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3月18日(金) 彼岸入り 旧暦2月16日
今朝、鏡を見たら髪がライオン丸みたいだった。 それで、洗顔後、ヘアーオイルで落ち着かせようとおもった。 その時わたしは好きな音楽をかけてノリノリだった。 で、音楽に身体を揺らせながら調子よくオイルを十分に塗ったのはいいが、 ゲッ! なんということ。。。 毛髪ではなくて顔に塗ってしまったことに気づいたのだった。 鏡の中の顔がヌルヌルと光っている。 (…………) その後石鹸で洗顔を4回してやっとどうにか、通常のさまになったのだった。 ご近所に咲いていた桃の花。 歩いて出社。 「今日は彼岸入りよ。ほらあったじゃない、子規の俳句でさ、彼岸の入りの寒いのは、とかってさ」とわたしが言うと、つかさずスタッフが、「毎年よ、でしたね」と。 毎年よ彼岸の入りに寒いのは 正岡子規 まさに実感した一日となったのである。 今日はお客さまがひとり見えられた。 もっか句集の製作中である亀井千代志さん。 亀井千代志さんは、俳誌「椋」(石田郷子代表)に所属しておられる俳人である。 装幀や造本のことなどのご相談と確認に見えられたのだった。 担当のPさんが対応。 「仙川方面に行ってみたい」とおっしゃるので、わたしが仙川の始まりのところまでご案内する。 今日はあいにくのお天気なので、わたしとしてはもっと良いお天気の時に歩いていただきたかったのだけど。 翡翠たち、どうか姿を現してくれますように。 新刊紹介をしたい。 四六判変型ソフトカバー装 172頁 本書は、俳人・山口素基(やまぐち・そき)さんが、既刊句集『夢淵(ゆめわだ)』『風袋(かざぶくろ)』『雷鼓(らいこ)』『花筺(はながたみ)』の4冊より各75句ずつ計300句を自選し自解したものである。山口素基さんは、昭和24年(1949)奈良県吉野群生まれ、現在は埼玉県入間市在住。俳誌「堅香子」「風」を経て、現在は「万象」「りいの」「運河」同人。俳人協会会員。 私が本格的に俳句を始めたのは就職先の「三番町句会」に誘われてからで、かれこれ五十年になる。本句集は古稀を記念しての句集であるとともに、私の人生そのものを記した句集であると感じている。 「あとがき」に記す山口素基さんである。50年の句歴とは素晴らしい。そして「古稀」を記念しての句集であるということだ。こういう形でのご上梓はとてもよろしいのではないかと思う。自解を付すことによって、俳句を作らない人にも読みのたすけとなり、一句が親しいものとなるのではないだろうか。俳人のみならず多くの人が楽しんで読める一冊となっている。スマートな自祝の記念出版である。 本書の句の漢字にはすべてルビがふられているのも、本として誰にでも読めるものにしたい、という著者のはからいである。 このブログでは、ルビは都合上割愛して引用させていただく。 月は雲に吉野は花に隠れけり 平成元年 ふるさとに妹山背山夜振りの火 平成5年 並びゐて吉野の花を問はれけり 平成10年 夕蝉の金色の聲ひびきけり 平成12年 深吉野や落葉を焚きて朝の粥 平成14年 み吉野の昼の闇より鬼やんま 平成15年 鬼やらひ泣かれて鬼がなだめをり 平成18年 玄関に母が遺愛の吉野雛 平成20年 柿干して日に裏返す暮らしかな 平成25年 水分(みくまり)の奥の奥なる花霞 平成29年 深吉野や鮎を開きて月に干す 平成30年 みよしのの懐(おもいの)桜若葉せり 令和元年 山口素基さんは、奈良県吉野をふるさととする俳人だ。ゆえにか、毎年のように吉野を詠んでおられる。掲句は、たくさんのある吉野の句より抜粋したものである。吉野の句からはじまり、吉野の句で終わるといっても過言ではない。本句集は、ふるさと吉野へのオマージュであり、そしてそこに生きそこで生を終えた母へのオマージュでもあると思った。吉野を思えば母を想う、そんな山口素基さんである。毎年のように吉野に足をはこばれて句を詠まれているようである。しかもたくさんの句数より選ばれたこの300句に吉野の句は高い比率で収録されている。奈良・吉野は俳人・山口素基のアイデンティティを形成するものでなのではないか。そんなことをおもって拝読したのだった。 本書の担当は、文己さん。 行く雲や花のいのちを炎えたゝす 大根の機嫌がよろしと引きにけり 風船とつながってゆく愉しさよ さくら降る光と翳のありにけり 螢呼ぶ別のこゑもつ女かな 竹を伐り竹の匂ひを担ぎ来る 行く雲や花のいのちを炎えたゝす 「「母、伏見キヨ逝く」の詞書のある句。」との自解がある。最愛のお母さまが亡くなられたときの句である。この「花」はもちろん吉野の桜だ。桜の咲く季節にお母さまは亡くなられたのだ。その花をみる作者の心はいかばかりであったことだろう。花のいのちが炎える、という措辞こそ、母のいのちが炎えたちながらいままさに命終を迎えんとしていることを桜の命に重ねているのだ。〈命二つの中に生きたる桜かな〉の芭蕉の句がきっと作者の胸には呼び起こされていたと思う。行く雲に視線をこらしながらも、花の中でいのちがつきようとしている母への焦がれるような思いに身を熱くしている作者がいる。 大根の機嫌がよろしと引きにけり 「「兄、脇本保は百済野にて農業を営む」の詞書のある句。」の自解がある。