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4月28日(木) 旧暦3月28日
ご近所の畑に咲いていたおおでまりの花。 こでまりの花もあちこちに咲いている。 こでまりの花よりも野趣があるかも。。。 昨夜のこと、仕事をおえて買い物のためクィーンズ伊勢丹にむかうとき、(今日の夜はハンバーグにしよう)って決めた。 ええっと、ハンバーグに必要なものあれこれを思い浮かべ、合い挽き肉とデミグラソースを買うことにした。 他に買い物はと、iPhoneを覗く。 aiのアレクサに頼んで「買い物リスト」に記しておいてもらったのだ。 そこに記されたいくつかの食材と肉とデミグラソースを買えばいいのだな、と頭にインプットする。 デミグラソースのところで、ちょっと迷う。 ハインツのデミグラソースにするつもりだが、やや高めなのとそうでないと二種類あるのだ。 二つの缶をそれぞれ手にとって見比べながら、思い切ってやや高めなのにすることにした。 買い物をするにもわたしは音楽を聴きながらなのであるが、昨日は「チェッカーズ」の懐かしい曲、(とくに「ジュリアに傷心」が好き)、などを調子よく聴きながら買い物をし、バスにのって家に向かった。バス停をおりて、ふっと、あれって、気づいてしまったのだ。 わたし、肝心の挽肉を買うの、忘れた。と。。。。 あーあ、もうバカバカ。 家に帰ってテーブルに置いたデミグラソースがなぜか淋しそうだった。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯あり 208頁 二句組。 著者の藤田駒代(ふじた・こまよ)さんは、昭和22年(1947)兵庫県尼崎市生まれ、現在井は大阪市平野区在住。関西の方である。平成19年(2007)「運河」入会、平成25年(2013)平成25年度運河賞受賞、平成29年(2017)「鳳」に同人参加、平成30年(2018)第25回運河俳句賞受賞、令和3年(2021)令和3年度浮標賞を受賞。現在は「運河」「鳳」同人。俳人協会会員。本句集は、第1句集であり、「運河」の茨木和生名誉主宰の言葉「真心求心」よりの3句選評)が巻頭に置かれ、「鳳」の浅井陽子主宰によって序文が寄せられている。 まずは、茨木和生氏の選評より抜粋して紹介したい。 次々と献魚届きて放生会 放生会といえば、九月十五日の京都府八幡市石清水八幡宮の放生会が知られているが、(中略)祇園放生会も最近知られるようになってきた。京都市内にこれほど川魚屋や川魚を扱う料理屋があったのかと驚くほど、鯉や鮒、鰻などが次々と放生会の場に運ばれてくる。どちらの放生会に参加しての詠かはわからないが、「次々と」という措辞から祇園放生会だと私は思っている。(平成二十三年一月号) 浅井陽子氏は、著者の藤田駒代さんとの出会いから今日にいたるまで丁寧に細やかに記されている。たくさんの俳句を引用して鑑賞しておられるがここではその一部を抜粋して紹介したい。 『恵方道』には吟行句が多い。それらは佳吟である。お読みいただくとお分かりいただけることだが、眼前のものの把握が確かで、衒いの無い言葉が佳句を成している。決して目立つ句ではないが、底力を感じさせる。 クリオネに透ける潮色春浅し 山背の空はけぶりて桐の花 郭公や山毛欅に明るき朝の雨 夏空や放蝶館のガラス屋根 玫瑰や廃船にある遠き日々 風の盆胡弓に混じる水の音 養生の夫に粥炊く朝曇 フィナーレの喝采銀杏散りにけり 眼前のものと、それらを取りまく自然の大きさを讃えている。それは季語であったり、詠み込まれた物であったりするが、どこまでも自然体の駒代さんが表れている。自然を詠むには、先ず己がその中に心身を委ねることが大切ではないだろうか。 本句集の担当のPさんの好きな句である。 