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12月7日(火) 大雪 旧暦11月4日
矢川緑地の桑の木。 夏にはたくさんの実をつける。 ここでいくたび桑の実を食べたことか。 今日も新刊紹介をしたい。 すでにもうこの世にはいない人の句集である。 句集を上梓したいというご本人のつよい思いを引き継ぐかたちで、ご家族と友人たちの力によって、この世に生み出されたものである。 小島明(こじま・あきら)さん。 「2021年5月膵臓癌のため逝去。享年56」と句集の略歴にある。 今年の4月にご本人より電話を貰った。「句集を出したいと思っているので出版案内を送って欲しい」ということだった。 だた、目下入院中であるので、病院に送って欲しいということ、その病院の名前を聞いて、わたしの住むところから近くのよく知っている病院だとわかった。やや、切羽詰まったような話し方だった。そして、そのまま連絡がなかった。 秋になって、詩人の関富士子さんから連絡を貰った。 関さんの声を聞くのもひさしぶりだ。 「小島明さんの句集をつくって欲しい」という連絡だった。 小島明さんのご家族が出版を希望され、そのことを小島明さんの妹の知子さんから連絡をいただき、句集の製作について関さんに託されたということだった。 わたしは覚えていた、小島明という名前を。ああ、闘病をされて亡くなったのか。と連絡がないことが納得された。 関さんの話をうかがいながら、小島明という人をめぐる俳句の環境のようなものが見えてきた。 詩人たちを中心とした句会に参加しながら「猫さん」という愛称で親しまれていた人であるということ。 田中裕明さんをその俳句ともども敬愛していたことなどなど。 親しいご縁のようなものを思いつつ、亡くなられた小島明さんの句集をつくらせてもらうことがわたしは嬉しかった。 そんないきさつがあって、世に生み出された一冊の句集である。 四六判ソフトカバー装帯あり 228頁 2句組 著者の小島明さんは、1964年滋賀県愛知郡(現東近江市)生まれ、2004年から、夏井いつき氏のラジオ番組「夏井いつきの一句一遊」、メールマガジン「俳句の缶づめ」に投句を始める。2015年に白川宗道氏主宰の「J句会」に参加。中上哲夫、関富士子氏等、多くの詩人と親交を持つ。所属結社なし。2021年に膵臓癌のため逝去、享年56 関富士子さんの巻末の「付記」に、 「自句をすべてテキスト入力し、句集のための選を済ませ、最後の原稿校正を終えた数日後、俳人・小島明は息を引き取った。病気がわかってからわずか二か月半だった。」とあり、本書は遺句集ではあるが、作者本人がすべて編集したものである。 本句集に夏井いつきさんが、帯文を寄せてくださった。 的確な写生にかならず、独自のひねりを潜ませている。地表から何10センチか、心を浮遊させている。自由を愛しつつ自由からは愛されなかった彼は、天使になれたのだろうか。 猫じゃらしくん、/キミのもとに/もう小鳥は/来ましたか。 句仲間であった詩人の中上哲夫さんは、「猫さんという俳人」と題して文章を寄せてくださった。洒脱な味わいのいい文章である。抜粋して紹介したい。 詩歌は、人生そのものだ。 猫さんがJ句会にはにかみがちな笑顔を見せたのは、二〇〇五年のことだった。J句会は俳人の故白川宗道が主宰する詩人と俳人とが混在する少し緩い句会で、猫さんはその存在をインターネットで知ったらしい。 ビギナー揃いの詩人たちのなかにあって、猫さんは俳句の造詣も深くて、句会ではいつも高得点をとっていた。明らかに、凡庸な句を詠むことの多かった詩人たちとは頭ひとつ抜け出ていた。 猫と一緒に暮らしていた愛猫家らしく、実際、猫の句も多い。 夏駅に猫を運べる旅鞄 日焼けして真つ白な猫抱いてゐて むつかしき猫の耳たぶ冬に入る 秋灯や猫には猫のそぞろ神 長き夜の虎猫の尾の曲がり尾の 吉祥寺から隣町の三鷹に引っ越すとき、「猫可」という物件を見つけるのに苦労した話は、いかにも猫さんらしいエピソードだ。(略) 母の日のなんぢやもんぢやの花を見に 恋多き人のごとくにサングラス 多く聞き少し話しぬ新豆腐 六月の舌に載せたる切手かな 先生と逢つてお鮨を食べただけ 焚火師といふものあらば我らとや 猫さんは口数の多い方ではなかったけれども、親しく話をするようになると、冗談もいった。物知りでもあった。俳句に関しては真剣で、見識も持っていて、わたしはいつも彼の話に耳を傾けたものだった。彼の句を読むと、ウィットやユーモアがあって、わたしはそこに温かな人柄を感じたものだ。