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3月23日(水) 彼岸明け 旧暦2月21日
仙川駅前の桜が咲きはじめた。 今朝の桜である。 まだほとんどが蕾の状態。 仙川駅前はおおくの人が行き交い、この桜の下で待ち合わせをする人も多い。 いつも賑やかな場所である。 改札口にいそぐ人の背中を見ながら、深見けん二先生の 人はみななにかにはげみ初桜 の句が呼び起こされる。 本当にいい句であると思う。 深見先生ご自身も、この句はお好きなようであり、亡くなられる少し前にそのようなことをお話してくださった覚えがある。 わたしも今日この桜の木の下に立って、気合いをいれて出社したのだった。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバ-装 110頁 3首組 著者の徳高博子(とくたかひろこ)さんの第5歌集となるものである。 この歌集を紹介するにあたって、どう紹介させていただこうかと、ここ数日ずっと考えていた。 徳高博子さんは、2020年にふらんす堂より自選歌集『めぐりあふ時』を上梓されている。そこに今回の『ジョットの青』の作品が100首収録されている。本歌集は、その100首をⅠとして収録し、その他Ⅱ,Ⅲと項目をたて、新しい作品を収録しているものである。 現在、著者の徳高博子さんは、ホスピスに入院し緩和ケアを受けられている。 本歌集のⅢには、身体に異常をおぼえてから検査によって膵臓にガンがみつかり、治療と闘病、死を覚悟し、家族への別れをつげるまでの短歌が収録されている。 「あとがき」は、著者の徳高さんに代わって、ご夫君の宮野健次郎氏が書かれている。 本を編集製作するまでのやりとりはすべて宮野氏が代わってご本人の意向をこちらに伝えてくださることになった。 「あとがきに代えて」を紹介したい。全文を紹介したいところであるが、ここでは抜粋して紹介させていただく。 妻 徳高博子はこれまでに第一歌集『革命暦』をはじめ、『ローリエの樹下に』『ヴォカリーズ』『わが唯一の望み』の四冊の歌集を出版し、さらに二〇二〇年三月には自選歌集『めぐりあふ時』を纏めました。本著の『ジョットの真青』は第五歌集として構想したものですが、収録作品二六五首の中の百首は自選歌集『めぐりあふ時』に既に収められています。その後、結社誌「未来」に掲載された歌と、昨秋に膵臓がんと分かってから二ヶ月ほどの間に詠んだ歌を書き加えて完成に至りました。しかし、精神を集中させることが困難になりつつある今、私が代わって「あとがきにかえて」を書くことになりました。 この歌集のはじまりは、宮野健次郎氏からの一本のメールによるものである。ご本人が歌集の出版を望んでいるが、病床にあって動けない、ということであった。二年前に徳高博子さんは、歌集の上梓のご相談のためにふらんす堂にいらしてくださっている。その時の若々しいお元気な姿を存じ上げているので、わたしはにわかには信じられない思いであった。そしてさらに伺うと、徳高博子さんは、痛みに耐えながら第5歌集の原稿を作成中であるということ、そしてその歌集は「遺稿集」になるだろう、ということだった。出来上がって本を手にすることができるかどうか、時間の問題でもあるということ。とても信じられない思いであったが、ともかくも担当の文己さんと相談しながら、できるだけ速やかにおすすめしようということになった。装幀は、前回と同様、君嶋真理子さんを希望しておられるということ、一刻もはやくその装幀のイメージを博子さんに見せてやって欲しいというご希望もあった。そういうある意味緊迫したなかでの今回の歌集出版となったのである。 (略) 昨年夏頃から体の不調を感じ、近くの医院で胃カメラの検査などをした挙句、膵臓がんを疑いCTスキャンを受けました。診断は、長くても余命半年。本人の受けた衝撃は想像に余りますが、その後の闘病生活でもますらを振りを発揮し、病状の進行に従って自分が入るべき病院を決め、受けるべき手当を決め、身の不運を嘆いたり、弱音をはいたりしたことは一切ありません。これに対して、私の受けた衝撃は自分中心的なものでした。このままでは、博子のことを何も知らないまま余生を送らなくてはならない。真っ暗な穴の入り口が刻々迫ってくる恐怖に襲われました。 私が先に逝くと決め込んでいた時には、博子の中に私の知らないページがあることは全く気になりませんでした。むしろ、一人になっても自由にページを書き足すだろう。居なくなった私がそれを気にするまでもない。しかし逆の立場になると、私はほとんどのページを知らないままになる可能性を恐れました。 吾が死なば悲しむ家族ふたり在り三人家族のために励まむ あと半年生きる努力を。わたくしに与へられたる終のミッション 夫と娘がわが死後のこと語り合ふ不思議な光景なぜか安らぐ 職を辞し家事一切を引き受けて吾を世話する夫ありがたし 「にんじんの賽の目切りつてどうやるの」科学者なりし夫が問ひくる ご家族を詠んだ短歌である。 