カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
3月2日(水) 旧暦1月30日
白鷺と春の川。 飾り羽がレースのようで目を奪われてしまった。 この季節がいちばん白鷺が美しくなるときかもしれない。 写真は大鷺。 俳誌「ホトトギス」名誉主宰の稲畑汀子氏が亡くなられた。 享年91。 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 稲畑汀子氏については、忘れられない思い出がある。 ふらんす堂をはじめたころ、毎日新聞の俳句関係のお手伝いをしていたことがある。 「俳句」と題した雑誌を刊行するために、その協力スタッフとして微力ながら働いていたときのこと、新聞選者の俳人をインタビューしてそれを記事にするというのを担当した。朝日俳壇選者、読売俳壇選者、毎日俳壇選者の方たちが中心だった。加藤楸邨、飯田龍太、森澄雄、鷹羽狩行、清崎敏郎、沢木欣一などの俳人のところにカメラマンと行ってその場で取材をしそれを記事にまとめるというものだ。そのお一人に稲畑汀子氏がおられた。朝日俳壇の選者として。インタビューを申し込むと、ご上京されたおりに時間をつくってインタビューに応じて下さるという。わたしはカメラマンさんが運転する車にのって約束の場所にむかった。だがあろうことに、出発が遅れたうえにものすごい交通渋滞に合い、身動きとれなくなってしまったのだ。車のなかで大いに焦りそれはもうどうしていいかわからない、今のように携帯電話もない時代だった。真夏だったと思う。時間はどんどん過ぎていくのにどうしようもない。降りることもできない。結局のところ、一時間近く遅れてしまった。稲畑汀子氏は超多忙の方である。約束の場所につき、息せき切って駆けつけ、お顔をきちんと見られないような状態で平身低頭してお詫びを申し上げた。そしておそるおそる顔をあげると、なんとも涼やかなお顔をした女性がおられる。水玉の白いワンピースを若々しく着こなし、耳に大きなイヤリングをしてモダンな女性。いまでもその姿をありありと思い浮かべることができる。私たちが遅れたことにたいして、非難のことばはひと言もおっしゃらずおおように笑っておられる。(なんというお方!)わたしはかなり驚いた。そうして何事もなかったかのようにインタビューに応じてくださったのだった。その後、稲畑汀子氏にはなんどかお目にかかる機会があったけれど、その時のことなど忘れておられるだろうと思い、申し上げることもなかったのだが、わたしはお目にかかる度にあの水玉のワンピース姿の若々しい稲畑汀子氏が蘇るのである。そうだ、あのインタビューでご自身で芦屋から車を運転をして東京にいらしたってうかがい、なんとカッコイイのだ、と、そう、そのことにもわたしは感服したような気がする。 新刊紹介をしたい。 A5判ハードカバー装帯有り 184頁 著者の田中佑季明(たなか・ゆきあき)さんの第5詩集である。1947年東京生まれ、現在は福島県いわき市在住。肩書きは、作家、詩人、随筆家とあり、たくさんの著書を上梓されている。写真集も上梓され、写真展を開催されたり、舞台監督や朗読をされたり多彩な活動をされている。お姉さまは詩人の田中佐知。 「あとがき」を紹介したい。 この度、第五詩集『華化粧』をふらんす堂より刊行する運びとなった。 三章から構成される本詩集は、次の通りである。 第一章は、東日本大震災の回想及び介護などを含む一六編から構成されている。 第二章は、さまざまな香りを放つ、花を中心に纏めてみた。 第三章は、カミーユ・ゴッホなどの芸術家達も登場する。スペインの闘牛士及びフラメンコ、アルゼンチン・タンゴなども詩にしてみた。バラエティーに富んだ作品を集めてみた。 