舟』『列島ののど笛』の3冊。本歌集が第4歌集となる。2014年には瑞宝小綬賞を受章されている。 タイトルの「本州北端」は、ご自身が暮らす青森県の場所のことであろうか、本歌集にはつぎの一首がある。 ふるさとへ子や孫ぐいと引き寄せて「はやぶさ」本州北端に来つ 短歌はおもに日常身辺を詠んだものがほとんどであるが、文明批評や社会批評の視座から詠まれたものも多い。 言の葉の変わり身早し近年は軽さ際立つ和平の会議 核なんて桃にもあるね若しかして持ってみたいと言うだけで罪 貴重なる森の植生みだす鹿おとぎ話の城くずれゆく 令和とは冷たき音と吐き捨てし戦地帰りの先輩の顔 教育の道へ進みし我が身には復員兵のたましい棲まん 担当は文己さん。 なまなまと人生の秋、あらためて暦を見つめ苦笑いせり 時間ほど大切なもの見当たらぬ無為に捨てしよ若さに酔いて日めくりが開きかけてはまた戻り五月三日の風とあそべり 「どこよりもさびしき」と詠む動物園、鶴に怒りを見つむるこころ
ふるさとへ子や孫ぐいと引き寄せて「はやぶさ」本州北端に来つ 「どこよりもさびしき」と詠む動物園、鶴に怒りを見つむるこころ 動物園ってそうだ。さびしい動物たちがひしめきあっている。しかし、さびしい動物とわたしは書いたが、じつはさびしいと感じるのは人間の側からなのかもしれにない。彼らは即時的存在として充足しているのだろうとも。いや虎の心も麒麟の心カワウソの心も実は推し測りがたいものがある。動物園でわたしがいちばん気になるところ、というか怖いところは鳥のいるところである。それもハゲタカとか大きな猛禽類がいる檻だ。夜のその場を想像するだけで背筋がぞっとするような怖さがある、そして怖いけれどいちばん気になる場所だ。作者は、猛禽類ではなく鶴に怒りを見いだしたのだ。大空を滑空することもできず檻の中に閉じこめられている鶴だ。さびしさを超えた怒りの塊が鶴の目から発散している。あるいは動物園のすべての動物のさびしさを一挙に吸い込んだ鶴が怒りの核となって、目から怒りのビームを放射しつつ立ちすくんでいるのだ。 ハンバーグ小さ目と言いレモン汁静かに垂らす、ここにやすらぎ 著者の平井さんは、このコロナ禍の状況をたくさん詠まれている。たとえば、〈青き星水の惑星とか云えど地球の主はウイルスならん〉〈そもそもがいくさ慣れせる人間は見えぬ相手にかくも手こずる〉など。この一首、そういう状況下で生きるわたしたちにとって、よくわかる一首である。好きな短歌だ。「ハンバーグ小さ目」というのは、すでにハンバーガーをぱくつく若者ではないからだ。小さめに焼いた皿の上のハンバーグにトマトケチャップではなく、レモン汁を垂らす、さっぱりとしたおいしさのハンバーグの肉のうまさをしみじみ味わう。そんな小さな日常のことがいまのウイルス蔓延の世界に生きる高齢な人にとっては幸せであり、やすらぎなのだ。読点がきわめて効果的である。 くぐもれるマスクの中の口よりも互のまなこ多く語れる 人前ではマスクをすることが日常化されたいま、この一首の意味はよくわかる。口や鼻が隠されている顔で見えるのは目のみである。何かをしゃべってもマスクをとおした言葉ははっきりとこちら側には伝わらず、なんどか聞き返すこともある。こうなってくると目はおおいにもの言う。思うのだが、社会生活においてマスクをつけることが、洋服を着るのと同じように大切なこととなり、それに慣れてしまったのか、人前でマスクをつけることの方が自分の心を隠せるように思えてラクチンになっていることに気づくことがある。口などを剥き出しにすることが恥ずかしいような、へんな感じ。マスクから解放されるときが来たとしても、わたしマスク外せるかしらっていまから思っているのだ。