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2月8日(火) 旧暦1月8日 深大寺で売られていた黄水仙。 春の色だ。 そして、これは深大寺にいた鴉。 春の色である。 ええっ!! ハシブトカラス。 今日は机の右側に積まれていたものに気づいてちょっと覗いてみた。 右手がいやにむずむずするのね。そうしたら、 あら、いやだ。 返事を書かなくてはいけないものとかいろいろとある。 丁寧な手紙をそえて送ってくださったものとか、すっかり忘れ去っていたものがぞろぞろと出てきた。 30センチ以上山積みになっていたものをすこしづつ減らしていく。 大分右肩が涼しくなってきた。 そんな積み上げられていた中から、俳句総合誌「俳句」一月号が出て来た。 もう二月号が届いているのだが、わたしは初めて手に取るようにみた。 深見けん二先生の追悼号となっているではないか。 深見先生の笑顔満載の写真がたくさん載っている。 追悼を宇多喜代子氏、100句選を山田絢子氏、人と作品を岩岡中正氏、そして鑑賞鑑賞を深見先生とご縁のふかかった俳人の方たちが寄せている。 「深見けん二遺作一五句」も収録してある。 今更気づくなんてお恥ずかし次第だが、すこし紹介しておきたい。 宇多喜代子氏は、追悼のなかで金子兜太の俳句に言及しながら、こんな風に書かれている。 濃厚な金子兜太の俳句に接して、そのあとに深見けn二さんの俳句を読むと、脂っこい料理のあとの一杯の水のような納まりのよさを感じさせる。金子兜太の俳句からは躍動感ある言葉の力を受けるが、まさに対照的だとも言える深見けん二の俳句には事々しさがなく、淡い表現のなかに滋味があり、読者の体内の納まるところに納まるという力がある。字引を繰らなければわからないような言葉はついぞなく、誰が、どこで、何を、そんなことを模索しなくてはならないような厄介な句は、まずないのだ。それでいて一句になかに、不必要な言葉はなく、書かれていないその背後周辺が静かに見えてくる。そんな俳句である。 100句選をされた山田閏子氏は、「清廉な生涯」と題して、 けん二を知る誰もが俳句はもとより、その人柄に魅せられた。それは他人の痛み悲しみを、我が事として受け入れ、人に対して常に誠実であり、俳句以外に全く無欲の人であった。ホームでもスタッフの人々に慕われ、正にその生涯は、清廉という言葉以外に喩えようがない。 岩井中正氏は、敬愛の念をこめて深見けん二という俳人を語っておられる。岩岡氏をわたしにご紹介くださったのは、深見先生だった。岩岡氏の第一句集の上梓を深見先生が懇切に薦められてふらんす堂にご縁をいただくことになったのだった。けん二論のなかで、⑶良きトリビアリズムの箇所の前半のことろだけ紹介しておきたい。 他方、この右に述べた御性格からはやや意外だが、先生が他の人の作品や人柄についての評価は、ときに鋭く容赦ない。その省略を尽くした明快な作品と同様、その議論も主張も信念に満ち、少年のようだった。その議論も、理屈を重ねるというのではなく、ズバリと本質を衝くもので、こうした直観から真理に迫る方法に先生の真骨頂があった。とくに「神は細部に宿る」というが、一見何気ない些事から切り込んで、「詩」にする鋭さがあった。(略) この岩岡氏が書かれていることは、わたしも思い当たることがある。よくお電話をくださって俳句のお話をされたが、納得しない論などは、語調するどく否定されることなどがあり、けっしてそれでよしとすますことはされない方だった。わたしのような一編集者に対しても、ご自身の意見はきっぱりと語られる。それは常に直球であり、カーブや変化球ということなく、ずぼっとお腹の底に打ち込んでくる、そういう力ある言葉だった。 もうそういうお電話をいただけない、ということが何よりもさびしい。 生涯を福島生れ地虫出づ けん二 なんだか間の抜けた紹介となってしまったが、深見先生は、きっとyamaokaらしいと天上で笑っておられるだろう。 わたしの机の右方向はだいぶ先が見渡せるようになったが、まだまだ返事を書かなくてはならないものが残っている。 右が終わったら今度は左方に積み上げられているものにとりかかる予定である。 二月はあっという間に終わってしまうだろう。 心せねばならない、のよね。 わが家のギャラリー。 と言っても階段の一角。 一番上の絵が曲がっていたので、先日それを直したのだがまだ曲がっている。 牛尾篤さんのエッチングだ。 牛尾さんはお元気だろうか。
by fragie777
| 2022-02-08 18:57
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