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5月1日(日) 旧暦4月1日
今日も朝からでかけ、夜まで遊んでいま先ほど帰ってきたところである。 もうちょっとヨレヨレ。 頑張って昨日の続きのブログを書こう。 今回の「岸田将幸展」の冊子である。 大分前に岸田さんより送っていただいたもので、今回の展示について受賞についてそして受賞詩集について、ご本人の挨拶をはじめ詩人たちが言葉を寄せているものである。インタビューにはじまって写真もふんだんに掲載され、この冊子をいただいたときにスタッフのPさんが抜粋しながら読み上げてくれてたいへん面白かった。 たとえば、「17歳のころ、セックス・ピストルズを聴くようになったんだって。そして破れたシャツやジーンズをはくようなったって。」「あらー、そうなの」などとわたしは岸田さんの超真面目な顔を思い出しながら楽しく聴いていたのだった。 とくに中尾太一さんの『風の領分』評は素晴らしかった。 (略)四章立てのこの詩集の最後の章「子どもに疎まれる詩、いくつか」にちりばめられた詩行こそ、岸田将幸が詩人であるという根源的な素質を見せていると思う。それだけをほんとうはいいたかった。(略) さて、「岸田将幸展」の展示を紹介しておきたい。 真っ白なページの本が置かれている。 手前にあるコードを読み込むと、 iPhoneに文字(詩)が現れてくるという仕組みである。 岸田さんは農業を営んでいる。 そのためのグッズも展示されて、どういう生活環境のなかで詩が生み出されているか、という演出がなかなかスマートにされているのである。 著書が並べられている。 これまで上梓された詩集が一冊づつ展示されている。 ややっ。 これは。 カバーが少し黄ばんでいるのが残念である。 そしていよいよ「鼎談」がはじまる。 鼎談については撮影は禁止されていたので、中尾太一さん、藤原安紀子さん、岸田将幸さんの様子はご覧いただけません。 以下は楽しそうにメモをとっていたPさんのレポートです。 Pさん曰く、録音したものを再生したものではなく、ダラダラとメモをとったものの書き起こしであるので、若干の言葉のニュアンスが違っていたり、 登壇者の方の本意でないこともあるかもしれないので、ご容赦くださいということです。 あくまでもPさんの琴線にふれた言葉をメモしたようです。 *** 今回は「詩、からだ、未来」と題されたテーマの、「未来」という一般に出回っていてある種の明るさを含んだ言葉をつかうことへの疑問を岸田さんが投げかけることから始まりました。 また「からだ」という"身体"と"身体感覚"についても三人の詩人によって多く語られます。 読んでいると歯止めをかけるべきと思うモーメントもあるけど、それが岸田将幸であり、いろんなことを受け止める、"受け止め方が大きい"岸田将幸の芯というものが今後岸田さんのつくる詩にどう影響を与えるのか少し心配する中尾さんに対し、岸田さんは「ちょっと中尾君は厳しすぎるよ」と苦笑しながらも、「年を取るということは大問題であり、だからこそ誰かをいたわることが大切になっていく。自分が空洞になること、そうなった自分の身体を悪いとは思わない」岸田さんはそういう未来を語るべきであると答えました。 藤原さんは、「詩/経験に対する姿勢から、それを詩に還元していくというエッセンスは薄くならず濃くなった印象を持った。岸田さんにも中尾さんにも久しぶりに会ったけれど、ふたりともに言えることは、詩の形が変わっても、詩への視線は変わっていない。だから心配はしていない」と。 「未来」の詩について、。 岸田さんは「みんな辛い顔をしている。もう少し楽な顔をしてもいいのではないだろう。新たに生まれる人にとってこの現実はあまりにつらいのではないか。生まれてきてよかったと思う気持ちを一瞬でもいいから感じられるような詩を用意したい」と言う。 「生まれて死ぬ」という逃れられないヒトの摂理を前に他者の摂理を自己の摂理として届けていくことの切実さを感じました。 中尾さん、『風の領分』という詩集がこれまでの岸田さんの仕事を見ている人にとっては、驚きがある。 それまでは自分の傷を思い出すような詩集が多かったけれど、『風の領分』は岸田さんの表情が伝わってくる。 詩集を開いたときに「この行は何を書いているのか」「何を潜り」「何処に行くのか」手触りが伝わる。そういう身体が書いている人たちに対しても読み手に対しても"身体"という言葉を使う時の心細さがある。 藤原さん、身体というい言葉は難しい言葉で、共有できているという感覚はなかった。しかしそれを悲観的にとらえないことが岸田さんに繋がるのではないか。共有できない"身体"をそのまま引き受けてなお、話しかけていく、それが岸田さんの"からだの向き"である。 これらを受けて、岸田さんは「身体とは死ぬ身体であり」「生まれて死ぬこと以外のドラマはない」という言葉を引いて、むごく、辛いことをどうするのか、自分に何ができるのかをうったえていきたい。と語った。 藤原さん「岸田さんは"明るい"という言葉をよく使う。"明るい"とは照明に照らされていることではなく、暗闇の中、目が慣れて、物の輪郭がだんだんと見えてきて、どこからか光が漏れ出て、見えてくる。それが"明るさの輪郭"である」 岸田さん「かつての自分はひとに伝わらないことも堂々と言えた。今はどうか。いろんなことを見て経験し、あのころ見えなかったものが見えてしまう。感じなかったことが感じられてしまう。それが年をとるということ」 中尾さん「(『風の領分』の)第四章の岸田くんの"のどかな射程"。元から岸田くんはウェットに開いていたけれど違う開き方をしている」 岸田さん「(年を取り)傷が入ってしまった身体。いたしかたなく戻れない。微笑のうちにやりすごさなくてはならない。そういうものとして自分を見ている」 中尾さん「第四章は楽しそうに書いている」これは「大切なこと」である。 岸田さん「恩寵のようなものだった。子供を胸に抱いて寝かしつけながら、できた言葉をあとで書き留めようと思った。行が出て来たときは幸福に思った。この経験は一度きり」 中尾さん「詩を書くのは"つらいから"その面もある。でも詩を書く楽しさがある。好きだから書いている。詩を書いている時が実人生よりリアル。詩を書いて実人生を生きている。」 藤原さん「詩を書くことが残されている」「伝わらないから書くという要素をくみ取る詩を未来に向けて誰かが書かなければならない」 最後に今後の姿勢について 中尾さん「僕は説話。言葉というものをやろうと思う」 藤原さん「もう少し下の方から(物事を)見たい。下から上を見上げるよう、顔の角度を上げていきたい」 岸田さん「昔は「ある普遍性に手を掛けたい」という欲望があった。今はわずかな温かみ、ふくらみを重ねながら生きていく。容易に点けさせてはもらえないけれど、僕が中尾さんや藤原さんふたりの詩集を読み返した時、読んでよかったと思った感覚と同じように、誰かに何かが灯る感じがあればいい」 *** わたしは、中尾太一さんの「詩を書いている時が実人生よりリアル。詩を書いて実人生を生きている。」という発言がつよく印象に残ったのだった。 ところで藤原安紀子さんには、お願いしそびれてしまったのだけれど、中尾太一さんと岸田将幸さんにはあることをお願いした。 それがこれ。 朔太郎のポーズにならって、、 中尾太一さん。 決まりすぎ!! 最初は照れてとまどっている岸田将幸さん。 そして、 せめて、 足を組んで欲しかった。。。 と、朔太郎氏は思っています。
by fragie777
| 2022-05-01 00:06
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