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11月12日(金) 地始凍(ちはじめてこおる) 旧暦10月8日
今朝の甲州街道の交差点にて。 モノクロにしてみた。 ちょっと昭和風に。 ありそうな写真でしょ。 見あげると朝の太陽がまぶしかった。 今朝はiPhoneで、ラジオのインターFMを聴きながら歩いて出社。 ボブ・ディランが流れてきた。 初冬に聴くボブ・ディランは、悪くないな。。。。 今日は赤い靴で。。。。(脚が短く見える……な) 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯あり 190頁 二句組 句集『ばさら』は、甲斐いちびん(かい・いちびん)さん(1941年生れ)の第二句集である。しかし、甲斐いちびんさんは、もうこの世にはおられない。2020年の5月に急逝をされたのである。 甲斐いちびんさんは、2014年に甲斐一敏句集『忘憂目録』を上梓されている。その後、第2句集の上梓を心づもりなさりながら病に倒れ、句集上梓を果たせぬまま亡くなられたのだ。その志をつぎ、京子夫人とご息女のみなみさんが中心となり、甲斐さんが所属されていた「船団の会」の方たちのご協力をいただきながらのこの度の刊行となった。本句集には、坪内稔典氏が「酔いどれ船の帆をたたむ」と題して、追悼の文章を寄せておられ、また、句友41名の方々の「追悼句」が収録されている。この追悼句を拝読すると、甲斐いちびんさんの姿が立ち上がってきて、句友の皆さんに愛された方だったんだなと思う。俳句をとおしての闊達なよき交わりをおもわせる追悼句である。まず、坪内氏の追悼の文章からすこし紹介したい。 「詩歌は時代の言葉。俳句もまたそうであると考えている。」 いいなあ、この言葉! これ、甲斐一敏(かずとし)の句集『忘憂目録』(二〇一四年)の「あとがき」にあり、いわば甲斐さんの残した名言である。甲斐さんはこの句集を出した後、「いちびん」の俳号を名乗るようになった。(略) 時代の言葉としての俳句。それを明確にしたいと思って書き始めたが、どうもうまく書けない。この句集の「あとがき」を書いた甲斐みなみさんは、父の句について次のような感想をもらしている。娘さんのこの感想が甲斐さんの俳句の特色をとってもよく語っている。 父の俳句は「ばさら」そのもの。「欧米か!」と突っ込みたくなるほど横文字は多いし、時事ネタから酒までテーマは広いし、言葉の選び方が、どうも「俳句っぽくない」のである。しかし、その雰囲気こそが、父の挑戦していた俳句なのだろうと思う。 甲斐いちびんさんは素敵な読者を得たのである。読者が突っ込みたくなったり、変な俳句だなあと反応するとき、実は言葉がもっとも生きている。(略) では、彼が残したこの句集『ばさら』から、私の愛唱する数句を挙げよう。これらの句、私は今後いろんな機会に口にするに違いない。 啓蟄やまだ揺れている今朝の夢 夕桜ばさらばさらと暮れてゆく 桜東風鳴門わかめの青が散る ところてんつるりんつるりん顔崩る 胡瓜もむ明日あたりまで不良のつもり 端居して酔いどれ船の帆をたたむ 晩夏光軍楽隊がやってくる 赤海鼠寂しくなれば津へ浦へ 荒野まで転ばぬようにまずウォッカ この中で坪内さんは、「端居して酔いどれ船の帆をたたむ」がことに好きだ。」と書いている。「酒好きだった甲斐さんの自画像という雰囲気」とも。酔っ払うときっとランボオの詩の一節でもそらんじてみせそうな甲斐いちびんさんである。 句友の方々の追悼句がどれもよく、みんな紹介したいところであるが、ここでは数句ということでお許しをいただきたい。 