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12月13日(月) 正月事始め 旧暦11月10日
さまざまな色に枯れていく木々。 神代植物園の木々である。 この近くに、渋い枯れ色の木があった。 華やかな色に枯れていく木々のなかで、とても落ち着いたいい色である。 草木染めにあるような色だ。 いい色でしょう。 なんという木なのかしらんと、根元をみたら札がたっていた。 「ヤマコウバシ(山香し)」とある。クスノキ科であると。 各地の山野にはえる、高さ5メートルの低木です。冬になっても落葉せず、翌春まで葉が残るため目につきやすく、葉や枝を傷つけるとクスノキ科特有の香りがあります。種子より香油の原料をとります。 と解説があった。 そうか、落葉をしないから色も枯色となっていくのか。 「ヤマコウバシ」なんていい名前だなあ。。。 またひとつ新しい木を知った。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 176頁 2句組 著者の河野奎(かわの・けい)さんは、昭和18年(1943)東京生まれ、現在は横浜市在住。平成21年(2009)俳句を独学で学び始める。その後俳句通信講座、俳句カルチャー教室、地区センター俳句講座等々の学びを経て、平成28年、(2016)「天頂」に入会し、波戸岡旭に師事。現在に至る。本句集は、平成24年(2012)から令和3年(2021)までの作品を収録した第一句集である。序文を波戸岡旭主宰が寄せている。抜粋して紹介したい。 熊笹をしばく夕立や山刀 覇気のある句である。おそらく作者は夕立が来る直前まで、山刀でなにか作業をしていたのであろう。「しばく」は、やや俗語的なことばで、細い棒や鞭などで強く叩くという意味だが、この句では、作者が熊笹を「しばく」のではなく、夕立の雨脚が激しくつよく打つさまを「しばく」と詠んだのである。一句は、その突然の夕立によって、青々とした清冽な山気の立ちのぼるさままで彷彿させている。また、座五の「山刀」によって、全体の時空が定まり、生活感が滲み出た。夕立に濡れた山刀を手に持ち佇む作者の強い覇気までが伝わってくるのである。 (略) また、河野さんは、非常に研ぎ澄まされた感性の持ち主でもある。 初蝶のステンドグラスより出づる 明易の甚兵衛鮫の口の夢 物音に濁音のなく秋深む これらの句には、あるいは、「現代詩人」としての河野さんの顔が、それとなく見えているようにも思える。 今は、人生百年時代。我ら七十代・八十代はまだまだ人生途上の人といえる。 河野 奎さんは、他にもいろいろと優れた素質や特技がある方と思われるので、これからの活躍がますます楽しみである。一層の精進を希望して、擱筆する。 俳句に出会うまでに、河野奎さんは、長い間詩を書いてこられたと「あとがき」に書かれている。20代の頃には同人誌に投稿をされたりして詩作を心の支えとされてきたとある。俳句と出会い、俳句に目覚め、俳句に夢中になり、そして思うところがあってこの度の上梓の運びとなった。師である波戸岡旭氏は、句集上梓の話をご本人から聞いて、まだ早いのではないかと思ったが、句稿に目をとおした結果、「それらの作品は、概ね地味ながらも、どの句もその句柄や句境から、河野さんの個性的な詩質や温和な人柄がそれなりによく窺えるものであった。それで、これなら句集が編めると確信した。」と序文に記している。 春星や子の組み立てし望遠鏡 早春や色鉛筆の黄を削り水温む妻を呼ぶ声裏返り 声とほる算盤塾や夏燕 初蝶のステンドグラスより出づる バス停に春泥の靴並びをり 担当の文己さんの好きな句である。 初蝶のステンドグラスより出づる この一句は、波戸岡旭主宰も帯の推薦句のなかに入れておられる句である。「初蝶」と「ステンドグラス」の取り合わせに惹かれる一句ではある。この句を読んでわたしが想起したのは、大きな教会の礼拝堂のステンドグラス、そこより日が入り込んで暗い教会の内部を照らしている。そこに一匹の初蝶が迷い込んだ。ステンドグラスの光をよぎる初蝶。光も初蝶もまぶしい。ステンドグラスは硬質な輝きをし、初蝶はあくまでやわらかくすこし心許ないように舞っている。その初蝶はまるでステンドグラスから飛び出てきたかのよう。こんな風に解釈したのだが、どうだろう。「ステンドグラスより出づる」と断定しているが、実際はそのように思えたということなんだと思う。それをそう詠んだところに詩が生まれた。 バス停に春泥の靴並びをり この一句はわたしも好きな一句である。いかにも春先の水温むころの風景だ。人間をみないで足元だけを見ているところが面白い。バス停までけっこうぬかるんでいるのだ。男性の靴も女性の靴も子どもの靴も、一様に泥だらけ。みな難儀してあるいてきたんだろう。出勤前のあるいは登校前のバス停の一風景である。コロナ汚染まえのリモート体制などまだ知らぬ勤勉なる日本社会の一風景を詠んだ句なのかもしれない。 水温む妻を呼ぶ声裏返り 面白い一句。あたたかくなりつつある春先のある日、なにかを告げたくて妻を呼んだ。予期せぬことに思わずも声が裏返ってしまった。という句。きっとよき関係をたもっているご夫婦なんだと思う。「水温む」という季語によって、その関係が緊張関係にあるのではなく、もっと穏やかな信頼関係にあることがわかる。