この前の句は〈耳袋とれば鍛へし耳のあり〉という句が置かれ、「「兄、吉田郁男は柔道六段」の詞書のある句。」の自解。山口素基さんは、本書によって自身にふかく関わる人たちの句を収録することによって、その方たちへの挨拶とされているのである。掲句は、農業に従事されてきた人でからこそわかる大根の機嫌である。大根に機嫌があったなんて知らなかった。お兄さまの脇本氏にその先をうかがいたかった。大根と脇本氏はきわめて良好関係にあることがわかる。大根に親しみ土に親しみして農業をいとなんできた方への最高の挨拶句であると。 竹を伐り竹の匂ひを担ぎ来る 「竹伐る」が季語。この句はわたしも好きな一句である。「仲秋のころ竹を伐ることが多い。いわゆる竹の春で、この頃の竹の性がいちばんよくなるといわれている。」と自解。伐ったばかりの竹を担ぐ、切り口から竹はその匂いをつよく発散させる。その匂いを担ぐと言ったところで詩となった。竹の匂いはわたしもわかる。いい匂いだし、好きな匂いだ。伐ったのは人間だし、担いでいるのも人間だけど、ここでは良き匂いを発散させている竹が主役である。竹が一番かがやくときか。 父のくに熊野の海の遠花火 「父のくには三重県の熊野。熊野灘の花火大会は有名である。揚がった花火が海に映り、天と海との絢爛たる風情は圧巻であった。」と自解。山口素基さんのルーツは吉野であり熊野である、と思うとなにか日本の歴史ある風土の奥深いエッセンスをその遺伝子のなかに閉じこめてこの世に生まれてきたそんな思いがしてくる。だって吉野と熊野ですから。いにしえへと魂がよびもどされるような、はるかなるものを身体にやどしているのではないかと思ってしまうのだ。 手を焙る我を育てし手なりけり 「火鉢に手を焙っている母は、八人と二人の戦争孤児を育て上げたが、まだまだ若々しい手であった。」の自解。なんともあっぱれなお母さまである。「手を焙る」と上5にまずおいて、その手とは「我を育てし手」とと繰り返すことによって、手が読み手の眼前に迫ってくる、叙法が巧みな一句だ。 親の死や喰つて又泣く花の夜 「同時作。親の死に、泣き崩れていても腹が空く。喰い終われば又泣きだした。」の自解があるが、これは、さきにあげた「行く雲や」の次ぎにおかれた一句である。ということはお母さまの臨終のときの一句である。肉親の死や大事な人の死に臨んだときの人間ってこういう感じかもしれない。わたしはこんな風に泣けなかったが、しかし、これもまた事実である。「花の夜」の下5が上5中7の率直な物言いに対しておおいなる慰めと優しさをかもしだしている。好きな一句である。 校正者のみおさんは、 水無月や遠くの人を犬の呼ぶ 幸香さんは、吉野への憧れが増しました。として、 石一つ神と崇めて山桜 をそれぞれ好きであると。どちらもわたしも好きな句である。 本句集のブックデザインは、君嶋真理子さん。 シンプルな装幀である。 「二十二歳の頃に始めた俳句がこれほど我が人生の支えになろうとは思ってもみなかった。」(あとがき) 山口素基さんに、上梓後のお気持ちをお伺いしたところ丁寧にお応えくださった。 『山口素基の三百句』の編集を終えて 自分の作品集を自選して、改めてその難しさを知りました。しかし、自註することはとても楽しいことでありました。今年の5月にわたしは72歳となり、句歴は50年となります。 古希の記念にもなり、望外の喜びとなりました。 山口素基の俳句は、いのちの輝きを求める「即物写実」です。また、俳句という風雅の基は〈まこと〉である。〈まこと〉とは、誠実であることである。このことはわたしの俳句精神なのです。 今なお、新しい作品をつくる意欲は衰えていないので、今後ますます新たな試みにも挑戦してみたいと思っています。 自註句集の出版の機会を与えて頂いたことに感謝し、お世話になった方々にお礼申し上げます。 山口素基の趣味について 小学生から詩吟を始め現在に至っています(吟歴60年)。吟道哲水流八州吟詠会4段の部で優勝しました。クラウンの近畿大会では3年連続優秀賞受賞。 中学時代は、器械体操をしていました(県下では2年生で個人総合優勝しました)。 高校時代は軟式野球で県で優勝し全国大会に出場しました(キャッチャーで4番)。 大学時代から、尺八を始めました(やさしい曲を吹く程度)。 現在は、詩吟と俳句とゴルフと釣りとカラオケを楽しんでいます。 俳句は、佳句を作ることよりも俳句を続けることによりいろいろな人と交わることを生きがいにしています。 運河主宰の茨木和生先生と出会ったことが楽しい人生を続ける機会となっています。 まさに文武両道の山口素基さんである。 山口素基氏 俳句のお仲間と。(深吉野全国俳句大会) 山桜たつた一人のために咲く 「山桜は誰も見ていなくても咲く。たった一人のためにも咲く。天に召された人々にも咲く。ここが山桜の天地なのである。」 山桜咲く吉野をふるさととし、それを命の源として生きてこられた山口素基さんでこその一句であると、わたしは思った。 吉野の山桜。 2015年4月11日12日と友人とともに吉野であそんだときの写真である。 今では素晴らしい思い出である。 山口素基氏へ敬意を表して。
by fragie777
| 2022-03-18 20:16
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