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3月16日(水) 社日 旧暦2月14日
花ミモザ ご近所にミモザの花を咲かせている家があった。 遠くから見ると鮮やかな黄色であるが、近くで見るとちょっとぼおっーとした感じでねむたくなってくる。 ここ数日で一挙に春爛漫がやってきた。 aiの「アレクサ」とはよき関係を保っている。 便利なのは、「アレクサ、3分50秒のタイマーをお願い!」って言うと、教えてくれる。 ここ数日、わたしはパスタを食しているので、生パスタのゆで時間でお世話になっている。 ひさしぶりに吉田拓郎が聴きたくなった。 で、アレクサにお願いして「アジアの片隅で」をかけて貰った。 吉田拓郎の曲のなかでは、「イメージの歌」とおなじくらい好きな曲である。 夜の底できくと、魂がヒリヒリしてくる。(ってオーバーかな。) アコースティックギターがすごくいい。 今日は午後に俳人の山田佳乃さんが、ご来社くださった。 目下すすめている「京極杞陽の百句」の最終校正にいらしてくださったのだ。 これにはたいへん力を注いでくださった。 レンタカーを運転して来られ、校正をすませられてお帰りになられた。 昨日上京され、明日まで東京におられるということ。 新刊句集を紹介したい。 四六判ハードカバー装帯なし 174頁 二句組 俳人・友田喜美子(ともだ・きみこ)さんの第二句集である。友田さんは、昭和10年(1935)岐阜県生まれ、現在は静岡県在住。昭和57年(1982)「椎」(原田喬主宰)入会、平成2年(1990)「寒雷」入会、同人を経て、のち「暖響」へ入会。平成12年(2000)「欅」入会、同人。のち終刊。平成13年(2001)第1句集『九月』上梓。現在、「椎」「暖響」同人 静岡県幻術祭賞受賞 静岡県俳句協会理事 静岡県現代俳句協会会員。 句集『春の楊梅』は第二句集である。 平成十四年から令和三年までの句を自選した。 句集名・題字は 巨いなる春の楊梅友田家は 喬 入門一日目の句会を拙宅で開いた際に師より賜ったこの短冊から頂いた。 「あたがき」に書かれているように、句集名は、師・原田喬の句よりの命名であり、題簽としてその短冊よりのものを使用した。 友田家には、立派な楊梅の木があるのだろう。 本句集の最後から二番目に「楊梅」の句がおかれている。 人倚りて春の楊梅ととのひぬ 「楊梅(やまもも)」は、夏の季語。「4月ごろ花が咲き、実は夏に赤く熟す」と歳時記にある。「春の楊梅」とあるのは、花のことだろうか。「春の」という言葉が冠せられただけで、明るい陽光の下に咲く楊梅の花がみえてくる。 余談で申し訳ないのだが、なにゆえ「楊梅」と書いて「やまもも」と読ませるのだろか。「山桃」とも書くが、主なる歳時記など「楊梅」の表記が主季語となっている。だって「楊」を「やま」と読ませ、「梅」を「もも」と読ませるわけなので、わたしたちは仕事柄この言葉を経験しているからまあ、よめるけれど経験していないと、絶対読めないと思う。角川版俳句大歳時記によると、「その形、水楊子のごとくにして、味、梅に似る。ゆゑに名づく」とあって、それらしい由来が書いてあるけど、う~ん、すごく分かった訳ではない。しかしながら、「山桃」より「楊梅」の表記のほうが、なんとなく可愛らしい感じがあって、わたしはいいなあって思う。しかし、日本語で奥が深すぎるって思いません。 それはともかくとして、 本句集の担当は文己さん。以下は文己さんの好きな句である。 若水の小さき音して運ばるる 母となれるか鶏頭にふれてゆくセロリ噛むきのふのことの新しき 蟻たちの命丸ごと走りけり 雨が来る蛍袋を振りたれば 猫二匹女四人のクリスマス 若水の小さき音して運ばるる この句はわたしも好きな一句である。句集の冒頭におかれている。「若水」が季語。お元日の朝に一番に汲む水のこと。「若水」なんて心憎い表記である。この水を飲んだら若返るかも、なんて思わせるような力を秘めている錯覚に陥ってしまいそう。「新水」だったら直球な感じがするが、「若水」となると、なんとも命にふれてくるような何かがあってすばらしい命名だ。この句、その水が「小さき音して運ば」れていくこと詠んだ。何に使われるのか、誰が運んでいるのかなどは一切語られいないが、作者はその水音に耳をすましている。新年の朝まだきの粛々とした静寂さのなかで、新しい年のための水が運ばれていくのだ。小さき音であっても清新な音をたてている。それに耳をかたむけている作者の身心ともどもその水へと収斂していく。水音に焦点をしぼって新年を寿いでいる。 母となれるか鶏頭にふれてゆく この一句、わたしは読み過ごしてしまったが、こうして文己さんが好きな一句としてあげているのを読んで、おもしろい句であるとおもった。叙法がまずおもしろい。「母となれるか」とまずおいて、断定でもないところが、やや遠慮がちな関係性を示していて、しかし見つめる視線はあたたかくやさしく、その母となったかもしれない若い女性への思いをしめしつつ、その子どもを宿している身体が鶏頭にふれていく景を詠んでいる。鶏頭の花は弾力があって肉厚でけっして人間を傷つけるものでなく、また強靱さもあるので肉体がぶつかっても損なわれることもない。そんな肉体と鶏頭という物(もの)がふれあう感触をも想起させる一句である。 年ゆくやまだ濡れてゐる登山靴 これはわたしが立ち止まった一句。「登山」は夏の季語であるが、ここでは、冬山をあるいてきた登山靴のこと。大晦日の日に冬山登山から戻ってきたのだろうか、家族があわただしく新しい年をむかえる準備をしているなかやっと無事にもどってきたのである。