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3月21日(月) 春分 春分の日 旧暦2月19日
国立・城山公園に咲いていた土佐水木。 この黄色もまた優しい色である。 お昼から仕事場で仕事。 出勤途上で、冬物をクリーニング店に出し、すでに仕上がったものを受け取った。 冬物は重たいので、運ぶのに一苦労。 戦争という言葉が日常のなかに入り込んで来ている日々だ。 いま読んでいる本にこんな言葉があった。 日本が戦争に突入して行くことに懊悩する若者がふれたある哲学者の言葉である。 人間を信ずべき理由は百千あり、信ずべからざる理由もまた百千とあるのである。 人はその二つの間に生きねばならぬ。 が、若者は思う。 しかし、二つの間に、ではあるまい。二つともを生きねばならぬ、であろうと思う。 この「二つの間に生きねばならぬ」と「二つともを生きねばならぬ」の違いを具体的にはどう考えていったらいいのだろうか。。 若者はそれ以上言及はしていない。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯あり 208頁 二句組 著者の和田華凜(わだ・かりん)さんは、俳誌「諷詠」の四代目となる主宰である。後藤夜半、後藤比奈夫、後藤立夫とつづいた結社「諷詠」を継承し、現在に至っている。昭和43年(1968)年東京都生まれ、3歳より神戸市に在住。平成18年(2006)「諷詠」入会、後藤比奈夫、後藤立夫に師事。平成25年(2013)第1句集『初日記』上梓(第3回与謝蕪村賞奨励賞受賞)。平成28年(2016)父立夫逝去により俳誌「諷詠」を主宰継承。現在「諷詠」主宰、編集長、「ホトトギス」同人、「玉藻」同人。俳人協会評議委員、日本伝統俳句協会関西支部監事、虚子記念文学館理事。大阪俳人クラブ常任理事、兵庫俳壇常任理事。 本句集の上梓のいきさつについて、「あとがき」に書かれているので、その一部を紹介したい。 昭和二十三年曾祖父後藤夜半が創始し、七十四年続く俳誌「諷詠」四代目主宰を後藤家の長女として生まれた私が今日継承しているのは、天命であると思う。 第一句集『初日記』が北溟社第三回与謝蕪村賞奨励賞を受賞。授賞式の翌日、三代目主宰の父立夫が小細胞肺癌の宣告を受けた。二年半の壮絶な闘病生活の後、平成二十八年六月、私の頭をポンポンと軽く叩きながら「お前は二重丸の娘や」と言い〈ころはよし祇園囃子に誘はれて 立夫〉と辞世の句を残し、志半ばで此の世を去った。私は父の葬儀の席で諷詠四代目主宰に就任した。そして、昨年コロナ禍の中、名誉主宰であり心の支えであった祖父比奈夫も百三歳の天寿を全うし、この世を去った。気が付くと第一句集上梓から八年が経っており、立夫選、比奈夫選、句友の方々の選、「ホトトギス」稲畑汀子先生、稲畑廣太郎先生選、「玉藻」星野椿先生、星野高士先生選の句が約三千七百句、句帳にあった。第二句集にはその中から三百七十四句を収載することとした。 本句集は、平成25年(2013)から令和3年(2021)までの句374句を収録した第2句集である。この間、著者は、父・立夫、祖父・比奈夫を亡くされている。 能面の月華を宿す白さかな 本句集のタイトルとなった一句であるが、そのことについて、著者はまた「あとがき」にふれている。 「表題『月華』は月の光、月光のこと。(広辞苑より)諷詠四代の主宰がそれぞれ「瀧の夜半」「花の比奈夫」「祭の立夫」「月の華凜」と呼ばれていることもあり、この題を選んだ。」 目次の四項目もまた、「月へ帰る」「月華」「月の都」「幽玄の月」と月に関わるものである。 作者の思いによるものかそのはからいによるものか、不思議なことにわたしたちは、この句集を手にしその頁をひらいたときから、淡い月の光にみちびかれてこの句集の世界に分け入っていく、そんな感覚にとらわれるのである。 