ホスピス入院までご夫君である宮野氏の献身的な介護をうけておられた徳高博子さんである。 夏の日は母の烈しさ 総身を子に与へつつ燃え尽きゆきぬ 「ほんたうに出会つた者に別れはこない」俊太郎の詩わが裡に生く コスモスはみな海に向き風に揺るとことはに揺る天を仰ぎて 凛として生きむと選りしか黒き服つねに何かと戦ひてゐき 吾のみの命にあらず然らば此の体ひとつを君に預けむ 君の行く道の辺に咲く向日葵となりて生きたし幾たびの夏 担当の文己さんがあげた好きな短歌である。 凛として生きむと選りしか黒き服つねに何かと戦ひてゐき 「あとがきに代えて」のなかで、宮野氏は、博子さんの「ますらを振り」(塚本邦雄の博子さんへの短歌評)についてふれておられる。「結婚したての時に私はこのように宣言されました。「私はいままで親にも呼び捨てにされたことはない。私を呼ぶ時は博子さんと言ってほしい。『おまえ』ではなく『あなた』と呼んで欲しい。」この約束は、守られています。」この短歌にあるようにここには一人の凛として頭をあげた女性がいる。なんともカッコイイ。 君の行く道の辺に咲く向日葵となりて生きたし幾たびの夏 「向日葵」の花は、「ますらを振り」の女性にこそ、ふさわしい。博子さんのご夫君にたいする思いである。炎天下に咲く向日葵となりたい、というのも、芯のある意志の強い女性を彷彿とさせる。ご来社くださったときとても楚々とした佇まいでおられたのだが、じつは不屈の闘志をもった方だったのだ。 ゆふぐれの欅木立にたたずみて仄白き蛇すぎゆくを見つ これはわたしの好きな一首である。幻想的というべきか。欅に吹き寄せる涼風に身をあずけながら夏の夕暮れを夢見るように過ごしていると、一匹の美しい蛇がすぎっていったという。とこう書いて、この短歌には季節は夏とかかれているわけではない、と気づいた。しかし、わたしは夏の一夕、それも初夏を思うのである。こんな蛇なら出会ってみたい。なにかの化身のようでもある。 ことしあふ樹々の芽吹きに囲まれて老いゆくこともまたあたらしき この一首はたいへん好きな短歌である。「老いゆくこともまたあたらしき」、こんな思いをもって日々わたしも過ごして行きたい。R女のハシクレとしてそう思うのだ。 風立ちて一斉に散るもみぢ葉の乱舞の中を夫と歩めり 見上ぐれば欅もみぢを風濯ぐその風音をひたに聴きをり 数十羽緋鳥鴨見ゆ七井橋井の頭公園錦秋迎へ はるかなる北の国より渡り来てこの地に冬を生きる鳥たち こんなにもうつくしい秋に生きてゐるこれが最後の秋になるのか Ⅲに収録されている作品であり、これは昨秋に詠まれたものだ。徳高博子さんは、吉祥寺にお家がある。井の頭公園の近くと伺った。yamaokaのブログの「編集日記」も覗いてくださっているようで、わたしが井の頭公園に自転車でのりつけ、あっちこっちふらふらしている時に、あるいは宮野氏とお二人で散歩をされていたこともあったようだ。すでにこの歌集の製作の進行途上であったので、わたしもお会いできないかとキョロキョロしたりしたのであるが、お目にかかることは適わなかった。 人はなぜ書くか。いろいろな人が論じています。悲嘆に暮れてなす術もなく、胸が押しつぶされる状況に陥った時、書くということによってその過酷な状況をいわば整理・客観視でき、心のジタバタから救済されるということを、私自身この間はっきりと認識しました。そして、おそらく同じような作用が博子にもあるに違いないと直感しました。私は、書くことを既に宣言しながらペンディングになっていた『ジョットの真青』の完成を勧めました。初めは、気乗りしない様子でしたが、やがて、その最終的輪郭が見えるところまで積極的に作業を進める気になりました。この歌集はこのようにして日の目を見ました。そしてその過程で、私は今まで知らなかった多くのページを読むことができました。「これが最終稿」と告げ私に原稿を託した時、「短歌をやっていてよかった」と漏らした一言が私の救済です。 「あとがきに代えて」をふたたび紹介した。宮野氏のつよいすすめがあって上梓に向き合った徳高博子さんであったが、だんだんと歌集の出来上がりをつよく待ち望むようになられたようである。「身体的な苦痛は想像を超えるものがあるはずですが、精神的には博子は今穏やかで充足した気分にあると思います。この5ヶ月間を歌集と共に過ごすことができたおかげです。」と歌集ができあがったとき、宮野氏はメールをくださった。 チャペルある教会通りのホスピスに吾が終焉の時過ごさむか ロザリオの祈り一環唱へ終へ静けき夜の闇に吾が居り 闇に聴く聖書朗読果ても無しデヴィッド・スーシェの気魄漲る キリストは斯かる最期を吾(あ)に賜ふ然らば冴え冴えと従はむ 徳高博子さんは、「あとがきに代えて」によると5年前にカトリック信者となられ、それ以来大変熱心な信者であるということである。国内外の聖地巡礼に参加されたり、聖書をふかく理解するためにギリシャ語やヘブライ語勉強も始められたということである。 