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5月2日(月) 旧暦4月2日
昨日は国立・矢川を歩いた。 曇り日であったが、とおく桐の花が咲いているのがみえた。 (ああ、桐の花……) 大きな木だが、民家の庭に咲いていて近づけない距離にある。 思い切ってズームにして撮った。 花の盛りというところだろうか。 そして、今日は仕事の日である。 仕事場でパソコンに向かいながら、ふっと気づいた。 近所の桐朋学園の桐の花のことを。 「わたし、ちょっと桐の花を見に行ってくる」とスタッフたちに言い残してカメラを持って飛び出す。 ちかくにありながらいつも見そびれてしまうのだ。 (どうだろう……) 生い茂る木木たちの合間にうっすらと紫がみえる。 この写真でわかるだろうか。 そばによってやはりズームだ。 今日はいいお天気である。 矢川より仙川のほうがあたたかな所為か、かなり花は散ってしまっている。 それにしても今年はこうして見あげることができたのだった。 桐咲くやあつと云う間の晩年なり 田川飛旅子 桐の花らしき高さに咲きにけり 西村 和子 さしむかひ二人暮れゆく夏の日のかはたれの空に桐の匂へる 北原 白秋 こちらは「西洋橡の木の花」。 いわゆるマロニエの花である。 桐の花のちかくに咲いている。 ちょうど桐の花とおなじ頃に咲く。 橡の花きつと最後の夕日さす 飯島晴子 昭和四三年、晴子は井上幸治の名著『秩父事件 自由民権期の農民蜂起』と出会い、秩父困民党に興味を持って度々、かの地に足を運んだ。この橡も、困民党の根拠地の谷に咲いていたという。 橡は大木となり、やや紅色を帯びた細かい白花は凝集して円錐状にそそり立ち、初夏の森でもっとも目を奪われるもののひとつ。まさに「最後の夕日」が射すのにふさわしい。晴子句の特徴のひとつに独特な副詞の使い方があるが、掲句も「きつと」の一語で、夕日は世界の終わりにまで射程を伸ばす。(奥坂まや著『飯島晴子の百句』より) お知らせです。 「第13回田中裕明賞選考会」の日程が決まりました。 5月14日(土)の午後二時から、リモートによる選考会です。 応募してくださった皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。 仕事をしていたら電話が鳴った。 「ふらんす堂友の会」の会員の方のご家族からのお電話だ。 「会員番号○○○○○ですが、会員の父・今村吉弘が亡くなりましたのでふらんす堂通信をもうお送りいただかくても、と思いましてご連絡をいたしました」と。 「まあ、それはご愁傷様でございました。いままでありがとうございました。お父さまはおいくつでいらっしゃっったのですか」 「87歳でした。「ふらんす堂通信」をとても楽しみにしていて、病院へも持って行って読んでました。お棺のなかにも入れてやりました。いままでありがとうございます」とご丁寧な連絡である。 「こちらこそ、本当に長い間ありがとうございました。」とわたしは電話を切ったのだった。 今村吉弘さんは、2001年2月からの会員でいらっしゃったので、20年余の会員でいらした方だ。 「ふらんす堂通信」の会員のかたは、中高年の方がおおく、みな勉強熱心だ。 そういう方々の思いにも応えることができるような冊子でありたいと思っている。 今村吉弘さま 長い間のご愛読をありがとうございました。 ご冥福を心よりお祈りもうしあげます。 今日はゆるく仕事をしましょうって、ミーティングで言ったのだけれど、わがスタッフたちはみないつも通りに熱心に仕事をしていた。 わたしぐらいかな。。 それを守ったのは。
by fragie777
| 2022-05-02 19:22
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