俳句は、意外と作者が透けて見える文芸なのだ。難解な所はほとんどなくて、俳句になじみのない者にもじゅうぶん楽しめる句たちだと思う。(略) とまれ、猫さんとの交遊は忘れ難い楽しい思い出だ。そして、句集という贈り物を置いていってくれたことになによりも感謝したい。 中上哲夫さんは、ここでは「ズボン堂」という俳号であったようだ。 銀紙のやうな二月の海見えて サイダーを海に返して月曜日目高となり目高の前は忘れたり いつまでも麦稈帽の似合ひけり 空蝉の砕けてものを思ふころ 十字架のごとく案山子を負ひゆけり 猫じやらし海よりの風使ひきり 草の名のやさしさに秋闌けにけり 夜更かしの好きな金魚でありにけり 担当の文己さんの好きな句を紹介した。この句集を担当した文己さんは、わたしのところにやってきて、「すごくいい句集だと思います」と言った。文己さんに訴えてくるものがたくさんあったのだと思う。実際わたしも読んでみて、いい句集だと思った。なんと言ったらいいのだろうか、方法から自由でしかし俳句性をふまえている、575という定型のなかで極めて自在だ。なによりもその世界観が優しさに満ちているのだ。動植物たち生きものとの等身大の交流とてもいったらよいのか。 目高となり目高の前は忘れたり この句など、作者自身が目高であるがごとくである。目高になりきってこんな風に目高を詠んだ俳句がこれまであったろうか。そしてユーモラスだ。目高の前は忘れたり、と目高といえども前世はいっぱしの〇〇だったかもしれないが、目高となった今は、そんな前世はさっぱりと忘れてしまった。人を喰っているようで、いや、そうではないのだ、目高と等身大の作者がいるのである。目高となった我がいるのである。 草の名のやさしさに秋闌けにけり この一句もいい。ここには人間の営みやその影さえもないようにみえる。秋が闌けていく、それはひとえにやさしい名前をもった秋草の営みのなかにおのずと闌けていくのである。自然界はそれ自体で充足しているのだが、ふと思えば草々に名前をつけてそれを愛おしむのは人間なのであり、人間が介在しない一句とみえて、秋草になまえをつけた人の営みの素敵さもまた詠まれているのかと。 夜更かしの好きな金魚でありにけり そんな金魚いるかって、いやいそうである。今日も夜更かしをしてしまった。金魚鉢をみれば、わが金魚も元気にひらひらと泳いでいる。「おお、おまえも夜更かしだなあ、」と金魚に語りかける、そんな状況も見えてくるが、それだとちょっと当たり前すぎる。この作者であるなら、もうこれは夜更かし好きの金魚を飼っているのである。朝昼はどんよりとしていて、夜になると活発に泳ぎ回る金魚、それを部屋の隅のほうから金魚に気づかれないようにそっと見ている作者。あるいは、この金魚は作者自身のことを言っていて、自身は金魚かもしれないと、それも夜更かし好きな。金魚がまるで自分に見えてきた、そういうことってありますよね。ええっ、ないか。。。 雷の夜の口いつぱいの歯磨粉 「雷」が季語である。その雷に「口いつぱいの歯磨粉」とは、、、笑える。歯磨き粉だらけの口を雷が一瞬照らし出す、そんな瞬間をイメージする。真っ白な歯磨き粉だらけの口、それはまるで怒り狂った雷さまの口元のようでもあり、しかし、手に持っているものが歯ブラシというのはちょっとマヌケかもしれない。 ひひらぎの花と思へど云はざりき とてもひかれる一句だ。どうして言わなかったのだろうか。周りが「これって何の花?」とか言い合っているのをそれとなく聞いているのだ。そういう時っておおかた、「それはね、〇〇だよ」って言う。しかし、言わないということもある。それは花が柊だからだろうか、柊の花ってちょっと地味な花かもしれない、でも見つけたときはかなり嬉しいって思うそんな花である。草花の名には詳しかった小島明さんであるようだが、この言わないという心も持っているのだ。柊が特別の花だから、あるいは、見つけたけど周囲にはしらせたくなかった何かがあったから、そういう心のありようってある。意地悪とかそういうんじゃなくて、なにかもっとそれを言ってしまったらわたしの大切な一部が失われる、そういこともあるかもしれないけど、その手前のちょっと微妙な感情。そういうものを大切にしたんだと思う、小島明という人は。 ほかに 冬木の芽この空青すぎはせぬか 瀧といふ淋しさに突き当たるなり 冬蠅の小さき影あり死後もあり 掌に水のやうなる冬日かな 冬林檎ジャングルジムは天使領 この句集は関富士子さんがずいぶんとご尽力をくださった。 本句集に「付記」と題して短文を寄せておられる。 「ねまき猫」はJ句会での小島明さんの俳号。