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10月29日(金) 旧暦9月24日 秋の強い陽ざしのなかの蓼の花。 紅色がいちだんと濃いようだ。 どうやらわたしは靴下を履くときに、決まって右足から先に履いているようだと、我が人生においてつい先頃気づいたのだった。 で、わたしは、今朝靴下を履くときに、左足から履いてみたのだった。 ひょっとしたらいやひょっとしなくても、生まれてこの方わたしは靴下を左足から履いたのは初めてなのかもしれない。 だとすると極めて個人的なことでありながら、今日は記念すべき日なのかもしれない。 わたしは、やや新鮮な気持ちで靴下をはいた両足を眺めた。 が、 その後はいつもとそう変わらない日常がつづいたのである。 先日、坂井修一氏よりメールをいただいた。 10月29日(金)17:30-19:30に東大ヒュー マニティーズセンターのオープンセミ ナーで聖心女子大・大塚美保先生と森鴎外 の翻訳詩についてお話することにな りました。 ※ 鴎外百首 とぴったり重なります。 どなたでも無料で聴講できますの で、ぜひ御参加ください。参加は登録制。前 日等にZoomのお知らせがあります。 わたしはさっそく申し込み、今日の日を待っていた。 さっきまでお二人のお話を拝聴していたところである。 大変面白かった。 大塚美保氏は、聖心女子大学で教鞭をとっておられ、森鴎外の研究者である。 今日のセミナーは鴎外の翻訳詩を通して、森鴎外という明治の文豪に迫ろうというものであり、テキストはまさに坂井修一著『森鴎外の百首』に収録されているものと重なる。 最初に、坂井修一氏が語り、その問題提起などに応えるかたちで大塚美保氏が語る。 その後ふたりのやりとりがあり、最後はセミナー参加者の質疑応答に応えるというもの。 140名ほどの参加者だ。 坂井修一氏は、森鴎外のいろいろな資料を展示しながら、お話をすすめていく。 大塚美保氏は以下の二点について坂井氏の質問をふまえつつ語られた。 わたしが今日のセミナーで特に心を動かされたのは、鴎外の文学的実績というよりも大塚美保氏の鴎外に向き合う姿勢と、その明晰にして矜持のある物腰だった。 『於母影』における「「ミニヨンの歌」の訳者が鴎外かあるいは鴎外の妹の小泉喜美子であるかについて、鴎外説をとなえた小堀桂一郎の論に対しての大塚氏の答え。そこで語られたのが「テクスチュアル・ハラスメント」という言葉。知っている人はたくさんいるのかもしれないが、わたしには初めて聞く言葉だった。 つまり、「女性が書いたものを書き手の性別によって不当に評価すること。」それを小森桂一郎はやっているという。確かに評価の仕方が「当時十九歳のまだ少女のような若夫人」であるから訳す力がない、と言っているのである。 この「テクスチュアル・ハラスメント」については、さらに大塚美保氏はいう。「それは女性のみではなく、人種等にもいえることであり、私自身のなかにもあること」であると。「内面化された男性自身の基準でものを見てしまう」と。鋭い指摘だと思った。 そのように鴎外の訳詩を中心としながら様々なことが語られ、あっという間の二時間だった。 鴎外は崇拝者が多いことでも有名である。 そのことについて、「どうなんでしょうか」と坂井氏がふると、 大塚美保氏は、卒業論文に一番共感できそうもない森鴎外を選んだということである。好きな作家だったりすると入れ込んでしまいすぎるので、好きでないクールに向き会える鴎外にしたのだそうである。 わたしは、そうか、そういう卒論のテーマの選び方もあるのかと笑ってしまった。 しかし、その嫌いな鴎外が大塚氏のライフワークになったのである。 坂井修一氏が、鴎外の「公」と「私」におけるダブルスタンダード的な立ち位置、「啓蒙家」と「エゴの立つ文芸家」、「軍医(官僚)」と「リベラルな思想家」などについて大塚氏にどう思うか尋ねられた。 大塚美保氏は、笑いながら「かつてはあまり好きでなかった鴎外がいまでは気の合うおじさんとなりました。」と。そして「わたしは、そういう白か黒かと二つに分けることではなく、中道にいる鴎外であるからこそ、好きなのです」と。 「そうなのですか。ぼくは勘違いをしておりました」と笑う坂井氏。 「でも今の時代こそ、そういうことがいえるかもしれませんね。革新と保守反動などと明確に分けるそんなことが難しい時代を僕たちは生きているのかもしれません」と坂井修一氏。 当然のごとくもっともっとたくさんのことが語られたのであるが、そう、翻訳詩について、しかし、それを再現するのはたくさんの時間が必要だ。 わたしのおおいなる反省点は、坂井修一氏に、このオープンセミナーについて上記のようなメールをいただいたとき、どうしてこのブログで前もって告知をしなかっただろうということ。 誰でも申し込めば聴講できた魅力あるセミナーだった。 気づかなかった自分を反省しても反省したりない。 そうそう、もう一つ大事なこと、坂井修一氏のレポートによるが、「青春期から晩年まで詩(長編叙事詩を含む)を文学の中心とする考えを持っていた」ということ。最初の仕事が翻訳詩の『於母影』であり、晩年の亡くなる前の作品が『奈良五十首』であったこともそのことを語っているとも。 明治の偉大なる文豪・森鴎外の心底には詩歌への思いが絶えることなく流れつづけていたのだ。 あまりにもおおざっぱであるが、一応紹介してみた。 これだけのことを書くのに、結構な時間を要してしまったわ。 さて、これから録りためておいた録画をみることにしよう。
by fragie777
| 2021-10-29 22:54
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Comments(2)
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