カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
3月30日(水) 旧暦2月28日
仙川の桜並木。 なかなか壮観である。 出勤前の数十分であるが、珈琲を飲みながらオペラの曲を聴いた。 数日前にBS2で、「世界の三大テノール歌手の競演」というのをやっていたので録画したのだが、その録画のほんの一部である。 そして、大分昔のものの再放送である。 1990年7月7日にローマのカラカラ浴場で、スービン・メータの指揮によるもの。すでに知る人は知るものだろう。 わたしは知る人ではないので、(おお、聴いてみたい!)と思ったのだった。 三大テノール歌手は、ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティの3人。 昨夜から聴きはじめて、そのつづきを出勤前の慌ただしい時間に聴いたのであるが、それもわずか20分にも充たないような時間であったが、なんと言ったらいいのだろうか、すごく豊かで満たされた気持ちになった。 好きずきはあるのかもしれないがどの歌手もすばらしく、人間の声ってすごいんだなと思ったりしてうっとりと聞き惚れたのである。(数10分ですが) 仕事をするための気合いを十分にもらったような、頑張って仕事をしてやろうじゃないのっていうような、おおいに気持ちが前向きとなって良い気分で出勤したというわけである。 だが、思うに30年も前の映像なのよねえ。。。。 公明新聞の3月28日付けに河津聖恵詩集『綵歌』が、詩人の野村喜和夫氏によって、評されている。 「驚くべき詩集である」という書きだしではじまるこの評を抜粋になるが、紹介しておきたい。 タイトルは「天才絵師・若冲と向き合う」 驚くべき詩集である。(略)この詩人の場合、およそ五年半の歳月をかけて、若冲の三十もの絵に向き合い、それらのひとつひとつに、いずれも充実した三十の詩編を対置するのである。(略)それにしてもこの熱中、それはたんに美的なモチーフによるものではない。評者はかねてより、河津の宗教的な感性に注目し、「まるで聖女のように、いまだ世界は神秘な光に満ちているというその明証のままに書く」と評したことがあるが、この彼女の特性が若冲をも捉える。彼女は、若冲から、いや若冲とともに「今いきものからあふれる光の辰砂」を、「光が闇を梳るコウコウという深い無音」を掬いとろうとするのだ。 いい評である。 野村喜和夫さんが、「河津の宗教的な感性に注目し」と書かれているが、するどい指摘であると思った。 ああ、そうなのか、と。 いや、たしかにそうかもしれない、と。 河津聖恵という詩人に対してあらためて目が開かれたような思いがしている。 「俳句四季」4月号の二ノ宮一雄氏による「一望百里」には、鈴木石花句集『緑蔭』がとりあげられている。抜粋して紹介したい。 緑蔭やグレイスといふケアハウス 作者は令和二年に傘寿を迎えたが、八十歳のとき会社(自営)と息子宅の中程にある「緑蔭の安らぎにも似た介護つき施設に入居」した。それまで夫とともに日本鶏と紀州犬を愛好していたのでそれらを詠んだ句に見るべき作品がある。 腰叩き鶏鳴かす術山笑ふ 元朝のテレビに謡ふ夫の鶏 朝餉前犬舎鶏舎の氷割る 愛着の犬ソラ託す露の朝 今日も午後より読み合わせ。 「二の酉の」と読むべきところを、「この酒の」と読んでしまい、 「もう今日は終わりにしましょう」とスタッフに笑われながら終わりにした。 時計をみたら、もういい時間だった。 菜の花と翡翠。
by fragie777
| 2022-03-30 18:55
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||