青時雨れ勝手に逝くなゴダール狂 秋山 泰 (京都市) 「失敬」と手を挙げ蛍ひきつれて 内田美紗 (堺市) パパゲーノのアリア聴こえる君の空 小枝恵美子 (高石市) ボルサリーノ高く飛ばして聖五月 西村亜紀子 (京都市) 緑さすいちびんさんの歯並びに ふけとしこ (大阪市) 毒舌もミモザの花も天上へ 山本典子 (伊丹市) 映画好き、音楽好き、中折れ帽子をかぶって毒舌、ミモザの花が好き、そして蛍が好き、歯並びが印象的などなど甲斐いちびんさんという人が現れてくる。彼がこだわったものは、まさこの第2句集に詠まれている。 風呼べば風鳴く語るミモザ咲く おーいパンが焦げてしまうよ恋の猫青すでに散り散り雪解風笑う 名月や残る燕が背伸びする 人類にあくびためいき十三夜 さびしさにとどいているか冬桜 担当の文己さんの好きな句を紹介した。 人類にあくびためいき十三夜 わたしもこの一句に〇をつけている。「十三夜」という季語をこんな風にあっけらかんとしたことがらと取り合わせている俳句をみたことがない。人を喰っているというか、面白い。「人類」がいいんだとおもう。「人間」でも「われわれ」でもなく、「人類」と大きくでた。それが「十三夜」という月のありよう、星辰の出来事と見合っている。「十三夜」は「後の月」のこと、少し欠けた月である。人類総体としての「あくび」「ためいき」の脱力感が、気張った満月でなくやや欠けたさびしい月に通いあうのかもしれない。 さびしさにとどいているか冬桜 この句、わたし、この句集のなかで一番すきな句かもしれない。文己さんと気があうわ。「冬桜」は、さびしさを感じさせる桜でそこが好まれたりする。寒さのなかに凜としてしかしはかなさを感じさせながら咲いている。ある意味「冬桜」「さびしい」はちょっと月並みで常套だ。しかし、この一句は、その常套さを逆手にとって(こういう言い方でいいのかしら)「冬桜」と「さびしさ」の関係を読み手につきつけている。「さびしさ」と「冬桜」の間にある0.1㍉ほどの隙間、それが詠まれているのだ。冬桜がさびしさを発散させるのではなくて、さびしさが冬桜のぼうへと触手を(へんかな)のばす。そこにある引き締まった空気感。冬桜がたたずむその気配までが伝わって来る、冬桜という季題を十全に詠み込んだ一句だと思う。ってこんなこと書くと甲斐いちびんさん、ボクはそんな意味で詠んでないよ、とか言われてしまうかも。まっ、いいわ。 化けていく溶けていく夕焼け山の襞 この一句も面白いとおもった。山を照らす夕焼けを詠んだ一句であるが、「化けていく溶けていく」という措辞のおもしろさと、それを受けるのが「山の襞」であるのがいいと思った。化けて溶けていくちょっと尋常でない夕焼け、その生きもののような「夕焼け」を「襞」が吸い込んでいくのである。「襞」きっと黒々としてブラックホールのように「夕焼け」を呑み込んでいく。「化けていく」の言葉をもってくるのが甲斐いちびんさんなのだ。 立春大吉毒なき爪にやすりかけ この句もいいな。「立春大吉」の季語、どこかちょっと自嘲的でもある。しかし、じめじめしておらず突き抜けたような明るさ、「立春大吉」がいいのかしら。この句、校正者のみおさんも好きだと。「不思議な明るさでとても惹かれます。 」と。そう不思議な明るさ。 ご息女のみなみさんが長めの「あとがき」を寄せられている。お父さまのよき理解者としてとてもいい「あとがき」である。この句集成立までの事を思い出を交えながら明快に綴っておられる。さきに坪内さんの「追悼文」でも紹介されていたが、ここでは抜粋して紹介したい。 「ばさら」(婆娑羅)。この言葉は、父がもっとも愛していた言葉と言える。父が会社退職後に設立した会社の名前は「バサラアド」であったし、第二句集のタイトルも、父は早くから「ばさら」と決めていた。 「ばさら」は、室町時代の婆娑羅大名に因み、秩序より実力を重視し、遠慮なく勝手にふるまい粋であるという点で、父の生き方・性格をそのまま表していると思える。