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11月11日(木) 亥の子 旧暦10月7日
井の頭公園の蒲の穂絮。 絶え間なく穂絮が飛んでいる。 ここはいつも日当たりのいい場所。 こんな風にベンチにすわって穂絮飛ぶ様子を眺めたり、本を読んだり、まったりしたりしている人がおおい。 若者や若い家族連れが多い井の頭公園であるが、ここはどちらかというと年齢層の高い人が日向ぼっこをしている。 わたしもこの柔らかな陽ざしにみちたこの場所が好きである。 穂絮がこんなに光をまといながら飛ぶ様をみたのは、はじめてだった。 池の向こう側は木々が生い茂り、翡翠や五位鷺などがいる。 ここ井の頭公園は、都会のなかにあって多くの人たちに愛されている公園である。 新刊紹介をしたい。 四六判変型フランス装帯有りビニール掛け 174頁 二句組 俳人・深見けん二氏の第10句集であり最後の句集となる。前句集『夕茜』以降の作品(2018年~2021年春)を収録し、季題索引を付したものである。すでにブログでも「ふらんす堂通信」でもこの句集のことについては触れていたので、すっかり紹介をしたつもりになっていたが、豈図らんや、まだであり慌てている。そう、つまり深見先生の最後の句集となってしまったのだ。しかも、先生はこの句集を手にされていない。「はい、これがぼくの最後の句集」って明るく恬淡とおっしゃって、あとはお弟子さんの山田閏子さんにすっかりお任せして、すこし遠い存在となってしまった。最後のお電話も「どうもすっかり歳をとってしまって」ともうそれ以上お引き留めできない、そんな遠くからのお声だった。それでも句集ができあがるまでは生きていてくださる、そんな風におもいこんでいた。わたしは相変わらずバタバタしながら、ケアハウスで龍子夫人と過ごされている深見先生のことを思いながら作業をすすめた。山田閏子さんは、夏の暑いさかりもケアハウス「もみの木」に通って、深見先生にお会いしてそのご意向などをたしかめてくださった。しかし、もうなんといったらいいのか、やることはやったという安堵感がおありだったようで、また弟子の山田閏子さんを心か信頼されていたようで、句集についての執着はお見せにならなかった。 いま、句集『もみの木』がわたしの目の前にある。 しかし、深見先生はいない。 だが、ひとたびこの句集を開けば、ありありと深見けん二という俳人が立ち上がってくるではないか。 ああ、深見先生の文体だ、そこから迫ってくる心意気と高雅な風格、それはまぎれようもなく深見けん二の俳句である。それは深見けん二の俳句の体質といってもいいのかもしれない。 深見先生は、作品がすべてを語るということをじゅうじゅうご存じだったのだ。だから、最後の句集稿をてばなしてより、もうご自身でやることはないと、いまのすべてをその句集に託したのだ、わたしは『もみの木』を改めて拝読しながらそう思ったのだった。最後までおのれの信ずるところの俳句に生きた俳人だった。そのひとすじの信念が俳句人生のはじめからおわりまで貫かれた方だった。亡くなられた今こそ、そのことを思う。 虚子語り青邨語り天高し 二人の師虚子・青邨を詠んだ句であるが、この句には前書きがある。「悼 斎藤夏風さん 四句」という前書きの一句である。つまり、斎藤夏風とともに虚子、青邨を語ったという一句であり、斎藤夏風はともに青邨門下でまなんだ兄弟弟子にあたる俳人であり、深見先生は心より信頼をしていた方だ。この一句には、虚子、青邨、のみならず夏風、そしてけん二、その四人の俳人が俳句においてひとつとなっているのである。その関係のなんという清々しい高さ。 一輪の落ちて蕊立つ冬椿 椿が落ちたという景は多くの俳人に詠まれている。この句を見て、ああ、深見先生は写生に鍛えられた人なんだって改めておもった。落ち椿の状態をさりげなく詠んでいるが、落ちてまだまもない椿なのだろう、「蕊立つ」の措辞によってなおもまだ瑞々しい椿の蕊の黄色が見えてくる。しかも「冬椿」である、冷たい空気がみなぎるなかに落ちても凜として乱れずに蕊をたてている一輪の椿。まるであたりの寒さを制しているかのような気配だ。ただただ目の前のものを描写しているかの一句であるようにみえて、やはり深見けん二でなくては作れない写生の一句であり、なによりも「冬椿」を通して生命の気高さをおもわせる。これは深見先生が意図してそう詠もうとしたのではなく、わたしは深見けん二という俳人の体質であると思う。写生によって鍛えられた目が深見けん二という俳人の高雅ともよぶべき体質を引き出している。誤解を恐れずに言えばそんな風にわたしには思えるのだ。好きな一句だ。 一と部屋の暮し始まり雲の峰 この句は、長い間住んだ家を離れて龍子夫人とともにケアハウス「もみの木」に移られたときの一句だ。