沙羅の花白磁の光持ちゐたり あんなにもゐて稚金魚のぶつからず 返したる裏も真つ黒毒茸 野火見つめゐたり体の冷ゆるまで 雀の豌豆山羊の口より零れけり 秋草や飛鳥の石は名前持ち 繋ぎたる舟に番号鴨来る 沙羅の花白磁の光持ちゐたり 浅井陽子氏も序文でとりあげておられるが、印象的な一句だ。沙羅の花のつややかな白ビロードのような照りを「白磁の光」とい言い止めた。沙羅の花は別名「夏椿」とも言うが、その花の形や散りざまなどは椿をおもわせるが、椿と決定的にちがうとわたしが思うのは花びらの「艶」である。椿にはない光をまとっている。この一句に出会って「そうか、白磁の光か」と納得した次第である。こういっちゃなんだが、がさつなyamaokaであるが.沙羅の花への思いは人一倍つよく焦がれる花である。というのは、家にあった沙羅の木を3.4回枯らしているのである。そして家に植えることをとうとう諦めたのであるが、沙羅の花をみると無念な思いが胸をよぎる。繊細な木で、暑さにとくに弱いのだった。これからは「白磁の光」を放つ花と思い、そして手にははいらぬ花とおもいつつ見あげることに致しましょう。 あんなにもゐて稚金魚のぶつからず この句はわたしも面白いと思った。「稚金魚」は「ちきんぎょ」と読ませるのだろう。みてのとおりの「金魚」の「稚魚」のことだ。金魚のあかちゃんがそれはもうたくさん水の中でうごめいている。それを作者は観察しているのである。それにしても衝突しそうなのに衝突することもなく身体をかわしながら泳いでいる。金魚の本能なのだろうか。テレパシーを発しあってぶつかることを避けられるのかもしれない。「あんなにもゐて」と最初においた措辞が巧みで、以下をいきおいよく読み下すことによって作者の驚嘆を導き出している。 秋草や飛鳥の石は名前持ち 好きな一句である。藤田駒代さんもお好きな句であるようで「自選十二句」のうちにあげておられる。この句、なにが私の心をとらえるのだろうか。この一句に流れる悠久の時間か、いや、それだけではないようだ。「飛鳥の石」とは、飛鳥時代の石であり、その石には名前がつけられているという。どんな名前かは語られていないが、名前が付けられた石とあるからにはそれなりの石として手厚く保護され祀られているのだろう。しかし、この一句、そういうやんごとなき状況はきっぱりと省略されて「飛鳥の石は名前持ち」とだけ詠まれている。この簡単な叙法でもはじめは多くの石についての情報がついてくるのだが、さりながら、ふたたびその情報はいったん消失する。名前をもった飛鳥時代からの石というただそれだけの、しかし、それだけであるがゆえの存在感をもたらすのだ。つまりは「石」なのである。その物質の時間の重さがこの簡略な表現によって読むものに迫ってくる。そして秋草である。秋草という花がもつ佇まいと情趣がこの石のありように拮抗している。いや秋草のさびしさが長い時間を耐えてきた石をやがては侵食していくように私には思える。そこに惹かれるのかもしれない。 燕の巣四つ許して自転車屋 いいなあ、この自転車屋さん。最近は自転車屋さんと呼ばれるようなおやじさんが一人で経営しているような自転車屋さんを見なくなった。この自転車屋さんはきっとおやじさんがやっている店のような気がする。家の延長線上にお店があって軒が深く、燕が巣をつくるには恰好の軒先なんだろう。しかし、四つとはすごい。そう「許して」でもなければ、なかなか四つは受け入れられないだろう。一つだけでもやや気になる。だって子育てをしている燕がしょっちゅう行ったり来たりして、しかも親鳥はかなりナーバスになっていて攻撃的である。糞もたらすし、匂いもするだろう。そういうこと全部を受け入れての自転車屋のおやじさんだ。食べ物をあつかうおみせだったりするとこうはいかない。燕もそこは心得たもの。自転車という風をきって走る物体に燕には風仲間として親近感をいだいているのかもしれない、なんてね。。。 峰寺のなほも高きに桐の花 この句、「山寺」ではなく「峰寺」としたことによって、桐の花がさらに崇高さをましたように思える。