今回の詩集は、令和三年九月初旬から書き始め、九月末には書き上げた。介護の傍らの創作活動は厳しい面も多々あった。限られた時間の中で、深夜・早朝・空いた日中の時間と不規則な時間の中で生まれた作品である。敢えて弁解が許されるのであるならば、時間をかけ推敲を重ねれば、より優れた作品を残すことが出来たであろう。しかし、時間との戦いで前へ、前へ進むしかない焦燥感に駆られる私がいた。 お母さまは、作家の田中志津氏。そのお母さまを14年以上にわたって介護されている田中さんであるが、時にはお母さまとともに亡くなった姉・佐知の思い出をたどって旅に出かける。そんな詩の一節を紹介しておく。「介護」より。 本島・石垣島・竹富島をめぐる。姉の佐知が雑誌社の仕事で出かけた島である。 同じ島に足を踏み入れ、同じ土地に立つ。感慨深い。 エメラルドグリーンの海に浮かぶ、宝石のような竹富島。 牛車にゆっくりひかれ、時間の緩やかさが身に沁みる。 南国の柔らかい南風を受け、ハイビスカスの花が揺れている。 台風に備えて家を囲む、垣根の防風林。屋根の上には魔除けのシーサー。台風 と対峙する村人たち。 民宿では、夕月の下、庭で泡盛を飲みながら若者が蛇味線を弾いている。物悲 しい調べが、生暖かい夜空にゆっくりと流れている。 親子で、姉・佐知の想い出の島を訪ねた。 夢幻の世界。 姉がどこかで、優しく、母子(ははこ)を見守っているような気がした。ほろ苦い旅の終 止符。 本書の担当は文己さん。 文己さんの好きな詩の一節を紹介したい。 「命の水」より。 砂の王国の 哀れな崩壊 現実の世界から 逃避を考えても 逃げられない 蟻地獄 怒号と 悲鳴 負の連鎖 不条理の 世界が暗闇に支配して広がる 正義はあるのか あるのであれば 温かい この手のひらの上に ちっぽけでも良い のせて 見せて欲しい 田中佑季明さんの表現することへの情熱はまさに疾風怒濤(シュトルウム・ウント・ドラング)のごときであった。草稿が次から次へと送られてきて、そのやりとりのなかで詩集の製作はすすめられた。 刊行された詩集は、恐ろしいことに何時までも残ってしまう。本来、妥協を許さずに自分なりに納得し吟味された詩集を刊行するのが当然であろう。それは礼儀作法として、読者に対しても採るべき姿勢だろう。残念ながら、今回の詩集は超スピード感覚で走りながら書いてしまった作品である。 「あとがき」にこう書かれている田中佑季明さんである。 本詩集の装丁は、君嶋真理子さんであるが、カバーの装画は、田中さんのお知り合いの画家・岐部たかし氏。 表紙は紙クロスに金箔押し。 扉の絵は、ご友人の宮島亜紀氏。 本文。 48篇から成る「蕾」は 固い実をつけ 鮮やかに 華ひらくのであろうか? 言魂の集積は、変幻自在に限りなく時空を飛翔する。 帯に記されたことばである。 我が人生 俺の人生 ユトリロの 白の時代 白い世界が支配していた 純白から 無垢な 白ではなく 時代と共に 意に反して 少し濁ってきた やがて ピカソの 青の時代を 迎える セザンヌの 青ではなく マチスの 青でもない どんな青だ ミロの青に 黒を混ぜた 俺の青だ 年を重ね 俺のカンバスはシュールに 塗り替えられてゆく 理性を排除 夢や幻想の 潜在意識を追求 表現する サルバドール・ダリの カイゼル髭となった この詩に現在の田中佑季明さんがおられる。 わたしの好きな詩である。 とくに、この最後の詩行がとても気にいった。 サルバドール・ダリのカイゼル髭の田中佑季明氏。 上梓後のご感想をいただいているので紹介をしたい。 雑感 この度は、ご縁があって「ふらんす堂」より第五詩集『華化粧』を刊行することになった。装丁・帯府・挿絵.紙質など含めて、詩は別としても、総合的に大変満足のゆく一冊となった。関係各位の皆様には、感謝申し上げたい。 