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1月29日(土) 旧暦12月27日
暮れてゆく今日の空。 暮れてゆく欅。 暮れてゆく水鳥。 暮れてゆく仙川。 今日はおおいに朝寝坊をし、郷里の叔母からの電話で起こされ、昼まで家でぼんやりと過ごし、やおら自転車にのってぼんやりと仙川の街に行った。それから武者小路実篤公園にひさしぶりに行ってベンチに座ってぼんやり過ごし、その後仕事場に行って仕事をするでもなくぼんやりと過ごし、夕暮れになったので買い物をし、ぼんやりと自転車を漕いで家に戻ってきたのだった。 ぼんやりと一日を過ごすことも、悪くない。。。 今日は山口昭男著『波多野爽波の百句』より。 冬空や猫塀づたひどこへもゆける 波多野爽派 爽波は昭和四十年「青」一月号でこの句に対して物言いしている。その中で面白いのは「おおよその批評は単に冬空と猫の柔軟な姿態との感覚的な点だけを捉えているのですが、僕としてはこの句の裏に庶民的な生活感情が潜んでいる筈だ、そういうものは感じとって貰えないのかなというそういう点ですね」ともらしている。訴えたいことはわかるが、感じ取ってもらえないのは仕方がない。この句は猫の自由さしか描いていない。そこがよいのだが、その裏にあるとされている生活感情を第三者に感じさせるのは難しい。 山口昭男さんの爽波の自解に対する見解が面白い。「庶民的な生活感情を感じとって」欲しい爽波の思いに対して「感じとってもらえないのは仕方がない」とあっさりと切り捨ててしまっている。山口さんは「猫の自由さしか描いていない」とし、そこがいいとしている。その通りだと思うが、「塀づたひ」でどこにでも行ける住宅の構造って、なかなか高級住宅街では無理なんじゃないだろうか。猫が「塀づたひ」に気楽に行ったり来たりする人々の庶民的な暮しの風景が背後にあることを爽波は云いたかったのかな、って、このブログを書いていて思った。 いちおうブログを書いた。 ので、 ふたたびぼんやりに戻ろうっておもってる。 これは夕方のわたしの自転車の買い物籠。 今日はトップスのチョコレートケーキを食べることをわたしに許したのだった。
by fragie777
| 2022-01-29 19:57
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