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4月14日(木) 旧暦3月14日
「楓(ふう)」の木の芽吹き。 神代植物公園にはとてもおおきな楓の木があるのだ。 今日は11時から歯医者の予約が入っていて朝は覚えていたのに、仕事に夢中になってしまって忘れてしまった。 携帯の電話が鳴って気づいた。 「三分で行きます」と言ってかけつけて、予約時間には遅れてしまったが、歯のクリーニングをやってもらった。 その途中で眠くなってしまって、歯科衛生士さんに何度も「yamaokaさん、もう少し口を開いてください」と言われてしまった。 本当にどこに言っても眠くなると寝てしまうyamaokaである。 「歯磨きは裏側までしっかり磨けていますね」と褒めてもらったのであるが。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯あり 154頁 三句組 カーテンに春の日差しを束ねおく 松永典子 巧い作者であると思った。さりげなく詠んでいるのであるが、「束ねおく」で決まった。春の日という季感が具体的な手触りとなって読み手のふところまであたたかく届いてくるようだ。まるで春の日をたばねているのがわたしであるかのように。カーテンが束ねたいと思うのはきっと「春の日差し」をおいてほかにないだろう。この作者の俳句は、日常の景をわたしたちがいつも見ている景よりほんの少しひろげてみせたり奥行を感じさせたりしてわたしたちの目を見開かせてくれる。まるで言葉の手品師のように。そんな作品がおおく、わたしは読み進むのが楽しかった。 著者の松永典子(まつなが・のりこ)さんは、昭和22年(1947)生まれ、現在は大阪・羽曳野市在住。昭和54年(1979)に俳誌「沖」に入会し、俳句をはじめる。「沖」「門」を経て、平成9年(1997)「船団」に入会。平成12年俳句サイト「探鳥句会」を立ち上げ、現在HP「探鳥句会」編集代表。句集に『木の言葉から』『埠頭まで』があり、本句集は第3句集となる。 本句集に、坪内稔典氏が帯文を寄せておられる。 春雪や埴輪の家に窓ふたつ 枇杷の種うはさ脚色されてをり 松永典子の第1句集『木の言葉から』以来、この作者のファンである。世に出たがらないので、世間的には目立たないが、五七五の言葉の絵を紡ぐ彼女の技は冴えている。 わたしも坪内氏の仰るとおりだと思う。3句組のどのページでも必ずといっていいくらい、好きな句があった。 担当の文己さんも選んでからしぼるのが大変だったということだった。好きな句が多かったです、と。 あえてしぼったのがこれらの俳句。 ペン持つたまま春眠に攫はるる 断捨離ができず雲雀を聞きにゆく カーテンに春の日差しを束ねおく 縄文のヴィーナス土の温さとも つくばひの空をくづせる夏落葉 この辺で引き返さねばすすき原 ぽたと猫落ちてそのまま日向ぼこ ペン持つたまま春眠に攫はるる この一句、そして次の一句「断捨離ができず雲雀を聞きにゆく」この二句は同じページに並んでおかれているのだが、わたしもこの二句は印をした。というか、この二句で一挙に松永典子さんが他人ではなくなったのだ。(これってわたしのことじゃん…)と。ペン持ったまま、私など日常的にあるし、歯医者さんの診察椅子の上でも寝てしまうくらいだから、ペン持ったままなんていつものことさ。「断捨離」も苦手。整理することが苦手、外に出て鳥声を聴くことは大好き。 ぽたと猫落ちてそのまま日向ぼこ この句集、かなりの数で猫が登場する。この一句では「日向ぼこ」の季語に猫を登場させた。しかも落下する猫である。あたたかな日差しのなかにぽたと落ちた猫、そして何事もなかったようにそのまま日向ぼこの体勢にはいったのだ。「日向ぼこ」という季語って、その長閑さとはべつに案外人間くさい事柄をひきだす。しかし、ここは猫が主役である。ほかに〈露の世や猫の毛の付くセロテープ〉〈野良猫の濡れて出てくる花野かな〈菜の花月夜耳のつめたき猫とゐて〉〈シリウスの光増したる猫の恋〉たくさんの猫の句よりいくつかを抜いてみた。わたしはこのなかでは、〈露の世〉の句が面白いとおもった。「露の世」という季語がもっている情趣を中七下五が見事に裏切って些事をもって対処しているところがいかにも俳句だ。瑣末事であってもそれはまごうことなく露の世の風景だ。 大根にかくし包丁黄泉に母 この一句は作者の自選句である。なんという飛び方。大根にかくし包丁をいれた。それはわかる。しかし、そこからどうして「黄泉の母」が現れるか。この句「黄泉」という語彙がこの一見日常的な景を非日常にしている。たとえば下五の「黄泉に母」を「母は亡き」などに置き換えたら一挙につまらないよくある日常にまみれた俳句になってしまう。この一句、黄泉にいる母がやや不気味である。包丁をもって大根に疵をつけている作者をまるで母が黄泉から手招いているようだ。「黄泉」がこの世の深淵を見せている。 校正者の幸香さんは、「〈電線も坂を下りぬ街薄暑〉が好きです。」ということ。 おなじく校正者のみおさんは、「好きな句のたくさんある句集でした。特に「ひとつづつ何か諦め葛湯溶く」が好きです。」と。 ほかにも句をあげようとすればいくらでもあるが、ここではそのうちのいくつか。 蝶の翅つまめばこつと固き筋 梅雨の傘すぼめて路地の幅をゆく コンビニの明るさに蛾のごとく入る 叩く蠅などどこにゐる蠅叩き セメダイン匂ふ短き夏休み 裸木となるそれでいいそれがいい 『路上ライブ』は『木の言葉から』・『埠頭まで』に続く二十年間の第三句集です。 コロナ禍の真っ只中の今、人々は極めて深刻なパニック状態に置かれています。 個人的にも癌を患ったり見解の相違で孤立したりで、後半生はあっという間に過ぎてゆきました。世界中の人々が苦境に喘いでいて先の見通しなど立ちません。 大阪天王寺駅前で、若者たちの路上ライブに足を止めて、心の中で「夢に向かって頑張って」と応援する日がまた来るのでしょうか。それを願いつつ、祈りを込めてこの句集を纏めました。 「あとがき」を紹介した。 第2句集から20年を経た第3句集であるので、その間いろいろなことを経験された松永典子さんである。 この句集の装釘は、君嶋真理子さん。 路上ライブ泡立つコーラ傍に置き の一句による句集名だ。 表紙は布クロスではなく、光沢のある白の用紙に赤金箔。 見返し。 扉。 赤が差し色である。 「空白の二十年間といわれていた時間を具体的なものに変換できたことが嬉しい」と松永典子さん。 感想と近影をいただいたので紹介したい。 松永典子さん 40年にも渡り、続けてきた俳句ですが、やればやる程この短かさの中での奥深さ に驚きます。 すぐに行き詰ってしまうだろうという説が流れた時代もありましたが、今の時代 を詠むことを心がければ、無限の可能性を感じます。時代は動くのですから。 一生付き合って いけるこの方式を愛してやまない生活、悪くないと思います。 晩年や首すぢにふる蟬の声 好きな一句である。 「首すぢにふる」にゾクッとしているR化途上のyamaokaである。 「晩年や」がなんとも。。 「白妙」という大島桜。
by fragie777
| 2022-04-14 19:24
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