ジョットの真青 天上の青 永遠の吾が憧れよ もうすぐあへる 最終頁におかれた3首の最初の短歌であり、本歌集のタイトルともなった一首である。 ジョット(ジョット・ディ・ボンドーネ)は、中世後期のイタリア人の画家である。アッシジにある聖フランチェスコ大聖堂のフレスコ画が有名である。わたしもイタリアを旅行したときに見ているが。この短歌の「青」は、「ユダの接吻」と題したジョットの絵の空の色である。空をはじめて青く塗った画家としても有名らしい。 装幀を担当した君嶋真理子さんには、この青を念頭においてもらった。 ただ、ブックデザインは、前回の自選歌集『めぐりあふ時』と響きあるものというのが徳高博子さんにのご希望だった。 グラシン(薄紙)でまいた一冊である。 ウイリアム・モリスを用いた。 カバーをはずした表紙。 見返し。 扉。 グラシンをはずすと、鮮やかな青が現れる。 「天国はどこにあるの?」聖書には何と書いてあるのか訊いたつもりだったのですが、答えは意外かつ腑に落ちるものでした。博子は、天国は人と人の交わりの中に存在するものだと説明してくれたのです。人と人が良い関係を保ちお互いに幸せな状態にあるのが天国なのだから、自分が死んでも、その天国は相手の心の中に幸せな思い出として末永く存在するというのです。 博子の天国は、約束されています。 まりちやん、まりちやん! たつたひとりの愛しい子 パパをよろしく 良い人生を けんさん、けんさん! わたしの良人 愛してる 君を想へば涙あふるる 最後におかれた二首である。 出来上がった見本を手にされたお写真を送ってくださった。 そしてお手紙をメールでいただいた。 ここに紹介させていただく。 終はりまでなるべく家で過ごしたい私の一番好きなリビング 昨日届いた『ジョットの真青』を手にして、今までに味わったことのない感動に 包まれております。 夫に勧められるまでは、第五歌集は未完成のままで刊行されなくても、それはそれで一つの歌作活動の閉じ方と考えていたのですが、 がん宣告を受けてからのこの半年を振り返ってみますと、 よく今日まで心穏やかに頑張って来れたものと自分自身を讃えたくなります。 これも偏に歌集出版という目標があったからこそと実感しております。 そしてその目標に向かって、山岡喜美子様はじめ、横尾文己様、君嶋真理子様、そのほか歌集出版に関わられた皆様の一方ならぬご尽力を賜ったお陰と衷心より 感謝申し上げます。 もうすぐ私の身体は滅びこの世からなくなりますが、 私の心は、最後の作品群を歌集という形に遺すことにより、消え去ってしまうこ とはないと感じます。 ささやかながら、拙いながら、それでもたしかな生きた証がのこせること、これはほんとうに素晴らしいことだと思います。 日に日に体が衰えていき、いつ急変するかはドクターにも分からないのですが、 体調のゆるす時は、井の頭公園へ鳥達に会いに散歩に出かけます。 右手は夫の腕に預け左手で杖をつきながら、ボート池のベンチまでゆっくり歩い て行きます。 小鳥の囀りに耳を傾け、池の鳥達の名前を言いながら、野鳥観察を楽しんでいます。 山岡さんのブログのおかげで、この歳になってようやく夫との共通の趣味が出来 ました。 重ね重ねありがとうございます。 先日のひょうたん池の(?)五位鷺は私たちも見かけたので、 山岡さんのご覧になった鳥と同じ鳥だったのかしらと思うと 何だかとても嬉しくなりました。 今日は夕やけ橋の畔で尉鶲に会いました。 最近この尉鶲は見かけなくなっていたので、もう帰るべき所へ帰って行ったのか なと思っていましたが…。 鳥っていいですね! 人間にはない超能力があって、神様の送ってくださる聖霊のように感じることが あります。 私も帰るべきところへ帰るときが訪れるまで、静かに一日一日を過ごしていきた いと思います。 では、この辺で失礼いたします。この上ない感謝の念を捧げつつ…。 わたしが少し前にこのブログで紹介した「眠っている五位鷺」をあの日、徳高さんも宮野氏と一緒にご覧になったのだとは驚きである。 ああ、あの場所にいらしたのか。。。。 わたししか気づいていないって思っていた五位鷺をちゃんと見ていらしたのか。 いつ頃だったのだろう。 本当にわずかな時間の差でお会いできなかったのだ。。 あの日の五位鷺。 自選歌集『めぐりあふ時』一冊を旅立ちの日に持たせて欲しい いま一度春木屋ラーメン食べたきに叶はねば舌に思ひいだせり 吉祥寺では、春木屋のラーメン、有名ですものね。 一度ご一緒に、井の頭公園を散歩したかったですね。 徳高博子さま。 早春の井の頭公園。 ここで徳高博子さんは、白い蛇がよぎるのを見たのだろうか。。
by fragie777
| 2022-03-24 20:26
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Comments(2)
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