初期の他の句会では「猫じゃらし」の号も使っていたようだ。私たちは親しみをこめて彼を「猫さん」と呼んだ。三月のある日、その彼から久しぶりにメールをもらった。 「……膵臓に腫瘍があることがわかりました。……残された時間がどれくらいあるかわかりませんが、最後に句集の一冊くらいは遺していきたいという思いもあり、いろいろと相談に乗っていただけるとありがたいです。」 ふだんは寡黙な猫さんが、この日から少しずつ静かに自らを語り始めた。 「……敬愛する俳人たち(安東次男、飯島晴子、攝津幸彦、田中裕明など)と、個人的な対話を続けるようなつもりで、細々と句作を続けてきました。」「入院してから『ことばの日々』が始まりました。今はそのことに不思議な高揚感があります。ことばを書くこと、考えること。ああ、僕がしたかったのはこういう生活だったんだなって改めて気づかされます。」 私は、彼の「ことばの日々」が少しでも長く続くことを祈るしかなかった。(略) そうして小島明さんは、自身で編集した句稿のすべてを関富士子さんに託したのだった。 本句集の装釘は和兎さん。 ゲラを読んで、「有元利夫の絵を使いたい」と。 かつて一度ふらんす堂では有元利夫の装画を用いたことがある。 ゆえに、妹君の知子さんの了承をいただき、その方向でいくことに決定したのだ。 有元利夫「午後の沐浴」(980)と題した装画。 タイトルはツヤなし金箔 表紙にも。 見返しは表紙と同じ用紙で。 扉にも装画を。 略歴には、小島明さんの逆立ちをしている写真がある。 これが小島さんの人となりを思わせてとてもいい。 定型の冬( 樹の中に樹は眠り… ) 明 「付記」には、小島明さんの作句について最初にして最後の言葉が記されている。紹介をしておきたい。 ……けれど、例えば芭蕉の 閑かさや岩にしみ入る蟬の声 の句を読んだとき、読者はそこに「ひりひりとするような現実との摩擦感」を感じないでしょうか? 眼前にある日常の世界から、ふだんは隠されている事物の本質をつかみ取ろうという姿勢に、スリリングな精神の冒険を感じとらないでしょうか? ……俳句に詠んでいいのは「一見どうでもいいことのように見えて、実はどうでもよくないこと」だけです。僕が俳句を詠む人に望むのは、突き詰めればそれだけであり、僕の言う切実さとは、そういう意味だと理解していただけるとありがたいです。 句集刊行後、関富士子さんと妹さんである小島知子さんにお気持ちを伺った。 それを紹介したい。 句集を改めて読み返すと、猫さんの句はなんとさりげなくも、生きとし生けるも のへの愛に満ちていることか。猫さんは、この憐しくも美しい生をもっともっと 生きたかったはず。 12月4日、新宿御苑をJ句会の6名が吟行し、ささやかながら、ねまき猫こと小 島明さんの追悼句会をしました。 コロナ禍がうそのようににぎわって、人々が美しい紅葉を楽しんでいました。 この庭を何度猫さんと歩いたでしょう。 「この蔓を引かばどの烏瓜灯る ねまき猫」 猫さんに植物の名をたびたび聞いては忘れました。 「ひひらぎの花と思へど云はざりき ねまき猫」 猫さんはすすんで教えてくれるわけではないけれど、問われれば必ず答えてくれ ました。 「まだ何か隠してゐたり冬木立 ねまき猫」 冬木立の向こうに、猫さんがそっと隠れているのではないかと思いました。 J句会木履こと関富士子 そしてかつての吟行風景の写真を送ってくださった。 右から二番目が小島明さん。 妹君の小島知子さんより。 母ともう一人の兄も、「とても良い本になった」と喜んでおります。 「亡くなった兄が最期の力をふりしぼった句集だから」とお願いいたしました が、本当に丁寧に、素敵な本に仕上げていただき、篤く御礼申し上げます。 兄も出来ばえに満足していることと思います。 関様のお力添えがなければ、このように兄の句集を出版することは難しかったで しょう。 J句会の皆様にもよろしくお伝えください。 仕事が忙しくなり、他の俳句関係の方々との連絡を断ってからも、兄はJ句会だけは楽しみにしていたようです。 どうぞ「ハレルヤ」で偲んでやってください。 小島明さん。 猫さんは、「もし、僕の追悼句会なるものがあるとしたら、レオナルド・コーエンの「ハレルヤ」をかけてほしい」と遺言しています。 と関富士子さん。 リンクをはってみたのだが、どうだろうか。、 聴けるようでしたら是非に聴いて、急逝をされた小島明さんを偲んでくださいませ。
by fragie777
| 2021-12-07 20:01
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