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12月8日(水) 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる) 針供養 納めの薬師 旧暦11月5日
わが家の令法(りょうぶ)の紅葉。 令法という樹は山の木であるが、花も葉も端正な趣があってとりわけ好きな木である。 わが家には株立ちのものが一本あって、二度枯らしてこれは多分三度目の令法。 暑さに弱くて、わたしが水撒きをさぼるものだから、繊細な木々は枯れてしまう。 この令法はよくもってくれている。 若葉は食用になるということ知った。ゆでてごはんに混ぜたものを令法飯というらしい。 こんどやってみようかなあって、一瞬おもったけど、たぶんやらないと思うよ。 yamaokaはね。 朝、おとなりに回覧板を持っていくときに気づいて写真に撮ったもの。 出社して自分の机の上をみて、 「ひゃあー、きったねえー!」って思わず叫んだ。 「そうでしょう、わたしも朝来て、なんと汚いのだろうって思いました。」と冷たく言い放つPさん。 そんなPさんであるが、気が向けば(この気が向けばっていうのがいいでしょう)素晴らしく綺麗にしてくれるのである。 思うに日常茶飯のことについては、かなり他力本願なyamaokaである。 これをイエスの弟子にあてはめていうと、わたしはマルタよりもマリヤ(?)的であると思っている。 働き者でいろんなことによく気の付くマルタであり、何もしないでイエスの足元にすわっているだけのマリヤである。 マルタはイエスのところにやってきて、そのことを訴えると 「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてはならぬものは多くはない、いや一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである。」 と答え、つれない(?)返事をする。 この箇所はルカによる福音書の有名な第10章の話であるが、わたしは結構すきな箇所だ。 いやあ、自分を正当化するつもりじゃなくてね、私にもマルタ的な部分は大いにあって、どっちかというとマルタの方に親近感を感じる(働き者じゃないくせにね)。こう言っちゃなんだけれどマリヤはいけ好かない女かもしれない、しかし、イエスの答えにマルタはぎゃふんとしてしまったのではないだろうか。 だからって、わたしが机の上をすさまじい状態のままにしておくことを正当化はできないって。 そんなこと、 わかってますってば。 昨日のブログで、亡くなられた小島明さんの句集『天使』を紹介したが、実は妹さんの知子さんよりお兄様のエピソードをいただいていた。 それを紹介したい。 兄は19歳で上京してから亡くなるまで、ずっと東京暮らしでした。若い頃はシ ティボーイを気取ったりもしていましたが、その実、田舎育ちであることを自慢 に思っていたような節もあります。子どもの頃は、水田と雑木林に囲まれた中 で、ザリガニだのカブトムシだのを捕って遊ぶ毎日を送っていました。大人に なってからも生きものと緑を好み、東京でも、自然の残る大きな公園にしばしば 通っていたようです。 生きものの中でも特に猫を好んだことは、兄の俳号からもわかるとおりです。私がまだ学生で、東京で兄と二人暮らしをしていた頃、野良猫だったのか、よその飼 い猫だったのか、一匹の牝猫が私たちの下宿に居着くようになりました。「いや美」と名付けたその猫は、私が下宿を出た後も17年間兄と暮らし、兄をすっかり 魅了してしまったようです。お腹と四肢が白く、頭から背中にかけては茶トラ模様で、しっぽがカギ型に折れ曲がった猫でした。「長き夜の虎猫の尾の曲がり尾の」という句は、このいや美ちゃんをモデルにしたものでしょう。宵っ張りだっ た兄が、周囲の寝静まった真夜中にいや美ちゃんと二人ぼっち、所在なげに戯れ ている様子が目に浮かびます。いや美ちゃんを喪ったのは兄にとってかなり辛いことだったらしく、二度と猫を飼うことはありませんでした。それでも大の猫好 きは終生変わることなく、入院中も、病院の構内に棲みついた地域猫たちの写真をLINEで送りつけてきたものです。 俳句の良し悪しは、私にはあまりよくわかりません。ただ、中上哲夫さんが書 いてくださっているように、兄の句は誰にでもわかりやすく、情景をイメージで きるものが多いと思います。一方で、多くの、特に幼時の思い出を共有した家族であるからこそ、「これはあのことだな」とにんまりさせられるものもあるので す。兄の形見である句の数々を、丁寧に、素敵な本に仕上げてくださったふらん す堂様に深く御礼申し上げます。 明さんがかわいがった猫の「いや美」。 実は昨日のブログで、わたしは、小島明さんから電話を貰ったのは、「一年ほど前だったろうか」と書いたのだが、あとで調べてみたところ今年の4月だったのだ。なんでそんな昔であると思ったのだろうか。自分でもよくわからない。今年の4月であったことに改めて驚いている。そして関富士子さんのメールで知ったのだが、わたしに電話をくださったときはすでに状態はかなりよくなくて緩和ケアの段階で、電話をすることもやっとのことであったということも知った。ブログは訂正をしておいたが、いまでも今年の4月であったとは、そしてそのすぐあとに(5月)亡くなられたというのが、信じられないのである。お電話をいただいて一年も経っていないとは。 あらためてご冥福をお祈り申し上げます。 12月の青い空。 ブログを書き終えた。 この後、机を整理すればいいのよ。 しかし、わたしはきっとしないで帰ると思うよ。
by fragie777
| 2021-12-08 19:16
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