銀閣寺まで蛍火について行く 最初におかれた一句である。この蛍火によって「銀閣寺」のさらに先にある世界へと導かれていくように、わたしたちは作品を読みすすむことになる。 思うに、わたしたちにとってある意味非日常とさえおもえる世界が、作者の和田華凜さんにとっては、日常なのである。それは上方の文化にとっぷりと浸かってきた日々があり、その幽遠な時間の堆積のなかに息づいてきた作者がいる。それらの上質なものが和田華凜という人の体質にたっぷりと染み込んでいるのである。その美質のままにのびやかに素直に俳句を詠んでこられた華凜さんだからこそ、その一句一句は、嫌味なく読者のこころにすっきりと納まる。拝読してわたしはそんな風にまず思ったのだった。 たくさんある好きな句の中から句をいくつかとりあげたい。 光る音して薄氷の溶けにけり 「光る色」ではなく、「光る音」を、薄氷が溶けるときに作者は聴き留めたのである。物理学的には「光る音」などはあり得ないかもしれないが、詩の世界によってそれは現実のものとなった。それも「薄氷」であるからこその「光る音」なのだ。この一句は「光る音」の発見がすべてだ。 コスモスの風ぐせつけしまま生けて 「コスモス」って、それぞれが好き勝手に風に揺れているせいか、風が止んだあとも好き勝手方面を向いている。それがまさにコスモスらしいと思うが、その「風ぐせ」がついたままのコスモスを剪ってきてそれを活け、それを楽しむ。風にふかれたさまのコスモスは、活けられてふたたび風を呼び込むようだ。コスモスの野趣があたりを支配し、動きのある一句となった。 梅が香にして日向の香日陰の香 この叙法をみて、後藤比奈夫氏の俳句の叙法を思った。すんなりと嫌味なく季語を効果的に用いて一句に仕立ててみせる。ああ、たしかに梅の香には「日向の香」と「日陰の香」があるかもしれない。「梅が香にして」が巧みであると思う。 風鈴の音の遠くへ行きたがる こう詠まれてみると、そう、きっと風鈴の音って「遠くへ行きたが」っているかもしれない。そんな風におもわれてくる。この発想の飛躍を無理なく、読者のこころに納得させてしまうような一句だ。 先斗町舞妓赤眉朧月 祇園にたたずむ春の夜の舞妓さんを詠んだものであるが、漢字のみで詠んでみせた。それでいて調べに堅さはなくテンポのよいリズムが伝わってくる。朧月のしっとりとした大気の中に、はんなりとしてあでやかな舞妓さんの姿が浮かびあがる。「赤眉」がキイワードか。 澄む水に舞台化粧を落しけり 「舞台化粧」であるから、芸事に従事している人の化粧であり、まさに上方芸の世界になじんでいる作者の身近な様子のことであるのかもしれない。この句、後藤夜半の世界などが彷彿としてくる。「舞台化粧」とあるからには、かなり濃く塗られた化粧である。それを「澄む水」で落とすのだ。秋の冷たいよく透きとおった水である。落とされたあとのさっぱりとした顔までが浮かんできそうな、怜悧なまでに澄み切った水の感触を思う。「水澄む」という季語がとても効果的に用いられている一句だ。 文机に古りし季寄や底紅忌 掉尾の一句である。「底紅忌」は、夜半の忌日。文机にある手擦れで古くなった季寄せは、あるいは祖父がつかい、父がつかって、華凜さんに残されたものであるかもしれない。眼前の物だけを詠んでいるのであるが、「底紅忌」とあることにより、伝統ある結社を引き継ぎ俳句に関わっていこうとする作者の、しずかな覚悟とひそやかな闘志が、伝わってくるような一句である。 ほかに、 清浄の白今生に沙羅の花 春告鳥信濃に久女眠りけり 朝といふ綺麗な時間新茶酌む 底紅や紅引くことのなきくらし 去来庵座布団二つ片時雨 俳諧の正しい道を選択したいと心から願う。道に迷いそうになった時、私の心の癒しは月を見ることである。春夏秋冬それぞれの月の光(月華)が先人達の声となって降ってきて、俳諧の進むべき道を照らしてくれると感じるからである。