「峰寺」が固有名詞なのか、それとも普通名詞なのか、ちょっとわからないが、わたしは普通名詞として鑑賞した。「峰寺」という響きの引き締まった感じと表記の険しさ、「山寺」では一挙に緊張がとけてしまう。 ある時、茨木先生が、「俳句はとどまらず前へ進まなければいけない。前へ進まなければ後へ戻ってしまう。」と仰ったことがあります。心に深く残った一言でした。 俳句を作るという営みは、一歩ずつ山道を登るようなものなのだろうと思います。前へ進まなければ退るしかないということです。さらなる高みを目指す弛みない歩みです。 初学の頃から十年あまり、ただ一途に歩んで来たこれまでの道筋を今一度振り返り、自分の詠み紡いで来た俳句の景色を眺めてみたいと思い、句集に纏める決心をしました。まことに拙い作品ではありますが、私の今後への第一歩と考えております。これまで多くの句座を共にして下さった皆様、私の成長を見守って下さった方々にお読み頂ければ幸いに存じます。 俳句は私の日常をゆたかに彩ってくれました。十年の日々はいつも平穏であったとは言えませんが、どんな時にも俳句に支えられて来たように思え、俳句を手離さないで来たことを本当によかったと思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 カバーの装画は、藤田駒代さんのご息女の田淵ちあきさんが描かれたもの。 「蕗の薹」である。 緑というのは最初から決まっていましたが、どんな緑にするのか、娘さん、藤田さんとみんなで話し合っていろいろと案を出しながら決めました。と和兎さん。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 晩学にある一筋の恵方道 これからも私は、美しい母国の自然と生き物たちを詠み続けたいと思います。 俳句に出合った幸運を喜びとして。(あとがき) 句集上梓後のお気持ちをいただいた。版元やスタッフへの感謝のことばもいただいたのであるが、それは省略させていただき紹介します。 句集を出す決心をしたのは、これまで一生懸命打ち込んできたことを、形にして眺めてみたいと思ったことと、今後俳句を続けていく上で一つの区切りをつけるためでした。そして句集が完成した今、その目的は達せられたと満足しています。 ささやかでいかにも自分らしい句集だと思います。そして皆様のお陰で爽やかな美しい句集に仕上がりました。初めて『恵方道』を手に取った時は、目の前に明るい春の野が広がるような気持ちがしました。 この喜びを忘れず、次の一歩へと踏み出したいと思っております。私の句集出版に携わって下さった多くの皆様に深く感謝申し上げます。 まさにこの句集は手にとったとき、「明るい春の野がひろかる」そんな一冊となった。 私も出来あがってきたときに、「ああ、いいわねえ…」と言いながら手にしたのだった。 ただ、本句集ができあがるまでにたいへん悲しい出来事があった。 「あとがき」の付記を紹介したい。 この句集を編んでいるさ中に、長く病気療養中であった夫が他界しました。生前は、私の俳句についてほとんど何も言わなかった夫でしたが、この句集の完成を見て何と言ったでしょうか。その言葉が聞けなかったことを何よりも残念に思います。 このような悲しい出来事をへて、この世に生み出された句集であったのだ。。。 わたしはそのことをすっかり忘れていて、今日のミーティングのときに「あら、明日からお休みなのね!」と言ったらスタッフたちに笑われたのだった。 ちょっと忙しい休日になりそうである。 皆さまも、よき休日を。 ごろごろできる方はおおいにごろごろしてくださいませね。
by fragie777
| 2022-04-28 20:32
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