じつは、マスクをしてサングラスをしてわたしの心なんて見せたくないって思うことがしばしば。 あの時はそして今またお互いのこころ閉ざして別るる駅か この一首は、校正スタッフの幸香さんの好きな一首。「特に惹かれた一首です。」 気が付けば割れんばかりに頭痛してバーガー店の片隅に座す こちらは、校正スタッフのみおさんの好きな一首。「諦めの漂う不穏な感じに惹かれてしまいます。」 世の中は激しく変化しております。しかし、私はこの歳月を殆ど成長しなかった現実に愕然としております。この歌集を編むに当たり以前と同じようなことしか浮かばないのです。確実に変わったのは外面だけのようです。 それでも、その時々の局面には真摯に向き合ってきたと、自分なりには思えることが唯一の救いです。そんな生き方の自分に、皆様の貴重なお時間を少しの間でも割いて頂けたら幸甚です。 「あとがき」を紹介した。 装幀は君嶋真理子さん。 平井軍治さんは、イメージにふさわしい感じであると、いくつか用意したもののなかからこれを選ばれた。 扉。 活字は出来るだけ大きく、がご希望だった。 堂々とした一冊となった。 寒々とトルソーのごと庭に立つ楓は己が分身なるかも 好きな一首である。 句集上梓のお気持ちをうかがった。以下にご紹介するが、ふらんす堂へのご丁寧な謝辞は省略させていただいた。 所 感 一九九〇年の国際識字年に先立ち、各国のユネスコ関係者を対象とした研修会が、パリ本部を会場に行われましたが、ひょんなことから参加の機会をいただきました。 その折、さまざまに挨拶を交わした中で、クウェートの方は帰国してまもなく、フセインのイラクによる侵攻に遭いました。祖国がユクレインと答えた方は、今この瞬間にも、隣国からの苛烈な無差別攻撃にさらされております、世界は絶え間なく変動している、油断のならない生き物なのだと痛感します。 県教委を退いて、家族で参加したヨーロッパ旅行は、岡井隆ご夫妻らと同行する企画になっておりましたので、四年間に亘って貴重な体験をさせていただきました。それ以来、歴史ある短歌界の事情を殆ど気にかけるゆとりもないままに今日に至っております。紛れ込んだ「未来」では自由気ままにしすぎたかなと反省しております。とりわけ、昨年の七月、岡井隆先生が亡くなられてからは、もっと敬意をもって接すべき方だったのだと漸く気付いて悔やむこと頻りです。 平井軍治さん うたの師の誘いはるか空港のロビー懐かし 朴の葉ゆるる このブログを書いている途中で、高橋睦郎氏から電話をいただいた。 新刊の森賀まりさんの句集『しみづあたたかをふくむ』についてだ。 「本当に良い句集でした。ぼくが良い句集と思うにはふたつの条件があるんです。ひとつは、「なつかしさ」があること、もうひとつは、「新しさ」があるということ。この句集はその二つの条件を兼ね備えていますね。そしてとてもやわらかい」「森賀まりさんは、この句集でもって田中裕明夫人であることを超えましたね」とも。 わたしはそれを伺いながら、「まあ、それはまりさんがお喜びになるでしょう。」と申し上げたのであるが、この句集の刊行にいたるまでのまりさんのいろいろなご苦労をほんの少しだけ知っているので、わたしもとても嬉しくうかがったのだった。 このことは森賀まりさんにはまだお知らせしていない。 高橋睦郞氏のお手紙で知った方がきっと嬉しいんじゃないかって。。。 だからまりさんにはまだ内緒。 ブログを読んだ方もまだ内緒にしてくださいね。 ってブログに書いてよく言うよって言われそう。 あはっ、まことに。 ![]() 神代水生植物園にさいていたえごの花。
by fragie777
| 2022-05-09 19:41
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