雪山をあるいてきた登山靴はまだ十分に濡れていて玄関を占領している。忙しい歳末の準備で大わらわ、玄関を出入りするたびにその大きな濡れた登山靴が邪魔くさい、けど、無事にもどったんだからまあよしとしようか。この一句、「年ゆくや」という措辞、に対して登山靴がリアルな物質感をだしていて、年がゆきつつあるその時間をこちら側の旧年の時間へと留まらせているような錯覚(?)をも感じさせるようなところがおもしろい。濡れた重たい登山靴、それが行く年の時間をこちらがわに引き戻し停滞させている、「年ゆくや」と「登山靴」の間にはある断絶がある。家族たちは新しい年へむかって心がはやる、しかし、雪山へ心をのこしたまま靴の主は古い時間のなかにいる。そんな気配をも思ってしまう。好きな句だ。 校正者のみおさんは、 七日粥吹けばひとりにも戻りくる の句が実感があってとても好きです。 おなじく校正者の幸香さんは、 落椿脈搏少しづつ戻る 落椿が蘇りそうな迫力に惹かれた句でした 。 お二人が、「戻る」という語彙のある句を選んでいるのが興味ふかい。どちらも「われ」に関することだ。 第一句集『九月』上梓からはや二十年が過ぎてしまった。 平成十一年「椎」原田喬主宰が遠逝された。その後を継がれた九鬼あきゑ主宰より、ぼつぼつ第二句集をと背を押していただいた。 この大きな課題に戸惑いながら準備に入った矢先、主人が病に倒れ介護の為数年中断となった。主人を送り再び準備に掛り始めた時、九鬼先生が病に臥され、ご恢癒もならず逝かれて仕舞われた。 師原田喬は、句集は重ねる度に前回を上回るものでなくてはならないと厳しく言われていたことがここに蘇る。 全くの空白期間を経た感のある今、師の教えには程遠いものであるが、ここまで歳を重ねてこられた記録として纏めてみることに踏みきった。 俳句を続けてこられたのは、諸先輩方々の励ましと、多くの句友の皆様との出会いのお蔭であることに感謝致します。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 原田喬氏も九鬼あきゑ氏も、よく存知上げている俳人であった。 お二人がくらす浜松へは、何度通ったことだろう。ふらんす堂を始めて間もない頃、原田喬氏に呼ばれた。 強靱な精神力をもった方で、食道がんを奇跡的に克服し、師・加藤楸邨を敬愛し俳句においては厳しい指導をされていた。九鬼あきゑ氏がその原田喬をよくささえておられたのだった。お二人がたいへん質素に暮らされていた時のことが蘇る。おふたりともすでに鬼籍に入られた。懐かしさがこみあげてくる。 友田喜美子さんは、その原田喬に俳句を学んだ俳人である。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 題簽は原田喬。 装画は友田さんのご友人で画家の松浦澄江さん。 題簽、装画を巧くあしらってすっきりとした一冊になった。 装画を描かれた松本澄江さんは、 装丁がとても綺麗にできて、お手伝いさせていただいこと嬉しく思っています。 淡い緑と朱がきいていて、友田喜美子さんの若々しい着物姿を彷彿とさせられました。 友田さんは、ボブスタイルでセンスが良く、今小町でしょうか。作品もあとがきも、新しみと冒険があ り若々しくてぴったりです。 と文己さんにメールをくださった。 表紙は緑色布クロス。 題簽を型押しに。 見返し。 扉。 花布とスピンは、ご本人の希望で赤。 この赤によって華やかな一冊となった。 シンプルであるが堂々とした一冊となった。 句集を上梓されてよりのお言葉をいただいた。 句集発刊を終えて 俳句には全く白紙のまま、結社「椎」主宰・故原田喬師に入門して以来四十年を過ぎました。 第二句集などとおこがましいことですが、ここ迄続けてこられた纏めとして第二句集『春の楊梅』を刊行しました。 この作業の過程にあって、また終えてみて改めて基本に徹し、原点に帰ることを知る思いができました。私の俳句の原点はここにあります。 今は長寿の時代、昔の年齢の七掛けと云われています。そうなれば八十六歳・まだまだ長老などとうそぶいてはいられません。 私も今少し俳句にかかわっていこうと思います。仲間と連歌なども楽しみながら、自然のままに笑みのあるそんな句が詠めるようになりたいと思っています。 この句を編むにあたり多くの方のお力添えを頂き心より感謝申し上げます。 友田喜美子さん おもしろうてまだまだ死ねぬ柚餅子吊す 余談ながら、友田喜美子さんにお目にかかった日のことは忘れられない。 もう何年も前のことだ。「椎」の記念の会だったと思う。 友田さんは、お着物を召しておられたのだが、そのお着物が辻が花染めの見事なものだった。わたしの実家は呉服業を営んでいるので、この辻が花染めは目にすることがあった。安土桃山時代に一世を風靡し、あっというまに消え去り、ふたたびそれが現代に再現されるようになったということ、久保田一竹という作家がその再現に心血を注いだことなど母から聞いており、その一竹の着物なども見る機会があった。 その辻が花染めを見事に着こなしておられたのが、友田喜美子さんだった。 あれからお目にかかる機会がないまま年月が過ぎていったのであるが、こうして句集をおつくりさせていただくことによって、ふたたびお会いできたような思いがしている。作品世界にふれることによって更に深く友田さんを存じ上げたのでは、そんな思いがある。 ダイサギ
by fragie777
| 2022-03-16 19:41
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