(略) 昨年、祖父の戒名から「深観新詠」という作句信条を得た。全てのものを深く心に感じながら観ることで、だんだん自身の心が深くなり、日々新たな心で言葉を紡ぎ、俳句を詠んでいこうという志である。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 和田華凜さんには、装幀にはこだわりがおありだった。 当初、カバーの装画の色が華凜さんのご希望の色とちがい、印刷屋さんにがんばってもらってできるだけご希望に色に近づけて貰った。 こうして出来上がってみると、華凜さんのこだわりがよく分かる。 このうっすらとあるブルー、これがご希望だった。 月の光のもつ冷たさが感じられる。 裏側にも月を配して。 表紙のクロスは、ベージュと薄黄色の間のような、いい色である。 見返しには金箔と銀箔が品良くある。 扉。 花布は金。 栞紐は、薄ベージュ。 能面の月華を宿す白さかな この句は観月能の句であるが、曾祖父夜半の兄弟は能喜多流の人間国宝であり、私が仕事場としている海に近い小さな庵「月華庵」(マンションの一室であるが)には遺品の能面を掛けている。(あとがき) 本句集のご上梓後の和田華凜さんに、上梓後のご感想をうかがった。 句集『月華』を上梓して この度はふらんす堂さんにお願いして第二句集『月華』を三月三日に上梓することが出来ました。手にした時、「わぁ、綺麗!」と声に出していました。 月華は月光のこと。月を眺める事で先人や今は亡き人達と心が通じると信じて俳句の道を歩んできた八年間であったような気が致します。此の世と彼の世は続いていて、死者の魂は私と繋がりその声に導かれてきたようにも思います。 「あとがき」に書かせていただきましたが、父後藤立夫の癌宣告から闘病、死、そして葬儀の日に諷詠四代目主宰を継承致しました。自然はどんな時も変化し続け、美しい四季の様を私達に見せてくれます。また祭は人と神を繋ぐ架け橋。踊は人と仏を繋ぐもの。俳句を詠むことで生と死は繋がっていて生の延長線上に死はあり、また死によって生きている者との繋がりが途切れるものではないことを感じました。その様な心持で結社の方々から、また俳句界の方々から学ばせていただきながら、様々な句会という学びの場で得ることが出来た句を収載致しました。この間、主宰として数多くの句会に参加致しましたが、皆さまから学ぶことばかりでした。沢山の句を授かる事が出来ましたが、『月華』には心のままに素直に好きだな、と感じる句を選びました。句集をまとめることで今の自分の好きなことに気付けたように思います。「月の華凜」の世界観がお読み下さった方に楽しんでいただけたり、癒しとなったならば嬉しく思います。 『月華』上梓直前の二月末に、心より敬愛していた稲畑汀子先生が帰天されました。先生に選んでいただいた句も多くあります。この句集は今は亡き私の愛する人達へ感謝と共に捧げるものでもあります。 これからも先師の教えをいつも心に持ちながら、また深く新しい俳句への道を歩んでいきたいと強く思っております。 関わって下さった全ての方々に感謝と愛を込めて。 令和四年三月十五日 ご感想には、君嶋さんやわたしへのご丁寧な謝辞もいただいたのであるが、それはお気持ちのみをいただくこととして、ここでは省略させて貰った。 後藤比奈夫、後藤立夫のそれぞれの御方に続いての更なるご縁を嬉しくありがたく思うのみである。 面を打つ音の高さに寒の月 厳しい寒さのなかに面をうつ音、音がのぼっていく高さ、それは華凜さんの志の高さであろうかと。 わが家に咲いている日向水木。 土佐水木とおなじ仲間であるが、土佐水木より低木で、花も素朴。 ひとまたぎできそうなくらい。
by fragie777
| 2022-03-21 19:01
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