私は退職後、五年ほど経ち、六五歳になってから、自己の作品に取り組めるようになった。それ迄は、五九歳一〇か月で亡くなった、詩人田中佐知の随筆集・遺稿集、現代詩文庫及び全集などの刊行に力を注いできた。また、今年一〇五歳を迎えた、作家の母田中志津の随筆集・短歌集・全集にも尽力してきた。即ち、優先順位を付けて作品に向き合った。ある程度目途がつき、自身の仕事にやっと、手を付けられるようになった団塊の世代である。 写真集・随筆集・小説・詩集など累計一七冊を刊行してきた。詩については、まさか、自分が詩集を刊行するなど予想もしていなかった。自分には、姉田中佐知程の才能がないことは、自分自身が一番熟知していた。それにもかかわらず、何故詩を書いているのか?自分でも不思議に思う。 己の心の片隅にある、仄かな燃える炎を呼び起こし、乏しき感性を奮い立たせて、言葉に置き換えてみる。ある種の快感を覚える。それは自慰行為なのかもしれない。日記とは違う、その時の心の移ろいを、対象物に短い言葉で、文章に転写する。洞察する視座は、軌道修正を繰り返す。支離滅裂の文字の羅列が踊る。これは現代詩ではない。エセ現代詩でもない?個人でそっとしまっておくべきか?公にして良い物だろうか?その詩に、人の心に感動を与える詩であれば、価値があろう。無ければただの廃棄物だ。廃棄物の中から、時々ぴかりと光る掘り出し物が見つかる時がある。社会的価値観の多様性で、詩を認めてくれる者が一人でもいれば詩人としては嬉しいが、商業ベースとしては成り立たない。 詩は、小説よりも短い文章でひとつの詩を完結できる。実は、短かければ短いほど難しさが付きまとうものである。洪水のように氾濫している言葉の渦の大海の中から、言葉を取捨選択して、適切に掬い上げて選ぶ。簡潔に詩行を埋めて、人を感動させる作業は、容易なことではない。全体を見つめ、言葉の前後左右に目配りして詩行を紡ぐ。縦糸横糸がずれる時がある。 多くの詩人たちは、ひとつひとつの言葉に対して真摯に対峙して言魂を生み出す。本来、推敲に推敲を重ね、語彙を選択して、これでもかと、究極的な美学を詩に求めるものであろう。そう考えた時、果たして己の詩はどうなのかと問うた時、羞恥心で一杯だ。己の負のバックグランドを露呈することは、得策ではないことは、充分承知済みだ。このことを戒めとして、次のステップに進むことを考えれば、その代償は、大きくないだろう。しかし、懸念することは、推敲に推敲を重ねた結果、桝目を一文字も埋められない恐怖感を懸念する。白紙の原稿用紙に向かう時、目の前に果てしない勇壮な世界が広がる。勇壮な世界観と、言葉が乖離して空回りする。最初の一行どころか、一文字が書けない。体中から冷や汗が湧き出てくる。そんな幻想を抱く。お前には、白紙の原稿が、最高傑作だと言われないためにも、喘ぎ苦しみ格闘する。時に言葉を胃から吐き出し、牛の如く飲み込んでは吐き出す。言葉の輪廻の世界に導かれる。 今後は、世界を見つめて、絵・写真・映画・芝居・朗読など、クロスオーバーした世界観を展開して、表現したい。人の力・協力を得なければ、達成できないことも多かろう。 何時の日か、人類を救える詩を書きたいものだ。永遠のテーマだ。 「詩の方は今回でしばらく休止したい。今後は、小説に取り組みたい。」と「あとがき」に書かれている。 表現意欲をおさえることができないほど溢れ来る思いをおもちの田中佑季明氏である。 そのすばらしいエネルギッシュさに脱帽である。 ブログをご紹介しておきます。 さらなるご健筆をお祈り申し上げたいと思う。
by fragie777
| 2022-03-02 19:37
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||