いままでと勝手が違い、ずいぶんご不自由な思いを当初はされていたようだが、「先生、ケアハウスのお暮らしはいかがですか」と尋ねれば、「ううん、どうも、いままではとは違ってね」と電話の向こうで困ったように笑っておられる先生がいた。この一句、狭い一部屋と「雲の峰」との距離がいい。この一句からみても、やはりいじけることなく顔をあげておられる深見先生がいる。季語「雲の峰」をおくところが、ご自身を励ましながら高く保っておこうとする自恃を感じさせる。高潔もまた先生のお人柄なり、である。 吹き抜けてゆく秋風に我が齢 面白い一句だ。「秋風」に「我が齢」を対峙させている。秋風が吹いてきた、そんな秋風に吹かれているとしみじみと自身の歳を思う、解釈してしまえばそれだけのことかもしれないが、その心情などを吐露していないところが潔いのだ。真っ向からわが齢を秋風に向き合わせているのだ。風は来たりて吹き抜けて去っていく、しかし、人間は肉体をもち時間が経っても風化することなく細胞分裂をくりかえし、老いても生きる限りその肉体はありつづけるのだ。肉体は年齢の刻印をきざまれながら吹き抜けていく秋風に絶え続けている。しかし、「我が齢」という謂いは、そこに感傷をいささかたりとも加えていないのである。心情的にはいろいろな思いがあるかもしれないが、それを言わない、あえて語るとしたら「吹き抜けてゆく秋風」に語らせているのだ。 介護受けつつたつぷりと初湯かな この一句においても、決して卑屈にならず悠揚たるお人柄の深見先生がみえてくる。「たつぷりと」につねにプラス志向の深見先生を思う。気持ちのよい句だ。介護される状況にあっても、それを楽しみ豊かな心持ちでおられる方だ。〈時雨るるやケアのランチはオムライス〉など、オムライスの鮮やかな黄色が時雨の寒さを救ってくれるかのようだ。 ほかに 啓蟄や九十八の志 緋牡丹の蘂噴き上げて真盛り 生涯に虚子の一語や明易し 水澄んで人それぞれに故郷あり 白寿とはわがことなりし初笑 古雛といふといへども格高く 雛の宿奥に老女の深眠り まだまだたくさんの良い句があるが、というか全部を読んでいただきたい。 この三月五日、幸い白寿を迎えることができました。丁度「珊」に発表した句もほぼ三年に達しましたので、ここで最後の句集をまとめることを決心しました。今回もふらんす堂の山岡喜美子さんのご好意に甘え、お世話になることに致しました。「花鳥来」の会員の方々はじめ、お世話になった多くの皆様に御礼を申し上げます。「花鳥来」の山田閏子さんには句集の整理から完成に至るまでお世話になったことを記して感謝申し上げます。 句集名は現在お世話になっているケアホームの名前「もみの木」(高木一江オーナー)より名づけました。 深見先生の最後の「あとがき」となるので、yamaokaの名前もあるが、紹介した。 「もみの木」という句集名は、お世話になったケアハウスの「もみの木」よりというのがとても深見先生らしい。人と人との関係をとても大事にされた方であり、それはもう律儀一徹としかいいようがない。 もみの木の緑蔭をこそ恃み住み という心からの挨拶句も収録されている。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 装釘については、深見先生はすべてお任せだったが、龍子夫人がとりわけ熱心であられた。 「最後の句集となるのだから……」といろいろとご要望をいただいた。 一刻も早く本にしなければというやや焦る気持ちとご要望にお応えしたいという気持ちがあって、一瞬時間を止めたいと思った。 深見先生は装釘の色校正までご覧になられていたので、おおよそどんな本になるかはお分かりだったことが救いである。 最後の頁である。 先生はいつもはるかや虚子忌来る 掉尾の句である。 この一句をもって深見けん二先生は、九九歳の生涯を終えられたのである。 仰ぎ見て更に仰げる桜かな けん二 今日はお客さまがいらっしゃった。 第一句集の句稿をご持参してのご来社だ。 俳句結社「春燈」に所属されている荒井慈(あらい・めぐみ)さんである。 すこし前にふらんす堂より句集『風聴くや』を上梓された三上程子さんの下で俳句を学ばれている方である。 今日は藤沢からいらしてくださった。 荒井慈さん。 造本は、三上程子さんと同じフランス装カバーがけをきめてお帰りになったのだった。 「十字架のペンダント、素敵ですね」と申し上げると、 「わたしカソリックなんですよ。句集にも十字架を配してもらえると嬉しいわ」と。 「了解いたしました」と担当の文己さん。 桜の枝にとまって何かを仰ぎ見る翡翠。
by fragie777
| 2021-11-11 20:40
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