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2月26日(土) 旧暦1月26日
春うららかな休日となった。 午前中にちかくの丸池公園まで自転車を走らす。 良いお天気だ。 ちらほらと家族連れがいる。 シャボン玉をとばしている母と娘。 (わたし、母親とこんな風にシャボン玉をとばしたことなんてなかったな……わたしたちの時代って親と子がこんな風に向き合って遊ぶってあったかしら。)ふっとそんなことを思ったりして。 ぶらぶらと歩いていくと目の前の大きな木に動くものが。 目白だ。 近づいても逃げようともしない。 可愛いし、わたしを怖がらないのでバシバシ写真を撮らせてもらう。 わたしをじいと見る。 目白の目って、シールを貼り付けたみたいだ。って思った。 たくさんの写真を撮らせてもらった。 なんとも綺麗なみどりの身体。 これは梅の花にいた目白。 さかんに梅の蜜を吸っている。 目白を見ていたら、鵯がやってきた。 やはり蜜を吸っている。 鵯がさかんにわたしの前にやってくる。 わたし、鵯に好かれたかもしれない、って思ったほど。 行く手行く手に飛んでくる。(写真を撮って、って言うように) これも可愛いでしょう。 仙川は菜の花が咲き、白鷺があっちこっちにいた。 レースのような羽を春風になびかせて。 これはどうやらわたしらしい。 こんな写真を撮った覚えはないんだけど、、、 ちょっとマンガチックで面白いのでアップしてしまおう。 水に映っているのかしら、なんでこんなにキラキラしてるんだろう。 不思議な一枚。 写真を撮っていると覚えのないヤツが出てきたりしてそれが面白い。 これはiPhoneのカメラで撮ったということだけはわかっているのだが、。。 午後からは仕事場で仕事。 いただいていた原稿を読んで、メールでその感想の返事をする。 今日は、田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』より、今日の日付のものより。鑑賞は田中裕明さん。 下萌ゆと思ひそめたる一日かな 松本たかし 冬枯れの地面のそこここから、草の芽の萌え出づることを下萌という。古くはひそやかに思い焦がれる意味にも使ったことばだとも聞く。 いつしか野や庭に、また思わぬところに草の芽がすでに青々としていることに気づく。春先のある日、今日初めて下萌に気づいたというのである。 作者松本たかしは明治39年(1906)東京神田猿楽町の宝生流能役者の家に生れた。14歳で得た病気のため能に生きることを諦め、高浜虚子に学んで俳句を作った。掲出句は20代の作、『松本たかし句集』所収。この作品のつぎに「病床に上げし面や下萌ゆる」という句がある。そうであれば掲出句も、胸の病気で床についていた時期のものだろう。実際に庭に草の芽が萌えているのを見たというのではないかもしれない。冬の間から病臥していて、いつしか日の光にも春がやってきたことが感じられるようになった。天井を眺めながら外界の春を感じ取って、つぶやいた句。変化のない病床の日々に、小さな緑いろを点じたよう。(下萌・春) 今日は、丸池公園を歩きながら、まさに下萌えを身体で感じ取った半日だった。 今日の雀。
by fragie777
| 2022-02-26 20:24
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