カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
5月8日(日) 母の日 旧暦4月8日
最近の新聞などで知ったのだが、四十雀は複雑な鳥言語をもっていて、仲間同士で活発に意志の疎通をはかるそうである。 この日は、いつもの「ツピー、ツピー」って声髙に鳴いていた。 こうして見るとなかなかかしこそうである。 わが家の庭にもときどき来るが、カーテン越しに姿をみせるとすぐに察知して飛んでいってしまう。 夏が来ると同時に卯の花が咲き溢れる。 「卯の花」つまり、「卯木の花」もしくは「花空木」である。 種類もいろいろあるようだ。 姫空木。 先日行った前橋文学館へむかう道にも咲いていた。 白波の音せで立つと見えつるは卯の花さける垣根なりけり よみ人しらず(後拾遺集) 夏の来て花さく見れば山里の垣根はなべてうつぎなりけり 中島広足 箱根空木。 わたしの好きな空木の花である。 端正で古風な感じがする。 この近くで孫たちと遊んでいた婦人が、 「きれいよねえ、この花、なんというのかしら」と孫たちに問いかけていた。 おばあちゃんの問いかけを聞いているのか聞いていないのか、孫たちは自分の遊びに夢中である。 「ハコネウツギ」というんです。」とお教えした。 「ハコネウツギ?」と始めてその名を聞くような反応である。 「空木の花の一種ですが」と申し上げると、 「ありがとうございます。」とその婦人は言って孫たちに向かって「ハコネウツギだって、覚えておいてよ」と命じている。 男の子ばかりの孫達は「はこねうつぎ?」とよくわからないままに復唱している。 わたしはその婦人に軽く会釈をして、その場を去ったのだった。 これは神代植物園に咲いていた大紅空木(おおべにうつぎ)。 紅卯つ木見し夜は夫にやさしくす 草村素子 卯の花に昨日の人をまた見たり 橋 閒石 夕方ちかくになって、仕事場へ。 たまった俳誌の整理とこもごもをやっているうちにすでに外は暗くなってきた。 もう帰ることにしよう。。。。 そうだ、帰りにヘアームースを買うことをわすれないようにしなくっちゃ。 ムースはね、髪型にボリュームをもたせ、ちょっとおさまりかえったR女にみられないようにやや暴れた(?)感じにするのにおおいに役立つ。 このムースで自分ではそれなりに髪型をデザインをしているつもりなんだけど、ときどき「髪がえらく乱れているよ」と言われ、ちょっと憮然とし不本意な思いがする。 しかし、鏡をみるとややどころでなく、えらく暴れた髪型になっていることがおおい。 わたしの思っているわたしと、他者のおもっているわたしがおおいに違うことがある、いやそういうことばっかりだっていうことを何十年も生きて来て、やっと習得しつつある。。。。 そして、シェイクスピア劇「トロイダスとクレシア」においてアキリーズがユリシーズに言うように、「おのれを離れねばおのれを見ることはできぬ。他人の目に出会ってようやくおたがいの姿を認めることができる。」というわけである。 帰ろうと思ったら、西村麒麟さんからメールで、「僕は俳人協会賞を受賞していません」と。あれいやだ、また間違えてしまった。「角川俳句賞」とすぐにいま書き換えた。するとまた麒麟さんが、「「鷹」5月号にちょっと強烈なエッセイを書きました」とメールが。今日「鷹」5月号に目を通したのに、よみそびれてしまったそのエッセイを見つけて読んだ。「7万円のネックレス」と題したエッセイは、お母さまが亡くなったときのことを中心に、お父さまとの確執をかなり赤裸々に書かれたもので一挙に読んでしまった。麒麟さんは、悲しみをせつない可笑しさを交えながら書いておられるが、やはり悲しくなってくる。ヒトはいろんなものを引き受けながら生きていくしかないんだよなあ、とも。一読おすすめのエッセイです。 箱根空木の咲く水辺。
by fragie777
| 2022-05-08 19:26
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||