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4月3日(日) 旧ひな祭り 旧暦3月3日
雨の国立・矢川緑地。 桜が満開だった。 それにしても寒い一日だった。 今は仕事場にいるのだが、疲れてしまったらしくバランスボールに乗って眠ってしまったようだ。 熟睡してしまったらしく目が覚めたとき、自分がどこにいるのか、わからなかった。 さ、ブログを書こう。 俳誌「山茶花」4月号。(この写真では分からないが、900の文字は金箔押しである) 俳誌「山茶花」(三村純也主宰)は、900号を迎えられた。 「俳句年鑑」によると、「昭和21年9月、田村木国が大阪で創刊。師系高浜虚子。観るに徹す。花鳥諷詠の可能性を探り伝統俳句の明日を担う。」とある。 900号とは長い歳月にわたるものである。 たくさんの俳人の方やご縁のある方がお祝いの句や言葉を寄せられている。 yamaokaもほんのひと言ささやかながら、お祝いのことばを申し上げた。 三村純也主宰の「「九百号」をむかえて」のご挨拶を抜粋して紹介したい。 「山茶花」は昭和二十一年九月の創刊以来、令和四年四月号をもって、九〇〇号を迎えることになりました。。会員の全ての皆さまとともに、お祝いしたいと思います。(略) この間、東日本大震災、おおきな台風などの自然災害、また今、新型コロナウィルスのパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻など、世界中が恐怖と混乱の中にあって、我々は俳句を作り続けております。時には俳句は無力だと感じてしまう時もないとは言えません。しかし、俳人は俳句を創作してゆくしかありません。言葉の力を信じて、花鳥諷詠を貫くことは、決して、消極的なことではありません。何が起こっても、何があっても、自然の推移とそれに伴う人間の生活の変化を詠み続けて動じないという精神は、強靱な意志に裏付けされた積極的な生き方につながります。ひとりひとりが、混沌の世界のなかで主体性を確立して、花鳥諷詠という俳句の本質を深化させて参りましょう。まさに、「新は深なり」、かつ「深は新なり」です。 三村純也主宰そして「山茶花」の皆さま、 創刊九〇〇号、まことにおめでとうございます。 「花鳥諷詠」の深化をめざし、 ますますのご充実をお祈りもうしあげております。 「現代詩手帖」四月号。 河津聖恵詩集『綵歌』が、須永紀子さんの「詩書月評」に取り上げられている。タイトルは「手の内を明かすということ」。 抜粋して紹介したい。 河津聖恵『綵歌』(ふらんす堂)は作者が五年半をかけ、伊藤若冲の絵をモチーフにして描いた連作詩。一人の画家を語るという今までにないスタイルの詩集である。(略)終章の「神の獣の日に―石峰寺・若冲墓所」は、「私」が絵師の墓に詣でる詩。「ここに/空から神の獣はまたきっとやってくる/華麗に成仏した花々をふりまき/恋慕にくちびるを真紅に染めて/鋭い鳥の異語で/過ぎ去ろうとする世界をもういちどつよくよばわるだろう」。「神気」あふれる絵に触発された詩編はすべて若冲を称賛するという意図を持って書かれたように思える。以前朗読をしたときに若い詩人から自作のレクチャーをしてはだめと言われて納得したことを思いだした。その場での話なら聞くひとの記憶に少し残るくらいだが、活字にすれば定着をしてしまう。手の内を明かすには勇気がいる。河津の勇気と渾身の詩に圧倒された。 昨日の東京新聞の夕刊にても、本詩集がとりあげられていたと聞いているが、新聞を入手していないので、入手したら紹介したいと思う。 もう少し仕事をしていきたいところであるが、これから島忠で買い物をしなくてはならない。 ええっと、トイレットペーパーと洗剤だったかな。 アレクサに買い物リストにメモをしておいてって頼んであるので、それを確認しよう。 いま確認したところ、2点ではなくて3点ある。 もう1点「魚」ってあるけど、魚なんて買う予定ないぞ。 いったい、なんだろう? わかった! 「魚(うお)の目」って行ったら、「魚(さかな)」って言っていたっけ。 わたし、右足の足裏に魚の目ができていて、目下それ治療中である。 その「魚の目コロリン」買わなくてはいけなくて、アレクサに「魚の目」を買い物リストに入れてって御願いしたのだった。 そしたらアレクサ、勝手に「魚(さかな)」って受け取ってしまったわけである。 その「魚の目コロリン」も買わなくっちゃ。。。 雨の湿原。
by fragie777
| 2022-04-03 18:41
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