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1月25日(火) 水沢腹堅(さわみずこおりつめる) 旧暦1月23日
裸木。 合歓の木である。 今日は寒い一日となった。 夜は雪になるかもしれない、ということで、スタッフの文己さんは先ほど帰っていった。 こういう日ははやく帰るにつきる。 とはいえ、わたしはこのブログを書いてからじゃないと帰れない。 雪よ、 わたしが帰るまで降らないでくれー! いま全力で念じたので、大丈夫かと。。。 などと言ってないでブログを書こう。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 178頁 二句組 俳人・松下道臣(まつした・みちおみ)さんの第四句集となる。松下道臣さんは、昭和16年(1941)東京下谷の下谷稲荷町の下町生まれ、現在は浅草に暮らしておられる。「歯車」「暖流」「雷魚」を経て、昭和9年(1996)「萱」創刊同人となり、現在は「萱」同人。現代俳句協会会員。既刊句集に『まんまる』『足形』『憤怒』。本句集は2018年から2021年までの作品を収録したものである。 『まんまる』『足形』『憤怒』につぐ小生の第四句集である。俳句の出来栄えよりも四年間経った事を慶んでいる。おそらくこれが最期の句集であろう。春(二月・三月・四月)夏(五月・六月・七月)秋(八月・九月・十月)冬(十一月・十二月・一月)に配列したので実際とはずれがある。忌日の句が多いが死と言うことが頭から離れなかったからだろう。しかし即かず離れずの訓練にはなった。 「あとがき」である。ご本人が書かれているほどには、忌日の句は多くないが、「マイケル・ジャクソンの忌日」の句などもあってユニークである。そんな忌日のなかでつぎの二句は、いかにも下町に生まれ下町に生きた松下道臣さんらしい俳句だと思った。 夕めしはきのふのカレー荷風の忌 路地裏はむかし遊び場傘雨の忌 永井荷風、久保田万太郎、ともに下町を愛した作家である。そしてまた彼らが生きた下町の風景は松下さんにとっても懐かしいものなのである。 この句の前後に、 駄菓子屋の客にをぢさん昭和の日 玩具めくローカル電車麦の秋 そはそはすとぎれとぎれの祭笛 という句があって、それも下町の生活から生まれたものだ。失われ行く下町の風景とその情緒がそこはかとなく漂ってくる句集である。 五回目の春となりたる金魚かな 留守にするぶだう畑に鍵かけて あらたまの畏まりたる膝がしら 春雨の音のかはりし二十五時 タートルネック漸く抜けて冬に入る 父の日の肴一品おほかりし 担当の文己さんの好きな句である。 春雨の音のかはりし二十五時 わたしもこの句は気になった一句である。なぜって「二十五時」という言い方にいったいこんな時間があるのだろうかと首をかしげた。わたしがモノを知らないだけなのかもしれないと辞書を引いてみたところ、広辞苑には載っていなかった。インターネット上でしらべたところ、「午前1時」とあって、つまりは真夜中1時のことらしい。「春雨の音」が変わったのに作者は真夜中の1時に気づいたのだ。眠れなかったのだろうか、それとも音の変化に目覚めて時計をみたら夜中の1時だったということか。「午前1時」と表記したら報告的なつまらない一句となってしまうだろう。「二十五時」と表記することによって、人間の日常の時間をはみ出してしまい不思議な時間の世界に入り込んでしまったような感覚が出現する。春雨の音の変化によって呼び起こされた異空間の暗闇、しっとりと濡れたような暗闇、なにかが息づいているのだろうか。すべてはこの「二十五時」から始まるのだ。 タートルネック漸く抜けて冬に入る タートルネックはセータ-のことだろう。首をまでものだ。実はわたしも今日はタートルネックのセーターを着ている。首を覆ってくれるからあったかい。しかし、首のところが急激に細くなっているので、頭がデカかったりすると、目をつむって息をころして首をださねばならない。