身体が春になって緩んできて、いつものように妻を呼んだところ、おもわずも裏声を発してしまったのだ。そのことに自身もおどろき、面白くもおもい一句となった。傍で見ていても笑える一句かな。 三男が後継ぎとなる栗の花 おしまいから三句目におかれた句。この句はわたしが好きな一句である。好きというのか、あまりにも直球の一句であるところに興味をもった。なんと言ったらいいのか、これはご自身の家業のことを詠んでおられるのだろうと思うが、ただ、この一句では、なんのお仕事なのかは分からない。長男でも次男でもなく三男が家業をつぐことに決まった。それはちょうど栗の花の咲いている時期であった。ということであった、と言ってしまえばそれまでであるけど、この「栗の花」が語るものがある。夏の季語である「栗の花」は、一度見たらわすれられないくらい旺盛に咲く。そして独特の匂いを放つ。決していい匂いとはいえない。「跡継ぎ」が決まるまできっと紆余曲折があったに違いない。長男、次男はそれぞれの道をあゆみ、三男が引き継ぐことになった。ヤレヤレである。なんとか頑張ってほしい。そんな三男にエールをおくる作者の心は栗の花の生命力を思った。栗の花は美しいという形容からはほど遠い花だ。しかし圧倒的な存在感がある。三男さま、がんばれ。 校正者のみおさんは「〈露座仏に二日の雀砂浴びす〉の句が好きです。」 一方、幸香さんは、〈花種を蒔くや指先ゆるくして〉「『ゆるくして』に惹かれました。春らしい措辞で、土の匂いもしてくるようです。 」ということである。 著者の河野奎さんは、俳句にいたるまでの経過を「あとがき」で丁寧に語っておられる。ここでは、河野さんが「座右の銘」としておられるものを紹介するにとどめたい。 ところで、私の座右の書のひとつ、本居宣長著『うひ山ふみ』に、 詮ずるところ學問は、たゞ年月長く倦(うま)ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、學びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也。いかほど學び方よくても、怠りてつとめざれば、功はなし。 ………… 又、晩學の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり。 とある。今、私は、宣長のこの「倦ずおこたらず」という言葉を身に染みて感じている。俳句の基本である「多作多捨」の意味合いも、年毎に変わって心に響いてくるように思う。ただやみ雲に多作し多捨をしても上達するはずはない。俳句を詠めば詠むほど、学べば学ぶほどその念が強くなるばかりである。つまり、私にとっては、「多作多捨」という言葉の奥行きを感じ続けることが句作のための大事な心得ではないかと思うのである。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 句集のタイトルは、〈穂芒を抱へ市バスの後部席〉より。 「後部席」という、装釘にするにはどう処理したらよいか、ややイメージしにくいものを君嶋さんは、面白いデザインで表現した。 タイトルは、ツヤ有りの銀箔押し。 表紙。 扉。 扉とカバーの用紙はおなじもので、やや光沢のあるもの。 河野奎さんは、この先、かならず大きく飛躍し、ものの本核を摑んだ、スケールの大きい「河野 奎俳句」の世界を拓いてゆく人だと、私は確信している。(波戸岡旭・序文より) 本句集を上梓された河野奎さんに上梓後のお気持ちをうかがってみた。 句集出版を思い立ったきっかけ(差し支えなければ・・) 十代の始めに当時の先生および母親から自作の詩を褒められた事がありました。その時の感動をずっと持ち続けて相当年月に亘り試行錯誤を繰り返しておりました。ある年代からは約八年間ほど仕事もせずに図書館通いもしておりました。 その様な中で俳句と出合い波戸岡先生と出合う事が出来ました。この事が切っ掛けで句集をまとめたいと考えるようになった訳です。 句集をおまとめになってみて改めて感じたこと、見えてきたもの 出版のプロの方の手に掛かると驚くほどの速さと的確さの中で出版が手順良く進められる事に感動いたしました。何故もっと早く出版に思い切らなかったのかとも思いました。 しかし何事も「縁の力」です。これ迄もこれからもこの「縁の力」を信じて進んでまいりたいと思います。 今後の河野様の俳句活動、方向性について 文章について言えば私が目指していたのは「短編小説」でした。それが今は俳句にどっぷりと浸かっております。 今後は年齢を度外視した上で思うことは・・ 世界最小の短詩形の中に如何に自分を生かす事が出来るかに取り組みたいと考えています。 またこれ迄書き溜めた詩の発表にも目が向けられれば又その様な余裕があればその様にもしたい。 河野奎さん。 河野奎さま。 句集のご上梓、おめでとうございます。 素晴らしいご決断だったと思います。 このご縁を大切に、これからもよろしく御願い申しあげます。 湯豆腐の体の芯を慌てさせ 奎 神代植物園にいた鵯。
by fragie777
| 2021-12-13 20:10
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