父は、昔から、映画、音楽、絵画から漫画まで、幅広く文化や歴史について知識が豊富で、その幅広い知識をもとに、斬新な視点で、自信をもって仕事に取り組んでいた。「ばさら」を自らの句集のタイトルに選ぶというのも、俳句に対する挑戦的な態度を込めた、父らしい選択だと思う。 二〇二〇年三月に悪性リンパ腫が発覚してから、わずか二か月弱で父は亡くなった。父の病状に関する医師からの説明は、かなり厳しいものであった。その時点で、娘の私は、父の死期がかなり近いことを悟ったが、父が医師に向けて発した一言は、「やらないかんことが、あるんでね」というものであった。この父の言葉で、積極的な治療を進めようということになった。 父の言った「やらないかんこと」には、いろいろなものが含まれていたと思うが、その中でも、特に気がかりだったのが、この第二句集の発行であったと思われる。父は、入院前から、第二句集の発行に向けて、第一句集『忘憂目録』後の俳句をピックアップしつつあった。しかし、体調不良でなかなか作業が進んでいなかったのである。 そういう状態であった第2句集上梓への作業もご家族の助けをもらいながら、なんとか進んでいったのであるが、病気の進行の速さによって甲斐いちびんさんは、句集を手にすることなく亡くなってしまう。その後も句集刊行へむけて作業はすすみつつ、ご本人亡き後は、「船団の会」の方々のお力を借りながら句稿完成へとこぎ着けたのだ。そのへんのいきさつをみなみさんは、詳細に記されている。 そのようにして俳句仲間の思いと力添えによって第2句集『ばさら』は上梓の運びとなったのである。 京子夫人の「あとがき」も抜粋して紹介しておきたい。 文章力のない私に代わって長女にあとがきを書いてもらった次第です。考える間もない早さで夫は逝ってしまいました。 句友有志の皆さまには、心から愛情のこもった追悼句をいただき、句を読みかえすたびに、黒革の帽子をかぶり、アルマーニのバッグを掛けた夫がリアルに現れます。追悼句会も招待していただき、句会の雰囲気も味わわせていただきました。 おしゃれでダンディな甲斐いちびんさんであられたのだ。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 この装釘の経緯については、京子夫人はとても熱心で、 装丁に関しては主に京子夫人とご相談しながらお作りしました。若い頃グラフィックデザインに関するお仕事をされていた京子様と、デザインに 関してはいつもの何倍も時間をかけてじっくり打ち合わせをさせて頂きました。 と担当の文己さん。 なかなかインパクトのある装釘となった。 金箔は赤系のツヤ消し金。 用紙は素材感のあるもので統一。 帯。 表紙もカバー、帯と同じ用紙。 始めて使った金色系の用紙の見返し。 むずかしい用紙であるが、悪くないのではないか。 扉。(金刷り) みなみさんの「あとがき」には、病院より一時退院され、家族にかこまれた甲斐いちびんさんの笑顔の写真がある。 柿食えばラ・カンパネラ古都に風 句会の後の甲斐さんはとってもうまそうにハイボールを飲んでいた。グラスの氷片をからんころんと鳴らせて。あの音、甲斐さんの聞いたラ・カンパネラだったのかも、と今にして思う。(坪内稔典) 句集刊行にあたっての思いを、ご息女の甲斐みなみさんからいただいている。以下に紹介をしたい。 「ばさら」刊行にあたり このたび、父・甲斐いちびんの遺句集「ばさら」を無事刊行することができました。ご協力いただきました皆さまに心より御礼申し上げます。 あとがきにも書かせていただきましたが、「ばさら」は、父の大好きな言葉でした。室町時代の婆娑羅大名に因み、秩序より実力を重視し、遠慮なく勝手にふるまい粋であるという点で、父の生き方・性格をそのまま表していると思える言葉です。 父は、昨年、病気が発覚してからわずか2カ月弱で急逝しました。