わたしは今朝このタートルを着るのに、後ろ前逆に着てしまって、あれっ、なんか変だぞと思い、ふたたび脱いで着直したのである。だから二回も細いところを潜ったのだった。首が敢然に抜けるとヤレヤレって思う。作者の場合、首がぬけたときに冬に入ると実感したのだ。時候の季語をうまく用いてこの時期の季節の感触を詠んでいる。トンネルを抜けて雪国ではなくて、タートルネックを抜けて冬というのが、小説「雪国」を思い出させて面白い。 観覧車すべて空席梅雨に入る これは情景がよくわかる一句だ。梅雨にはいったどんよりとした景気のわるい空模様だ。遊園地も閑散としている。観覧車はまわっているが誰も乗っていない様子だ。人の乗らない空っぽの観覧車が鬱々とした空にむなしくまわっている。梅雨空のしめった重たさがそのまま観覧車にのしかかるようであり、人を乗せていない観覧車は空っぽであっても実は重たい沈黙を運んでまわっているのである。 水中に日影のありし金魚かな この水中は、金魚鉢の水中なのだろうか。あるいは池か。と最初を思ったが、どちらでもいいのだ。金魚鉢だとしたら、淡い日の陰りのようなものが生まれてそこに色鮮やかな金魚がみえてくる。池の中であったら日の当たらないやや暗いところがあってそこを金魚が泳いでいる。この句の面白さは、「水中に日影があ」るというのは、それほど珍しくないし当たり前のことかもしれないのだが、それをあえて言ってそこに「金魚かな」と金魚の姿を現出させたことだと思う。水中の日影と金魚、この一句によってそれが際だった景色となったことだ。 校正スタッフの幸香さんの好きな一句は、「芝焼く火警察犬のごと進む」。「確かにそうだと納得させられてしまう比喩で、たいへん惹かれた句でした。」 おなじく校正スタッフのみおさんは、「水中に日影のありし金魚かな」「この句がとても好きです。」(あら、みおさんも、、、、、) 句集名は 書初の感謝の二字は選びし字 から採った。 八十歳の声を聞かれたのは他力を借りたからだ。先ず妻に感謝、長男・長女にも感謝、それぞれの伴侶にも感謝、二人の孫娘にも感謝、小生を支えてくれた全ての人に感謝をして、そんな素晴らしい人々との出会いを演出してくれた病気にも序でに感謝。 「あとがき」にこう書く松下さんは、書初に「感謝」という字を書かれたのですね。そしてその感謝の二字の「二字」を句集のタイトルにされたということは、この句集を読むと、その二字が感謝という言葉であり、つまりは、この句集は「感謝」という思いを内包している句集なのである。 「『憤怒』のときの装丁が好きだったので色を換えてみた。」と「あとがき」に記されているが、本句集の装釘は著者のご希望をそのまま君嶋さんがデザイン化したものである。前回もそうであったが。松下道臣さんには毎回装釘へのこだわりがあって、それは妥協を許さないものなのである。 銀箔も著者のこだわりである。 帯は鮮やかな赤。 帯をとるとモノトーンとなる。 見返しはブルー。 表紙のクロスは「墨色」 渋くていい色である。 箔はあえて黒メタル箔。 扉。 花布は赤。 栞紐は紺。 冬怒濤近付くたびにふくらみぬ 「衰えを表現するのは難しかった。それと恰好をつける自分がいたので勇気も必要だった。身体の自由が少しずつ失われて行くのを支えてくれた多くの人々にありがとうを言いたかったので本句集を編んだのである。お陰さまで希望を持つことができた。」(著者) 句集刊行後のお気持ちを伺ったところ、 2022年の4月号で「萱」が終刊になるが、それ以後もあったつもりで句作にはげ み、一句でも皆様の記憶に残るように続けたいと思っています。 とのお言葉をいただいた。 春を待つ腕立て伏せの腕立てて 道臣 句集最後におかれた一句である。「すこしでも前向きの姿を見せたい」と素晴らしい心意気の松下道臣さん。 ことし81歳になられる。 雪はまだ降っていないようだ。 さあ、急いで帰ろう。。。
by fragie777
| 2022-01-25 18:36
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