父は、当時、第一句集「忘憂目録」(2014年発行)に続く第二句集「ばさら」の刊行に向けて準備を進めていましたので、何とか、父に代わり句集を完成させたいと思いました。 しかし、私には俳句の知識など全くなく、どのように進めて良いのか右も左もわからず、困り果てておりました。しかも、父の俳句は、素人の私が読んでも「ちょっと普通じゃない感じ」でしたので、どんな風に分類していったら良いのか、季節順なのか、テーマごとなのかなど、頭を抱えてしまいました。 そんな中、父と親しくお付き合いくださっていた旧「船団の会」の皆さまがご指導くださり、無事に刊行に至った次第でございます。坪内稔典先生にも、父が句会で活き活きと過ごしていた様子が目に浮かぶような、温かい跋文を頂戴しました。ご協力・ご指導くださった皆さま、本当にありがとうございました。 最後に、娘の私が好きな父の俳句をいくつかご紹介させていただけたらと思います。 ささやきに身をまかせなはれ春の泥 くねくねと生きるくねくねと粽解く 端居してアンパンマンマーチそらんじる この三句は、坪内先生の跋文でも、山本直一様の十句選でも紹介していただいており、どうやら父の俳句の中で人気のある句のようです。アンパンマンマーチの句は、私が子供たちをしょっちゅう両親に預けていたので、孫のことを考えて詠んだのかなと温かい気持ちになります。父は、孫がそばにいない時にも、ついアンパンマンマーチを歌ってしまったんじゃないだろうかと想像すると、ほっこり笑えます。 菜の花やオノミサエズリコロを食う 春が逝くすかんぽスープに浮かばせて 恍惚と豚骨すする涅槃西風 ほや啜る脱け出せそうな鬱回廊 アンチョビとは何ぞやと問う鰯雲 この五句は、「食通」の父をイメージしやすいことから選びました。俳句としての良し悪しは私にはわかりませんが、父はとても食べ物にこだわりを持ち、特に旬のものや珍味を好みましたので、家族としては、大変父らしい句だと感じます。 ラズモフスキーのごとはらりはらり春の雪 いずこからかチェンバロソナタ桜しべ降る 万緑につつまれバッハ聴くさびし レクイエム繰り返してやところてん 枯葉よ枯葉よファゴットのごと風歌う 最後の五句は、「音楽通」の父のイメージにぴったりであることから選びました。父は、若い頃から、部屋で大音量でクラシックを流して休日を過ごしていましたので、俳句の中に音楽用語の横文字がたくさん出てくると、いかにも父らしいなと懐かしくなります。他にも、父が大学時代映画部に所属していたことを伺わせる、映画関連の句などもあるのですが、私に映画の素養がないため、うまくご紹介することができません。 以上、僭越ではございますが、「ばさら」刊行にあたっての思いを書かせていただくとともに、私の好きな句をご紹介させていただきました。坪内先生、句会の皆さま、ふらんす堂様、このたびは、「ばさら」の刊行にご協力いただきまして、誠にありがとうございました。 甲斐いちびん 長女 甲斐みなみ こちらこそ再びのご縁をいただき、ありがとうございました。 ご家族の皆さまに、句友皆さまに、愛された甲斐いちびんさんはとてもお幸せだったのではないかと思います。 一度だけお目にかかったことのある甲斐いちびんさん、もう一度お目にかかっていろんなお話をじっくり伺いたかったと思います。それができないのが残念です。 甲斐いちびんさん。 2009年3月 池田 五月山にて (略歴の写真) 朝の雀。 今は雀がとても元気だ。
by fragie777
| 2021-11-12 20:30
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Comments(2)
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